第38話「研磨」
品川区大井町。ダンジョン入口。
午前5時。まだ暗い。
鬼庭の9名が、入口の前に集結していた。管理庁名義の非公開訓練として、通常の冒険者が活動を始める前の早朝に潜る。品川入口は管理済みの入口で、ギルドの管理要員が常駐している。鬼庭の訓練時間帯は入口を一時閉鎖し、一般冒険者の出入りを止める。
全員が装備を確認している。
これまでの2週間、鬼庭は品川入口から地下40メートルまでの区域で実地訓練を繰り返してきた。40メートルまでの蟻は、個人としてはとうに倒せる相手だ。全員が入隊以前からダンジョンに潜り、蟻を倒し、指数を20以上に上げてきた人間だ。深層を知らない者はいない。
だが部隊として蟻と戦うのは、個人で戦うのとは全く別物だった。射線の重なり、隊列の維持、戦闘中の意思疎通——9人がひとつの生き物として動くための基礎を叩き込む。それが最初の2週間の目的だった。
今日から、深度を上げる。
地下60メートル。
巖道征四郎が先頭に立った。稽古着の上に軽量のプレートキャリアを着けている。武器は持っていない。素手だ。フェロモン指数34を超える身体そのものが、この老人の武器だった。
早川が巖道の後ろに並んだ。鋼鉄の木刀を腰に差し、左腕に守護の護符を巻いている。指数25。鬼庭で巖道に次ぐ二番手。ダンジョン偵察任務で何十回と蟻を斬ってきた。
宮園が3番手。散弾魔銃を肩に掛けている。準隊員だが、深層の実地経験では部隊随一だ。指数24。地下70メートルを中心に活動していた男。
山岸、蔵本、鬼塚、朝倉が中衛を固める。全員が魔剣包丁か破壊のバットを携行。指数は22から23。偵察任務やダンジョン通いで、それぞれが深層の蟻と戦った経験を持つ。山岸は空挺団時代の偵察で60メートル台まで降りたことがある。鬼塚はSATを退いた後、六本木に再び行く日に備えて個人でダンジョンに通い続けた。朝倉も封鎖線の任務から偵察に転属し、50メートル台までは足を踏み入れている。
立花が後衛。化学科出身の「技術系」隊員。安らぎの香の管理と、フェロモン中毒の兆候モニタリングを担当する。背負ったバックパックには安らぎの香10本と瞑想のアメジスト6個が入っている。指数21。ファイアストーム作戦で蟻の巣に毒ガスを送り込んだ男は、蟻のフェロモンの物性を身体で知っている。
殿は桐谷。元理学療法士。医療キットを背負い、癒しの泉水を2本携行。指数21。冒険者として地下60メートルまで到達した経験を持つ衛生係だ。
神崎遥は——列の中にいなかった。9番目として、少し離れた位置に立っている。特別嘱託。限界突破者。指数22.3。地下80メートルでエリート兵隊蟻を即席パーティで撃破した女。他の隊員とは空気が違う。瞑想のアメジストを首元に下げ、目を閉じて呼吸を整えている。
「今日から深度を拡大する」
巖道が全員に向かって言った。
「地下60メートル。——個人でこの深度を経験した者は多い。だが、この部隊で入るのは今日が初めてだ」
巖道が全員を見渡した。
「40メートルまでの訓練で、9人の隊列は形になった。中層の蟻を相手に、射線を被らせず、互いの位置を把握しながら戦える程度にはなった。——だがあれは、相手が弱いから成立していた連携だ。深層の蟻は、隊列の穴を突いてくる。1体を処理する間に側面から別の個体が来る。その時に連携が崩れるか、保てるか。今日はそれを試す」
巖道が早川を見た。
「早川。今日の指揮はお前に任せる。儂は後方で見る」
早川が頷いた。
「了解。——全員、装備最終確認。安らぎの香は各自1本を首から下げ、立花が予備を管理。アメジストは前衛3名と神崎に配布。中衛は30分ごとに立花がフェロモン濃度を確認して交代で使う。行動時間は最大2時間。撤退判断は俺が出す」
簡潔で明確だ。2週間の実地訓練で、この形が固まっている。
9名が地下への斜路を降りていった。
地下40メートル。中層。
ここまでは慣れた領域だ。2週間の訓練で、通路の構造も蟻の配置パターンも把握している。中型兵隊蟻が散発的に現れるが、もう練度を測る相手にはならない。
早川が手信号で隊列を止めた。
前方の通路に、中型の兵隊蟻が3体。
早川が手信号を出した。鬼塚と山岸が前に出る。2人が左右から挟む形で蟻に接近し、鬼塚の魔剣包丁が1体目の首関節を断った。山岸が2体目の脚を払って転倒させ、胸部を叩き潰す。3体目が反転して逃げようとしたところを、蔵本が背後から仕留めた。
7秒。無駄がない。
「クリア。前進」
地下50メートル。空気が変わった。
甘い匂いが濃くなっている。フェロモン濃度が上がっている証拠だ。立花がバックパックから小型の計測器を取り出し、数値を確認した。
「濃度、浅層の4倍。まだ安全域ですが、60メートルを超えると跳ね上がります」
「了解。全員、安らぎの香を使え」
全員が首元の安らぎの香を使用する。甘い煙が立ち、フェロモンの圧迫感が和らぐ。
地下55メートル。通路が広がり始めた。天井高が5メートルに上がる。壁面のコーティングが琥珀色から暗い金属質に変わり始めている。
ここで早川が隊列を止めた。
「休憩。5分。水分補給と中毒チェック」
立花が全員の瞳孔反応と脈拍を確認していく。桐谷が補助する。
「全員、正常範囲内」
早川が全員に声をかけた。
「ここからが本番だ。60メートル以降は蟻の行動が変わる。個別の徘徊じゃなく、要所を固めてくる。通路の交差点に門番みたいに張り付いてる個体がいる。——各自の経験通りだ」
全員が頷いた。ここにいる9人は、程度の差はあれ深層の蟻を知っている。だが個人で潜った時の記憶と、9人の隊列で同じ場所に入るのとでは、意味が違うことも分かっていた。
「隊列は崩すな。交戦時のペアリングは訓練通り——俺と鬼塚、山岸と蔵本が前衛。朝倉が通路の確保。宮園は全体の状況把握と警戒。立花と桐谷は後衛。神崎は——」
早川が神崎を見た。
「遊撃だ。隊列の外で動いていい。ただし、味方の射線に入るな」
「了解」
神崎が短く答えた。
「行くぞ」
隊列が再び動き出した。
地下60メートル。
深層に入った瞬間、空気の密度が変わった。
フェロモン濃度が一段跳ね上がる。安らぎの香を使っていても、甘い匂いが脳の奥に染み込んでくる。通路の構造も変わっていた。天井高が8メートルに達する。壁面は完全に黒みがかった金属質のコーティングに覆われ、微かに脈動するような光沢を放っている。通路幅も広い。4人が横に並べる。
宮園が壁に手を当てた。呼吸を止め、微細な振動を読む。
「——前方40メートル。大型。1メートル級。2体。通路の左右に張り付いてる」
「門番だな。——奥は」
「奥は今のところ反応なし。ただ、個人で潜ってた時はこの先の広間にもう1体いることが多かった」
「まず手前の2体を片付ける。俺と鬼塚で右。山岸と蔵本で左。同時に仕掛ける。——朝倉は後方の通路を固めろ。横からの増援がないとも限らん」
「了解」
4名が前進した。
大型兵隊蟻が見えた。体長1.2メートル。中層の蟻とは別物だ。外骨格が厚く、脚が太い。6本の脚が床を掴み、頭部の大顎がゆっくりと開閉している。
全員が深層の蟻を知っている。だが——知っていることと、隊列を保ったまま同時に2体と交戦することは別の問題だった。
侵入者を認識した2体が、同時に動いた。
早川が踏み込んだ。鋼鉄の木刀を蟻の前脚の関節に叩き込む。指数25の一撃。関節が砕けた。
だがここで問題が起きた。
蟻が脚を失ってバランスを崩し、予想外の方向に身体を回転させた。巨体が通路の中央に倒れ込み、左側の山岸と蔵本の射線を一瞬塞いだ。
左の蟻がその隙を突いた。山岸に向かって突進する。
蔵本が反射的に前に出て魔剣包丁で大顎を受け止めた。だが受け止めた反動で蔵本が半歩下がり、その背後にいた立花との距離が詰まった。
「後衛、下がれ!」
早川が叫んだ。立花と桐谷が3歩下がる。
山岸が蔵本の横に並び、2人で蟻の脚を左右から打った。脚の付け根を狙う。2撃で前脚が折れ、蟻が傾いた。蔵本が腹部の結合部を抉る。体液が飛散した。
右側では鬼塚が、倒れ込んだ蟻の首関節を魔剣包丁で断ちにかかっていた。頭を引き込んで胸板で防ごうとする蟻の動きを、早川が木刀で脚を叩いて崩す。隙が生まれた瞬間に、鬼塚の包丁が首を貫いた。
24秒。
「クリア。——全員無事か」
「無事です。ただ——」
早川が吐息をついた。
「右の蟻が倒れた時に左の射線を塞いだ。通路の幅を使い切れてない。2組が同時に戦う時は、互いの蟻の倒れる方向まで考えて立ち位置を決めなきゃならん」
鬼塚が頷いた。
「個人なら倒れた蟻を飛び越えて次に行くだけだ。だが隊列じゃ、自分の蟻が倒れた先に味方がいる。——距離感が違う」
それが本質だった。深層の蟻が強いのは個人の時から知っている。硬さも、速さも、全員が身体で覚えている。問題はそこではなく、9人が同じ空間で戦う時の——物理的な干渉だ。蟻の巨体が通路を塞ぐ。体液が飛散して足元が滑る。味方の振り上げた武器の軌道と自分の位置が重なる。1対1なら起きない問題が、部隊戦では常に発生する。
巖道が後方から静かに歩み出た。
「個人で蟻を倒す力は、もうお前たちにはある。——足りないのは、味方の存在を前提にした空間認識だ」
巖道が通路の壁を見た。
「通路幅は4人分。2組が同時に交戦するなら、左右の組がそれぞれ2人分の幅に収まるよう位置を取れ。蟻を倒す時は壁側に向かって崩せ。通路の中央に倒すな——中央は味方の通り道だ」
山岸が呟いた。
「壁側に向かって崩す、か。——考えたこともなかった。個人で潜ってた時は、どっちに倒れようが関係なかったから」
「部隊ではすべてが関係する。お前の一撃が蟻を倒す方向は、隣の組の射線を開くか塞ぐかを決める。それが部隊戦の思考だ。——次は意識しろ」
隊列が前進を再開した。
地下62メートル。
3回目の交戦だった。門番2体と巡回個体1体が、ほぼ同時に現れた。
「3体同時か」
早川が瞬時に判断した。
「俺と鬼塚で右の門番。山岸と蔵本で左の門番。——巡回個体は」
「私が押さえます」
神崎が前に出た。
「奥から来てる。まだ20メートル先。門番を片付けるまで、通路で止めておく」
「頼む。——ただし」
早川が神崎の目を見た。
「通路の右半分で戦え。左は空けろ。処理が終わった方の組が援護に行く」
「了解」
これが2週間で築いた変化だった。神崎が独断で動く力を認めた上で、隊の動線と干渉しない範囲を指定する。模擬戦闘では煙幕に突っ込んで味方の射線を完全に塞いだ神崎が、今は「右半分」という制約を自然に受け入れている。
4名が門番に仕掛けた。
今度は1回目の教訓が活きた。早川が蟻を壁側に追い込みながら脚を打つ。倒れる方向を制御している。鬼塚が壁に追い詰められた蟻の首関節を斬る。
左側でも山岸と蔵本が同じ要領で蟻を壁側に崩した。
14秒。1回目から10秒縮まった。
奥では神崎が巡回個体と対峙していた。通路の右半分に身体を置き、蟻の正面に立っている。蟻が突進してくるのを、半歩の横移動で躱し、脚の関節に拳を叩き込んだ。素手だった。限界突破後の筋力が深層の外骨格を砕く。
蟻がよろめいた。神崎は追撃せず、距離を取った。通路の右半分から出ていない。
門番を片付けた鬼塚が左側から駆けつけた。神崎が右にいるから、左からの射線が通る。鬼塚の魔剣包丁が蟻の腹部を抉った。
2人で、8秒。
「クリア」
早川が全員を確認した。
「全員無事。——いい動きだった」
巖道が後方から、僅かに頷いた。
「今のが連携だ。神崎が右に寄せた。鬼塚が左から入った。互いの位置が分かっていたから、一言も合図なく噛み合った。——それを9人全員で出来るようにする。それがこの訓練の目的だ」
「了解」
早川が体液を拭いながら頷いた。
「この濃度なら、指数の上昇も早い。40メートルの蟻を100体倒すより、60メートルの蟻を10体倒す方が効率がいい。——先生が深層を選んだ理由が分かりました」
巖道が応えなかった。ただ前を向いて、歩き始めた。
同日。同時刻。地下65メートル。
江東区の別の入口から潜った5つの影が、音を消して移動していた。品川入口から地上では数キロ離れているが、ダンジョンの地下通路は都内各所の入口を繋ぐように広がっている。深層に入れば、どの入口から降りても同じ巨大な地下空間に合流する。
先頭は御堂蓮司。鋼鉄の木刀を右手に持っている。指数23。
2番手は轟木鉄平。鉄壁の盾を左腕に構え、右手に破壊のバット。指数22。
3番手は九条凛。散弾魔銃を腰だめに構え、背中に医療キットを背負っている。指数21。
4番手は氷室透。風読みの羽飾りを額に装着し、周囲の生体反応を常時スキャンしている。指数17。
殿は鶴見源蔵。切断のナイフを逆手に構え、白髪を後ろに束ねている。指数20。氷室を除く全員が20以上という目標を、ついに達成していた。
5人全員の首元に瞑想のアメジストが光っていた。
境界の門の中核突入チーム。
「氷室、状況」
御堂が小声で言った。
「前方50メートルに大型1体。巡回中。左側道から回避可能です。——それと」
氷室が額の羽飾りに指を当てた。
「南西方向、推定800メートル先に複数の人間の生体反応があります。9名前後。移動中」
「冒険者か」
「深度60メートル台に9名の集団というのは、通常のパーティにしては多い。5名が一般的な上限ですから」
御堂が足を止めた。
「方角は」
「品川入口側です。南西から、こちらに向かっているわけではありません。平行に移動しています」
鶴見が殿の位置から低い声で言った。
「……軍だな」
全員が鶴見を見た。
「9名。品川入口。早朝。——先月拾った情報と符合する。防衛省の秘密部隊だ」
鶴見が壁にもたれ、目を細めた。
「特殊作戦群の旧知から聞いた話では、市ヶ谷で訓練していた部隊がダンジョンでの実地訓練に移行したとのことだった。品川入口を使っている。時間帯は一般冒険者の活動前。——今、氷室が捉えた反応がそれだろう」
「確実か」
「8割以上。残りの2割は、ギルドの深層調査チームが複数入っている可能性だが、ギルドは通常5名以下で組む。9名は軍式の分隊編成だ」
御堂が静かに頷いた。
「例の鬼庭か」
「おそらく。巖道征四郎が指揮を執っているはずだ」
氷室が補足した。
「先週まで40メートル台で活動していた反応を捉えていました。今日初めて60メートル台に降りてきたようです。——我々より少し浅い深度で、戦闘を繰り返している」
御堂が通路の壁に手を触れた。暗い。深層の静寂。800メートル先を、政府の切り札が進んでいる。
「放っておけ」
御堂が言った。
「あちらはあちらの目的で潜っている。我々とは関係ない」
轟木が太い腕を組んだ。
「だが——政府が深層に本腰を入れ始めたってことだろ。中層までの訓練から、60メートル台に拡大した。いずれ80メートル以深にも来る」
「来るだろう。だが、それは我々の計画を変える理由にはならない。政府が深層を探ろうと、六本木に突入しようと——我々の目的は最深部だ。競合しない」
九条が水筒の水を一口飲んだ。
「競合はしない。だけど、情報としては有用よ。鬼庭がどの深度まで到達して、どんな装備を使って、どんな蟻と戦っているか。——それが分かれば、深層の最新の状況を間接的に把握できる」
「その通りだ」
御堂が氷室を見た。
「氷室、鬼庭の動向は引き続き追ってくれ。鶴見さんのルートで拾える情報と合わせて、彼らの訓練深度の推移を把握しておきたい。ただし——接触はしない。こちらの存在を知らせる必要はない」
「了解しました」
氷室がタブレットにメモした。
鶴見が壁から背を離し、歩き出した。
「俺から一つ。巖道征四郎は、特殊作戦群の中でも別格の扱いを受けていた人間だ。模擬戦でも実戦でも、巖道に勝てる者はいなかった。指数が30を超えるという話が本当なら——今のダンジョンで最も強い人間の一人だ。敵に回さない方がいい」
「敵に回す理由がない」
御堂が静かに言った。
「政府は吸血鬼を排除しようとしている。我々は最深部を目指している。——交わる地点がない」
「今のところはな」
鶴見がそれだけ言って、殿の位置に戻った。
5人が再び前進を開始した。
品川入口方面では、鬼庭が深層の蟻と部隊としての戦闘を重ねている。その存在を、境界の門は知っている。鬼庭は、境界の門の存在を知らない。
地下65メートルの暗闘の中で、二つの組織が同じ深度を共有していた。目的も、方法も、見据える先も違う。だが足元の通路は——どこかで繋がっている。
午前7時30分。地上。品川入口。
鬼庭の9名が地上に戻ってきた。
早川が巖道の前に立ち、報告した。
「地下62メートルまで到達。大型兵隊蟻との交戦4回。全員生還。負傷なし」
「所見」
「深層の蟻の能力は、全員の経験通りでした。想定外はなかった。——問題は蟻じゃなく、俺たちの方にありました」
早川が一拍置いた。
「1回目の交戦で、蟻が倒れた位置が隣の組の射線を塞いだ。個人で戦う時には考える必要がなかったことです。2回目以降は壁側に追い込んで倒す方法に修正して、3回目は14秒まで縮まりました。——蟻を倒す力は足りてます。問題は9人の身体が占める空間をどう配分するか。蟻そのものより、味方との位置関係に頭を使う必要がある」
「その通りだ」
巖道が頷いた。
「個の力は十分だ。お前たちは全員、個人で深層の蟻を倒せる人間だ。——だからこそ、部隊としての訓練は蟻を倒す技術ではなく、9人が同時に動く時の空間制御に集中する。あと2週間、60メートル台でそれを研ぎ澄ます。その後70メートル台に進む」
「了解」
佐々木が入口の管理テントで待っていた。タブレットを手に、訓練記録を受け取っている。
「巖道先生。初回の深層訓練の所見は」
「上々だ。隊員の力は問題ない。——あとは、個の力を部隊の力に変換する精度の問題だ。時間はかかるが、方向は見えた」
「今日の訓練中、何か異常は」
「ない。蟻以外の脅威はなかった」
巖道が淡々と答えた。
——800メートル先に、5名の人間が同じ深度にいたことを、鬼庭の誰も知らなかった。
佐々木がタブレットに記録を入力した。
「鬼庭深層訓練報告(第1回):品川入口より降下。最大到達深度62m。大型兵隊蟻との交戦4回。全員生還。深層の蟻の能力は隊員の経験通り。課題は部隊としての空間制御——蟻の倒れる方向、味方の射線管理、通路幅に応じた隊列の最適化。次回訓練は3日後」
9名が防衛省の送迎車に乗り込んでいく。
入口周辺の一時閉鎖が解除され、朝の冒険者たちが列を作り始めた。
誰も気づかない。政府の秘密部隊が、つい2時間前まで深層にいたことを。
そして——別の入口から、同じ深層を歩いていた5人の男女がいたことも。




