【第3話 5】
夕暮れの空が黒みを帯びて沈みゆく頃――雲ひとつない夜空の下、市街地では軍と警察の車両がけたたましくサイレンを響かせ、異常な騒ぎに驚く市民たちは何事かと顔を曇らせていく。
「クソッ、私としたことが……不覚っ!」
特命捜査官の特権を発動させて学校を封鎖した現場指揮官、クリス・ランスロット大佐は苛立ちから舗道の空き缶を乱暴に蹴っ飛ばした。
「万全の状態だったら、あんな閃光弾ぐらい蹴っ飛ばしたのにッ!」
軍服の袖で額の脂汗を拭う。
市内にあるランスロット家の隠れ家でポーラ・マルモンに敢行した《精霊降霊術》による脳内ハッキングで、賢者ラムアビ卿は失踪したのではなく、ベール・ラムバートとポーラによって撲殺されたと知った。だがしかし、その代償で激しい魔力酔いが彼女の精神と全身を激しく揺さぶるのだ。
部下のビート・マルティン少佐が上官を元気づける。
「じゃじゃ馬娘の大佐をダウンさせる精霊なんとか術、すごいっすね!」
「……それって悪口ですよね、マルティン少佐」
「いえいえ! 社交的で元気いっぱいの大佐が大好きなだけです!」
ポッと頬を赤らめる。褒められると苦手なようだ。
「――警察によると、依然としてネズミの行方は知れず。父親であるアイン・ラムバートも姿を消したとのことですが……大佐、ひどく顔が青いですよ!」
市内を捜索指揮する警察から報告を受け取ったバーン・シュミット少佐が上官を心配する。
「問題は……ない、ですっ!」
「いやいや! もう病院に行かれてはいかがですか?」
「バカ野郎!」と、部下を一喝する。
「私は本件の現場指揮官であり、ベール・ラムバートが賢者ラムアビ卿を撲殺したことを知っている証人です! ちょっと疲れたからといって、くたばる女でもないっ!」
クリスは、亡き母から贈られたハートのリボンを乱暴に引きちぎるように解いた。
結わえられていた長髪が宙で波打ち、力強く両肩を撫でる。
それは彼女が本気モードになった明確な合図だった。
空気が張り詰め、直属の部下二人が反射的に背筋を伸ばす。
上官は荒い呼吸を整え、煮えたぎる怒りをぶつけるよう割れんばかりの声で号令を下す。
「賢者ラムアビ・マーリン失踪事件改め殺人事件の最重要被疑者、ベール・ラムバートは市内を逃亡中だ! なんとしてでも我々の手で奴を捕らえ、神の御前で大罪の裁きを下す! ゴッド・ブレス・ガイアッ!」
「――はぁ……はぁ……まだ、追いつかれていないな……」
冷え切った湿気を含んだ風が、荒い息を繰り返す少年の汗を撫でる。
クリス・ランスロット大佐が追う当人、ベール・ラムバートはアップル市の地下に網の目のように張り巡らされた巨大下水道の中にいた。そこは、中央で暗い濁流が轟音を立てて流れ、両脇に作業用の細いコンクリート足場が伸びている。
「もし軍や警察に嗅ぎつけられたら下水道を通って郊外の森林へ逃げられる、そう考えていたが……甘かったな、チッ!」
母アグネスが無邪気に語った昔話――『ベールも昔、下水道に落ちて森まで行っちゃった』という言葉から、授業中に万が一の脱出ルートを考えた。
いざ、その緊急事態が起きて無計画に飛び込んだものの、この地下水路は完全な迷路だった。地図は自室に置き忘れており、焦りと暗闇に方向感覚を奪われ、自分がどこにいるのか、まったくと言っていいほど分からないのだ。
その時、コツ、コツ、コツ――ゆっくりと足音が闇の奥から響いた。
鋭い懐中電灯の光がコンクリートの足場を照らし出す。
ベールは咄嗟に息を殺し、太い排水管の陰へ身を隠した。
「ベール、そこにいるのか? 俺だ、父さんだ!」
「と、父さん……?!」
声を聴いて心臓が跳ね上がる。
「いるなら出てこい。まずは話そう!」
罠か、それとも――葛藤するベールの耳に、切迫した父の声が届く。
「お前の部屋で下水道の地図を見つけた」
「だから見つかったのか……」
「いいか、すでに軍の連邦捜査局が動いている!
お前一人じゃ絶対に市外へは出られない!
父さんを信じて出て来い!」
その厳しくも温かな声を信じ、ベールは排水管の陰から姿を現した。
「ベール! やっぱり、ここにいたか!」
息子の姿は逃走の過酷さを物語っていた。
ブレザーと制服、特待生の証である金バッジは汚水に濡れ、鼻を突く悪臭が付着し、飛び散った黒いヘドロがところどころにこびりついていた。
それでも父親は駆け寄り、息子の肩を抱きしめた。
すぐに懐中電灯の光を弱め、水路の脇にある作業スペースへと息子を導いた。
とはいえ、二人で入ると狭く、二人で肩をすくめる。
「先日、母さんが昔話をしたから下水道を頼ったんだろ?」
「……」と、無言で頷く。「だが、そんなことより全てを話せ。今まで何があった?」
ふいに涙が一筋も二筋も流れた。
鼻水をすすり、過呼吸気味に震えるその姿は、学年9位のゴールド特待生ではなく、かつて迷子になって泣きじゃくった幼い息子そのものだ。
父親の温もりに触れた瞬間、ベールの中で張り詰めていた糸が切れ、自白が堰を切ったように溢れ出した。 賢者ラムアビ邸の地下室でスタントン先輩が木端微塵にされて死んだこと、鼻から抉り出された黒い液体、肉片を粉砕された惨劇……殺されかけたポーラを助けるため、黒い石を握りしめて老賢者を滅多打ちにして撲殺した一件、そして現場から持ち帰ったその石についても――。
「……こ、これは?!」
「父さん、この石を知っているの?」
「まさか、あの行方不明事件が今に繋がるのか?!」
すべてを聞き終えたアインの表情は紅潮し、事件の真相に近づいて興奮する刑事の顔となっていた。
息子が震える手でスクールバッグから取り出したその『黒い石』を、アインはまじまじと観察する。
「こ、これが完成形なのか……?」
下水道の壁に埋め込まれた魔宝石の青白い微光にかざすと、漆黒の鉱石の奥底で、極小の星雲が妖しく、美しく渦を巻いていた。 「なんて綺麗なんだ……」
アインは息を呑み、自らの記憶の引き出しを激しく掻き乱した。
「――6年前だ。ラムアビ邸のメイドが失踪した時、あいつのゴミ箱から『金や銀の混ざった奇妙な石』が見つかったんだが……この石はそれとは比べ物にならない……本当に美しいな」
アインは額に脂汗を滲ませ、いろんな角度から眺める。
訝しげに息子が再び尋ねる。
「この黒い石を知っているの?」
「ああ、これは『人工魔宝石』……ブラッドダイヤモンドだ!」
「ブラッドダイヤモンド?!」
「ああ、軍と企業が密かに軍事兵器として研究しているという噂の代物だ。
マフィアの連中から『人間の血を使って精製される』と聞いたことがある。
もしこれが完成すれば、魔術師でなくとも無限に魔法が使え、どんな系統でも操れる万能の兵器になる……だが、まさかラムアビ・マーリンほどの魔術師が、そんな禁術に手を出していたとは……」
「いや、違うと思う」
父親の返答に、息子は強く首をふるった。
「これが魔宝石ならポーラ先輩や俺が使ってあいつを殺したはずだし、最近、あれこれ試したけど、ただの石なんだよ、これ」
「なにっ?!」と、父親は刑事の思考を高速で回転させた。
(無限の魔力を秘めているはずの石が使えない……?
ということは、これは他国に売り捌くための『ニセモノ』か?
いや、それならなぜ賢者は生徒を殺して研究していた?
そういうとき、研究機関は棄民を使ってきたはず……?
誰がこの石の開発を依頼したのか……これが錬金術の一件と手帳のリストに繋がるなら……
もしやあれか?!)
「ダムース・ノストラというやつか?!」
アインの脳裏に州警察署長と州知事の関与が噂された疑獄事件の影が過り、口から出た単語を息子はそのまま口にする。
「ダムース・ノストラ……ってなに?」
「お腹減ったから、ダークチョコムースのステーキが食べたいって言っただけだぞ」
と、父親は微笑んではぐらかす。
「そんな言葉じゃなかったよね?」
「悪い! 俺の悪癖だな」と謝る。
できれば息子を事件に巻き込みたくないが、殺人事件の被疑者であることに気づき、
「ただ、深い闇があるのは確かだ」と告げ、アインは黒い石をスクールバッグに入れ返した。
「いいか、ベール」と、その両肩をガッチリと掴んだ。
「まずは外に出て自首しよう! お前は俺が絶対に守る。
知り合いの弁護士に頼んで、ポーラとともに正当防衛を立証してみせる。
裁判でちゃんと証言すれば、理解してくれる人も出てくるはずだ!」
「でも……!」
ベールの胸の内は黒い石のよう、真っ黒に淀んだ。
まだ父を完全に信じきれない。軍に引き渡される恐怖が足をすくませる。
「大丈夫だ。父さんを信じろ!」
アインは力強く息子を引き寄せ、その汚泥だらけの体をしっかりと抱きしめた。
ベールの目から、張り詰めていた糸が切れたように涙がどっと溢れた。
「――犯罪者の匂いってのはねぇ、下水道のドブの腐臭でも消せやしないのさ」
そのとき、老婆のしゃがれた声が下水道に響いた。
二人は顔を出して、その正体に目を凝らした。




