【第2話 3】
翌日の昼休み――。
国立第一高等学の音楽大ホールでは、エレーナ・オルコット校長による定例講話が行われていた。
「――真理と勤勉、そして帝国への忠誠……神は時に過酷な試練を与えますが、私たちは歩みを止めてはなりません!」
慈愛に満ちた校長の声がパイプオルガンのよう響く中、客席の端で濃いパープルの制服を着た三学年の女子生徒――ポーラ・マルモンが小刻みに全身を震わせる。
昨夜、狂人によって恋人スタントンが殺された。
その仇である賢者ラムアビ卿を狂ったように鉄ハンマーを振り下ろして撲殺した。
その凄惨な記憶……悪夢が幾度も脳内で再生する。
(私が殺した……私たちが賢者ラムアビ卿を殺したんだ……)
フラッシュバックに耐えきれなくなったポーラは、過呼吸を起こして座席から転がり落ちる。
騒ぎにならぬよう悲鳴を押し殺してホールから飛び出した。
放課後――。
オルコット主任から命じられた罰で、廊下への雑巾がけを終えて、第二音楽室の床をモップがけしていたベールのもとへ、学帽を目深に被った人影が滑り込んできた。
「……ラムバート君、だよね?」
顔を上げると、涙と汗で化粧の崩れたポーラが幽霊のように立っていた。
ベールは素早く周囲を確認し、彼女を室内へと引き入れて鍵をかける。
「もう無理! 耐えられない!」
どうしたんですかと尋ねる前に、その女子生徒は恐怖感から口を開く。
「警察が学校に来ているし、自首しましょう……自首して、あれは正当防衛だって話せば――」
取り乱してベールの胸倉を掴むポーラだが、ベールは冷静にその手首を掴み、真っ直ぐに視線を合わせた。
「ポーラ先輩、落ち着いてください。自首なんてしたら、僕たちは保護区への島流しですよ。死刑を免れても、死ぬまで懲罰労働でボロ雑巾です」
「でも、スタントンのことが……」
ポーラが懸念しているのは恋人スタントンのことだ。昨夜、彼女は二日ぶりに帰宅した。
捜索願を出していた両親から今まで何をしていたのかと強く責められ、スタントンと駆け落ちしたと答えた。だが、スタントンが頼りなくなって家に戻ったと伝えた。
両親は恋愛禁止拘束の件もあり、家出とすることにした。もちろんポーラの嘘であるが、彼女はその嘘もスタントンの両親にいつバレるのか恐れているのだ。
「あのド変態ジジイはマスタークラスの魔術師、しかも魔法クラスの名誉教授だった。平民の僕たちが正当防衛を主張したところで、あんな人体実験をしていたんですよ? 絶対に口封じに消されるのがオチですよ」
「でも……私、どうしたら」
目の焦点が合わないどころか、大粒の涙が溢れ出す。
「僕たちは怪物を倒して生き残ったんです。スタントン先輩の無念を晴らすためにも、絶対に捕まるわけにはいかないでしょ?」
「で、でも……!」
「じゃあ、今から現場の様子を見に行きましょう。警察がどこまで掴んでいるか、この目で確かめるんです」
夕暮れ時――。
二人は高級住宅街にあるラムアビ邸を通行人のふりをして伺い、その向かいの路地へと入った。
屋敷の周囲には警察と帝国軍の厳重な黄色い規制線が張り巡らされ、すでに警戒態勢が敷かれていた。
物陰に隠れ、さきほど公園の売店で買った瓶のコーラを脇に挟みながら、ベールは息を潜めつつ、ポーラと話し始めた。
「もう気づきやがったとは……ったく、少しはサボってくれよ」
「ねぇ、バレたの?! 私たち、大丈夫なの?! やっぱり自首するしか――」
震えの止まらないポーラはすがるようにベールの腕に抱きついた。
彼は彼女の肩を抱き寄せ、静かに囁いた。
「大丈夫です。昨夜、あの屋敷には僕ら以外誰もいなかった。地下室は水で奇麗にしたし、死体の灰は取り除いたし、証拠のハンマーは川に沈めた。あの隠し扉も元通りにしたし……僕たちの痕跡は何一つ残っていません。きっと警察はあいつが行方不明に――」
「そんなの、わからないよ! わたし、どうしたら……」
ベールはコーラを渡す。「ひとまず、これでも飲んで――」
パリンッ! ポーラが瓶を払ったのだ。
「そんな場合じゃないでしょ?!」
瓶の栓が抜け、液体が地面を濡らす。
「私たち、人を殺したんだよ?! これから警察や軍に追われるんだよ?!
なんで……なんで、コーラなんか飲む暇があるの?!
だいたい、なんで私たちなの?! 私はただ、スタントンとデートしていただけ……
ねぇ、どうして、どう――」
液体が二人の靴を濡らす。ほんの数秒間……二人は一つになった。
ポーラが離れようとするも、男は力強かった。唇が離れても、相手は抱きしめる。
「大きな声を出さないでください!」
「でも、キスするなんて……」
「それは謝ります。だけど、俺だって、俺だって、どうすればいいか……」
男子生徒の両腕が震え始めた。ポーラは我に返った。
――そうだこの子、年下じゃん……。
「ラムバートくん、ごめんね。私がバカで」
「……いや、そういうわけじゃ」
「ううん……もっと、私が考えるべきだったよね?
ラムバートくん、私を助けてくれた恩人なのに……ごめん、ほんと」
表情から恐怖心と憎悪が消えている。
「――コーラもごめん」
「大丈夫です。また買えばいいんだし」
「あのさ……もうちょい、こうしてて、いいかな?」
「え……あ、はい!」
「もしかして……私が初めて、とか?」
不意打ちの上目遣いに目線も、手もおぼつかない。
「え、とぉ……?!」
ベールは頭が真っ白になった。
「ごめん、ごめん!」と、先輩は照れた。
その勢いで二人は離れる。
「……うん。あのさ――誓いのキス、しよっか?」
「え……んんっ????!!!!」
初めての数秒間、彼は我を忘れた。
「ラムバートくん。また明日、放課後で。ちゃんと話して決めようね」
笑顔のままポーラは小走りで暗闇へと消えていった。
男子生徒は初体験の感触に心ここにあらず、数十間ほど身体が動かなかった。
「――そこのお前、そこで何をしているッ?!」
呆然と立ち尽くす数秒後、聞き覚えのある図太い声がした。
「な、何って――」
我に返って後ろを振り返ると、見覚えのある顔もある。
「と、父さん?!」
ベールの目線の先には父親と、見覚えのある黒人がいた。




