【第1話 4】
「アァッ、アーッ! ヤ、ヤメテ、ヤメテくれぇーッ!」
「やめてーッ! 死んじゃう、スタントンが死んじゃう……」
野獣のような男の絶叫と、引き裂かれるような女の悲鳴が地下室の冷気を震わせている。
「う……うぅ……ここは……?!」
ベールは薄っすらと意識を取り戻した。
ぼやける視界の先、鼻の奥まで突き刺す強烈な薬品臭と鉄さびのような血の匂いが、麻痺した神経を無理やりに覚醒させる。
身動きを取ろうとするが、両手両足は頑丈な紐で固く縛り付けられていた。
「な……なにを、やっているんだよ……」
ぼやけていた意識を一瞬で吹き飛ばしたのは、目前で繰り広げられていた人道に反した拷問だ。
椅子に拘束された男子生徒が家畜のよう絶叫を上げる。
「ヤメロオオオ、ヤメテクレ……ッ!」
「お前たちは不純異性交遊という最大の罪を犯したのじゃ!
これは由緒正しき魔法クラスの伝統を穢した天罰じゃ!
復活する神の尊い生贄となるのじゃ!
もっと叫び、魂を震わせて喚くがよい、スタントンよ!」
「ら、ラムアビ卿ッ!」
ベールは喉が張り裂けんばかりに叫んだ。
「目覚めたか、ベール・ラムバートくん」
老人は血塗られた手を止めず、床に転がる男子生徒に微笑む。
「な、なにをしているんですか?! こんなこと、許されるわけ――」
「ワシを誰だと思っておる、マスタークラスの魔術師じゃよ。神に最も近づきし、人間であるぞ?」
拘束されたスタントンの鼻の穴へ、ラムアビは再び太い金属の管を容赦なく突き立てる。
「人間というものは、極限の恐怖と絶望を味わうほど、その脳の蜜は至高の純度へと昇華される」
肉が擦れ、骨が軋む鈍い音が響く中、管を何度も前後に抉り、引き抜く。溢れ出る透明な体液を、手元のワイングラスへと注ぎ、なんと極上のヴィンテージワインのように喉を鳴らして呑み干した。
その老賢者の顔は、神の探求者などではなく、狂気と血に飢えた異形の怪物そのものだ。
「――悪魔だ」
一部始終を目撃したベールは、怒りを通り越して全身を震わせ、吐き捨てるように呟いた。
しかし、悪魔呼ばわりされた老人は意に介す様子もなく、再びグラスに注いだ液を、透明な箱の中で鎮座する《黒い石》へと垂らす。
「ワシが悪魔とは……無知な若造が!」
グラスを、男子生徒に目がけて投げつけた。
破片が飛び散り、ベールの頬を切る。
「このガイア帝国にて、森羅万象を統べるべく神を復活させるべく、最高の魔術師たる私が至高の儀式を行っておる。最近の若造は技術革新に没頭して、タイパだの、コスパだのと驕り高ぶり、真理に捧げる犠牲の尊さすら解せぬとは、恥を知れッ!」
土の壁に刺してあった剣を抜き放つと、刀身に刻まれた魔法陣が禍々しく脈動を始める。
「貴様がこれまで奪ってきた命と叡智、大いなるカルマの贖罪として帝国に捧げるがよい!
ゴッド・ブレス・ガイアッ!」
老人は狂気の咆哮とともに、まっすぐに白刃をスタントンの胸元深々と突き刺した。
絶命した生徒を風の魔法で乱暴に押し飛ばし、血糊のついた刃を一拭きすると、地の魔術を唱えて壁の土砂が死骸を覆い尽くし、木端微塵に粉砕してしまう。
「スタントンが……スタントンがぁッ! イヤアアアアッッ!!」
その残虐な処刑劇に、隣で肌着姿のまま拘束されていた女子生徒の精神が限界を突破した。
「さあ、ポーラ。次はお前の番じゃが……その前に、ワシを楽しませてくれ」
返り血を浴びたラムアビが、歪んだ欲望を剥き出しにしてポーラへと迫り、その髪を乱暴に掴み上げた。その貌はすでに人間の理性など微塵も残っていない。
「やめて……もう、殺して……」
ポーラは絶望に瞳を濁らせ、ただ涙を零すことしかできない。
老人が女子生徒を抱きしめたその瞬間――カツン、と小さな金属音が床に落ちる。
「むむっ……なに?!」
ラムアビが怪訝そうに首を巡らせた刹那、横合いから放たれた渾身の体当たりが老人の胴を捉える。
「くたばれ、腐れ外道がァッ!」
ベールは靴の中に忍ばせていた、父が護身用に持たせていた小型ナイフを使い、必死の思いで足首のロープをこっそりと切っていたのだ。
勢いよく作業台の角へ激突したラムアビから距離を取り、ベールはすぐさまポーラの手足を縛るロープを切る。
「童貞の青二才が、調子に乗るなッ!」
激昂したラムアビが魔法ステッキを振ると、猛烈な突風がベールを打ち据え、石壁へと叩きつける。
「ぐっ……ゲホッ……!」
間髪容れず、老賢者は水の魔法を唱えた。ベールの頭部が一瞬にして“水の球体”の中に完全に閉じ込められた。
ベールは呼吸ができず、ゴボゴボと泡が溢れ、肺に水が入り込み、焼け付くような窒息の激痛が全身を襲う。
視界が急速に黒ずんでいくベールの目に、老人の背後、壁に黒い影が映る。
拘束を解かれたポーラが箱の中から黒い石を両手で掴み上げ、ラムアビの後頭部へ目掛けて渾身の力で振り下ろす――ドガァンッ!!
「――地獄へ堕ちろ、クチクサドブジジイィーッ!!!」
その老人が真正面に倒れ込む。術が解け、その球体の水が床へ弾け散ると、男子生徒はその黒い石を奪い取り、両腕を広げて風の魔法を唱える。
「《両翼の飛刀》……あれ?!」
だが、黒い石は何の反応も示さない。それはただの重たく冷たい石でしかなかった。
「これ、魔宝石じゃないのか?!」
「……馬鹿めが、肉片一つ残さず、食ってやろう!」
後頭部から血を流したラムアビが悪鬼の形相で立ち上がり、作業台の箱を掴んだ。
開けると、注射が入っていた。そして、それを心臓に刺した。
人間の言葉とは思えない音で絶叫するその魔術師はみるみる筋肉が膨れ上がり、怪物へと進化していく。
追い詰められた二人の見習い魔術師の目に飛び込んできたのは、作業台に転がっていた鉄のハンマーだ。ポーラはその柄を固く握りしめた。
「うおおおおおおおおっッ!!」
パニックと絶叫の中、二人は生身の腕力だけを頼りに鉄塊と石を振り下ろす。
ドスッ、グシャッ、バキッ――!!
地下室に響き渡る、骨が砕け、肉が潰れる鈍く重い音は絶え間ない愛憎劇、醜悪な本能、美しき血潮、正義の暴力、虚無に陥る空間に内包されていく。そして、その衰えた肉体から抜けた霊魂は白と赤が混ざり合い、桃色に染まる床を眺めたのだった――――。




