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血を与えたら進化しすぎた件~世に出回るアーティファクトも東京に出来たダンジョンも多分俺のせいだけど面白いからいいよね~  作者: 唯之助


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第39話「銀の木」

 朝8時。


 真央はアパートの玄関を開けた瞬間、足を止めた。


 匂いが、変わっている。


 3週間前——最後にケヤキを見に行った時は、空き地に近づかないと感じられない程度の匂いだった。それが今は、アパートの前どころか通り全体に漂っている。甘い匂いだが、花の蜜のようなものではない。もっと深く、もっと重い。森の奥で古い大木に顔を寄せた時のような、生命力そのものの匂い。


 3週間、見に行かなかった。コンビニのシフトが増えた。バイト仲間が2人辞めて、残った真央に出勤日が集中した。客は減っているのにシフトが増えるという矛盾は、人手不足という単純な理由だ。


 階段を降りると、アパートの駐輪場に近所の住人が3人集まって話をしていた。


「あの木、またデカくなってない?」


「デカくなってるっていうか……もう普通の木じゃないでしょ、あれ」


「昨日、区役所に電話したのよ。そしたら、現地調査の予定を組みますって。でもいつになるか分からないって」


 真央は聞こえないふりをしてコンビニに向かった。


 通りに出て、空き地の方角を見た。


 見えた。


 ——見えてしまった。


 以前は空き地の中に入らなければ全容を確認できなかったケヤキが、今は通りからでも見える。住宅街の屋根の上に、銀色の梢が突き出ている。


 高さ20メートルは超えている。3週間前は14メートルだった。


 幹も明らかに太くなっている。遠目にも、樹皮の銀色の光沢が日光を反射して鈍く輝いていた。


「……でかくなりすぎだろ」


 真央が呟いた。


 コンビニで弁当と飲み物を買い、帰り道に空き地へ向かった。


 路地を抜けて、空き地に出る。


 ——呆然とした。


 ケヤキは、もはやケヤキと呼べる存在ではなくなりつつあった。


 幹の直径は1メートルを超えている。3週間前の倍近い。樹皮は完全に銀色に変わり、金属質の光沢を放っている。表面には、以前はなかった紋様のようなものが浮き出ていた。木目とも違う。幾何学的な模様が、樹皮の上を這うように広がっている。


 枝は四方に伸び、空き地の面積を超えて隣接する建物の上空まで達している。葉は銀緑色。風に揺れると、金属が擦れ合うような微かな音がする。


 そして根。


 コンクリートの地面は完全に破壊されていた。太い根が四方八方に伸び、ブロック塀を押し倒し、隣の空き家の基礎部分にまで到達している。根の一部は地面から露出し、銀色の表皮を持つ太い蛇のように地を這っていた。3週間前は3軒先までだった根が、今は通りを超えて反対側の空き家の庭にまで達している。


 空き地の周囲には虫が大量に群がっていた。蟻、蝶、甲虫、蜂。種類を問わず、あらゆる虫が木に向かって集まっている。さらに——猫が2匹、根元で丸くなっている。鳥が枝に群れていた。カラスもスズメも鳩も、種類を問わず。


「アラクネ」


 真央が空き家の方を見た。


 アラクネが二階の窓から降りてきた。いつもの白いフード——ではなかった。フードを被らず、半人半蜘蛛の姿のまま木の幹にもたれかかっている。


「……オヤ!」


 声が弾んでいる。


「フードは」


「……ココハ、ダレモコナイカラ……ハズシテタ」


「それはいいけど——3週間見ない間にとんでもないことになったな」


 真央がポケットから手鏡を取り出し、ケヤキに向けた。


 鏡面に光が浮かぶ。文字が現れた。



 名称:——(変異進行中・名称未確定)

 樹齢:推定40年

 状態:急速変異中

 変異進行度:56.3%

 根の到達深度:地下28メートル

 特記事項:地下水脈との接続を確認。周囲の土壌成分に微量のフェロモン類似物質を検出。



「……56パーセント」


 3週間前が28だった。倍になっている。


「何があった」


「……1シュウカンクライマエカラ……ネガ、チカノ……ナニカニ……トドイタミタイ」


「地下の何かに?」


「……ワカラナイ。デモ……ネガ、トテモフカクマデノビテ……ナニカヲ……スイアゲテル。ソレカラ……セイチョウガ……ハヤクナッタ」


 真央はしゃがんで、地面から露出した根に手を触れた。


 温かい。冬の空気の中で、根が体温を持っている。そして——微かに脈動している。心臓のように。規則的な振動が、指先に伝わってきた。


「……脈がある」


「……ウン。3ニチマエカラ。ドクン、ドクンッテ」


 根が地下28メートルまで到達している。28メートルといえば、ダンジョンの浅層に相当する深度だ。蟻の巣は地下に広がっている。この深さまで根が伸びれば、地下のフェロモンに触れてもおかしくない。


 鏡の表示を見直す。「周囲の土壌成分に微量のフェロモン類似物質を検出」。


 ——つまり、こういうことだ。真央の血で変異が始まったケヤキが、ダンジョンのフェロモンという「養分」を見つけて、爆発的に成長している。


 名称欄は依然として空白。「変異進行中・名称未確定」。鏡はこの木が何になろうとしているのか、まだ判定できていない。


「前に出てた樹液は」


「……モットデテル。コッチ」


 アラクネが幹の裏側に回った。地上2メートルほどの高さの樹皮の裂け目から、透明に近い液体がゆっくりと滲み出ている。量は3週間前の数倍。液体は微かに青白い蛍光を帯び、幹を伝って根元に流れ落ちていた。根元には小さな水溜りができている。虫たちが、その水溜りの縁に群がっていた。


 真央が指先で樹液に触れた。温かい。深く複雑な甘い匂い。


 手鏡をかざした。


 名称:変異樹液

 状態:活性

 品質:不明

 特記:有機的エネルギー循環を検知。組成は既知のいかなる樹液とも一致しない


「前は特記事項がなかったのに——組成が既知のいかなる樹液とも一致しない、か」


 真央はしばらく鏡の表示を見つめた。


 自分が蟻に血をやった時、ダンジョンが生まれた。それは地下のことだったから、真央の生活に直接は影響しなかった。


 だがこの木は地上にある。真央のアパートから歩いて5分の場所に。真央の日常の中に。


 自分が生んだものが、自分の生活圏で社会と衝突する。それは初めてのことだった。



     



 帰り道に、真央はスマホで掲示板を開いた。


 最近の日課だ。ダンジョンの攻略情報。アーティファクトの相場。ゴールドラッシュの動向。──そして今日は、気になることがあった。


 検索する。「墨田」「銀色」「木」。


 ヒットした。



 東京ダンジョン攻略スレ Part 134


 445:名無しの冒険者

 墨田のほうに変な木があるって聞いたんだけど

 知ってる人いる?


 462:名無しの冒険者

 >>445

 なにそれ


 478:名無しの冒険者

 >>445

 あー、あれか

 住宅街に銀色の巨木が生えてるってやつ

 近所の人がSNSに写真上げてたの見た


 493:名無しの冒険者

 >>478

 銀色の木?

 ダンジョン関係?


 512:名無しの冒険者

 >>493

 分からん

 でも匂いがダンジョンのフェロモンに似てるって

 近所の冒険者が言ってたらしい


 528:名無しの冒険者

 ダンジョンの入口って地下だよな

 木が地上に生えてくるのは聞いたことない


 547:名無しの冒険者

 新種の超常現象か?

 ダンジョン、吸血鬼、に続いて今度は植物か


 563:名無しの冒険者

 東京やべえな


 589:名無しの冒険者

 写真見たけどマジでデカい

 住宅街の屋根より高い銀色の木って

 ファンタジーかよ


 612:名無しの冒険者

 >>589

 ファンタジーっていうか

 世界樹みたいだよなあれ

 北欧神話のユグドラシルっていうか


 634:名無しの冒険者

 >>612

 世界樹ってw

 まあ確かにあの見た目は世界樹だわ

 銀色に光る巨木とか世界樹以外に何て呼ぶんだよ


 651:名無しの冒険者

 ダンジョンに吸血鬼に世界樹か

 東京マジで異世界になってきたな



 真央がスマホを止めた。


 ——世界樹。


 その言葉が、妙に引っかかった。


 銀色の巨木。住宅街より高い。根が地下深くまで伸びている。虫や動物が集まってくる。


 世界樹。


 確かに、そうだ。北欧神話のユグドラシル。天と地と冥界を繋ぐ巨大な木。あの木が何に変わろうとしているのか、真央にも分からなかった。だが——掲示板の名前のない冒険者が言った「世界樹」という言葉が、不思議なほどしっくり来る。


 世界樹か——。


 真央はスマホをポケットにしまいながら、そう思った。


 特に深い意味はない。何となく、しっくり来ただけだ。


 アパートに戻って、もう一度手鏡を取り出した。


 空き地の方角に向ける。この距離では木そのものは映らないはずだが——文字が浮かんだ。



 名称:世界樹(変異進行中)

 状態:急速変異中

 変異進行度:56.4%



 ——名称が、変わっていた。


 さっきまで「——(変異進行中・名称未確定)」だった欄に、「世界樹」と表示されている。


「……俺が名前つけたのか?」


 真央が呟いた。


 いや、名前をつけたつもりはない。掲示板で「世界樹」という言葉を見て、そうだなと思っただけだ。それだけで鏡の表示が変わるというのは——理屈は分からない。


 だが、この手の不思議には慣れてきた。蟻に血をやったらダンジョンができた。蜘蛛に血をやったら人語を話す蜘蛛女になった。木に血をやったら銀色の巨木になった。いちいち理由を考えても仕方がない。


「……まあ、いいか。世界樹。悪くないな」


 真央はスマホをもう一度開いた。掲示板のスレッドをスクロールする。



 672:名無しの冒険者

 つか誰か見に行ったやつおらんの


 689:名無しの冒険者

 >>672

 俺行った

 マジでデカい。20メートルはある

 匂いがすごい。甘い匂いが100メートル先から分かる

 あと虫がめちゃくちゃ集まってて気持ち悪い


 712:名無しの冒険者

 >>689

 根元はどうなってる


 728:名無しの冒険者

 >>712

 根が道路突き破ってる

 半径30メートルくらいのアスファルトがバキバキ

 近くの空き家の壁にヒビ入ってた


 745:名無しの冒険者

 それ行政が動くやつだろ

 建物壊してるなら


 762:名無しの冒険者

 >>745

 区役所に通報済みらしい

 でもあのサイズの木を伐採って普通の業者じゃ無理だろ

 幹が銀色で金属みたいに光ってるし

 チェーンソーの刃が通るかどうか


 781:名無しの冒険者

 管理庁案件じゃねこれ

 ダンジョンのフェロモンに似た匂いって言ってたし


 803:名無しの冒険者

 >>781

 管理庁まだ本格稼働してないだろ

 入口の管理で手一杯のはず


 824:名無しの冒険者

 誰も管理できない謎の巨木か

 東京もう何でもありだな



 真央がスマホを閉じた。


 SNSに写真が上がり、掲示板で話題になり、実際に見に来る冒険者がいて、区役所に通報されている。


 時間の問題だ。この木は遅かれ早かれ、大きな注目を集める。行政が動く。メディアが嗅ぎつける。ダンジョン管理庁の耳にも入る。


 そうなった時——アラクネはどうなる。


 木の隣に住んでいる2メートルの半人半蜘蛛が、人目に晒される。



     



 夕方、もう一度空き地に行った。


 アラクネがケヤキの——世界樹の根元に座っていた。フードを被り直している。昼間に誰かが来たらしい。


「……ニンゲンガ、キタ」


「何人」


「……サンニン。スマホデ、シャシン、トッテタ」


「見に来たのか。掲示板で話題になってるからな」


「……シャシン、トッテダイジョウブ?」


「木の写真は大丈夫だ。お前は見られてないな?」


「……ウン。ニカイニ、カクレテタ」


 真央が世界樹の幹に手を当てた。脈動が、午前中より僅かに強くなっている。


「アラクネ。この木のこと——人間が知り始めてる。掲示板にも出てる。区役所にも通報されてる」


 アラクネの8つの目が、不安に揺れた。


「……バッサイ……サレチャウ?」


「分からない。でも、このまま大きくなり続けたら、もっと人が来る」


「……ヤダ」


 小さな声だった。


「……ワタシ……ココガイイ。コノ木ト……オヤノチカクニ……イタイ」


 真央はアラクネの顔を見た。8つの目に涙腺はない。だが——声の震えが、感情を伝えていた。


「……まだ大丈夫だ。すぐにどうこうってことはない」


「……ホント?」


「ああ。——それに、こいつを切るのは簡単じゃないと思うぞ。この幹の硬さ、普通のチェーンソーじゃ無理だろ」


 真央は幹の表面を指で弾いた。金属を叩くような硬い音がした。


「……でも、お前がそんなに心配なら——」


 真央が言いかけて、やめた。


 まだ早い。何かが起きてから考えればいい。


「とりあえず、人が来た時はちゃんと隠れろ。フードも被っとけ」


「……ウン」


 真央は世界樹の梢を見上げた。銀色の枝が、夕空に広がっている。その枝の先端に——何か小さな膨らみがあった。


 一つだけ。まだ目を凝らさないと分からないほど小さい。


「……あれは何だ」


 鏡をかざした。距離があるせいで表示が不明瞭だが、特記事項の欄に一行が追加されていた。


 特記:果実形成の兆候あり


「果実形成」


 真央が呟いた。


 世界樹に、実がなる。


 それが何なのかは、まだ分からない。


 だが——真央の好奇心が、静かに燃えた。


「……面白いな。面白いけど、面倒だな」


 アラクネが首を傾げた。


「……メンドウ?」


「うん。面白いのと面倒なのは両立するんだよ」


「……ソウナンダ」


 風が吹いた。銀緑色の葉が揺れ、金属の擦れる微かな音がした。木の枝から、鳥が一斉に飛び立ち、また戻ってきた。根元の猫が欠伸をした。


 静かだった。


 真央は世界樹の根元に座った。コンビニの弁当を開ける。アラクネが隣に来て、幹にもたれかかった。


 銀色の木が、二人の上に影を落としていた。


 この静けさが、いつまで続くのか。


 真央は弁当を食べながら、ぼんやりと考えていた。


 ——まあ、なるようになるだろう。


 いつもの結論だった。

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― 新着の感想 ―
こうなる事も想像がついただろうに行き当たりばったりじゃねぇか馬鹿が!コイツのこう言う所が嫌いだよ
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