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【第3話 3】

 あの事件の日から数えて五日目の昼休み、定例演説会――。

 

 国立第一高等学校の大音楽ホールには重苦しい静寂が満ちていた。

 壇上に立つのは、胸元に無数の軍功章を光らせる、ガイア帝国軍の重鎮にして帝都および東部管区を取り仕切る東部統括軍事長官、マルクス・ランスロット大将だ。クリス・ランスロット大佐の父親でもある。


「――昨夜、皇帝陛下が国民に向けて語られた御言葉を、諸君も胸に刻んだことだろう。

 賢者ラムアビ卿の失踪という未曾有の国難に対し、陛下は無事を祈って叫ばれた、

『ゴッド・ブレス・ガイア』と」


 大将は壇上の演台に拳を置き、一同を、一人一人をしかと見渡す。


「神は時に、愛する民に過酷な試練を与える。人生とは何かと。

 他者を、国を愛するとはどういうことかと。

 それは、理不尽な悲劇の前に立ち止まることではない。

 神が与えし困難を乗り越え、前へ進む強さを持つことではないか?」


 観衆へと問いかける言葉に、濃淡さまざまなパープルの制服を着た生徒と教員及び職員、近隣住民たちが姿勢を正し、胸に手を当ててスローガンを呟き始める。各々が抱く不安や恐怖を打ち消すためだ。


(そう……ゴッド・ブレス・ガイアよ!)


 しかし、客席の片隅で、濃いパープルの制服を着た3年生、ポーラ・マルモンの反応は他の生徒たちとは決定的に異なった。

 以前のように震え、息を詰まらせて過呼吸を起こすことはない。彼女は背筋をピンと伸ばし、清々しい瞳で壇上の大将を見つめていた。


(……その通りですよ、大将さん。そう、これは神による試練なのよ)


 かつて数々の戦場を生き抜き、近年は数々の汚職事件を解決し、ガイア帝国皇帝および国民の信頼と信用を勝ち取る大将が発する言霊は、ポーラの歪んだ防衛本能と恐ろしく噛み合った。


 五日前の夜――ラムアビ・マーリン邸の地下室で体験した恋人スタントンの凄惨な死、あの老人の骨と肉を鉄ハンマーで滅多打ちにして叩き潰したときの、生々しい破壊の感触は彼女の人生を、価値観をも変えた。

 その記憶は彼女を追い詰めたが、今や『神の試練』という都合の良い言葉に変換されていく。


(……そう、あれは試練だった。あの怪物は、スタントンだけじゃなく何人もの生徒を殺して実験台にしていた悪魔そのもの……殺されて当然の怪物を、私たちが排除してあげた……これ以上の『正しさ』がどこにあるっていうの?)


 正義と愛を口にする軍人の言葉を、ポーラは生存のための論理へとすり替える。 死んだスタントンへの愛は、すでに冷徹な計算へと昇華されていた。


(そう、思い出すべき。私がどれだけ努力をして、我慢して、魔法クラスに合格したのかを――)


『よくやった、ポーラ!』

『マルモン家にとって初の魔術師になれるのよ。自慢の娘だわ!』

 合格証書を、軍の勲章のように喜んでくれた両親が浮かぶ。


(たしかに私はスタントンを愛していた。でも、彼のせいでさらわれたのも事実……これからの私の人生を台無しにさせない。バレずに生き残らなきゃ……ベール・ラムバートくんとともに!)


 恐怖に震えながらも大人を撲殺し切った特待生の冷徹さと実力、死線を共にした強烈な吊り橋効果が、罪の意識によって代えがたい二人だけの神聖な絆へと錯覚させたのだ。


(私たちは絶対に逃げ切る。神だって、それを望んでいるはず……)

 

「――あの、ポーラさん、大丈夫? 顔色が……」

 隣の席の魔法教員が、心配そうに覗き込んできた。いつか見た顔だ。

 その生徒は首を小さく振り、花が咲いたように白い歯をのぞかせ、笑みを浮かべてみせる。


「いいえ、ラーム先生。もうすっかり大丈夫です。……すべて、解決しましたから」

 淀みのない澄んだ声に、教員は安堵して壇上へ向き直る。

 解散を告げる鐘が鳴り響く中、ポーラは胸の奥で自分だけの「ゴッド・ブレス・ガイア」を呟きながら、足早に席を立った。




 二日前、廊下で雑巾がけをしていたベールにリスクを覚悟して手渡した手紙――そこに記した『ルール』に従う時間だった。

 連絡場所は中庭の隅、生け垣の陰に置かれた古びたゴミ箱の底の下だ。誰もわざわざ持ち上げて覗き込むことのない絶妙な死角だった。


 手紙は宛名も差出人も書かない白い封筒にし、中身は一見すると支離滅裂な駄文だが、一定の空白をあけて縦読みにしなければ意味を成さない暗号文となっている。


『三階、廊下、上手から3番目のゴミ箱底』

『図書館の純文学コーナー、棚番4の奥』

『二階の音楽室、水槽の下、一番下の引き出し』


 手紙の末尾に次回の受け渡し場所と日を指定し、交互に情報を確認するやり方だ。

 これらはポーラが考えたものだ。 周囲に人の気配がないことを確認し、ポーラは生け垣の影へと滑り込んだ。埃っぽい木製のゴミ箱へ手をかけ、その底を持ち上げようと腰を落とす。


 そのとき――コツ、コツ、コツ。

 背後のレンガ畳を踏みしめる、硬質な軍靴の音が大きくなる。


「あなたはポーラ・マルモンさんですか?」

 冷ややかな、凛とした女の声が頭上から降ってきた。

 ポーラは心臓が跳ね上がるのを必死に抑え込み、優等生の仮面を貼り直してゆっくりと立ち上がる。


「はい、そうですが……何かご用でしょうか?」

 振り返ったポーラの視界に飛び込んできたのは、仕立ての良い青を基調とした東部軍服に身を包み、鮮やかな金髪をポニーテールに束ねた若い女性佐官だった。


 その女性軍人はニコリと優しく微笑む。

「私は帝国軍東部大将付け特命捜査官、クリス・ランスロットです。

 いきなりで恐縮ですが、軍のミュージカル劇団にご興味はありませんか?」

 

 その背後には精悍な顔つきの白人の軍人が感情の消えた顔で仁王立ちしていた。

 ポーラはふと気づく。たしか三日前にスタントンについて話を聞きに来た軍人だと。


「すみません、午後の授業が――」

 と、顔を伏せたポーラの言葉は最後まで紡がれることはなかった。

 息を吸い込む間もなく、ポーラの視界がぐるんと反転したからだ。

 目の前から光が失われ、四肢から力が抜けていく。

 

 サッと、背後に控えていたバーン・シュミット少佐がすかさず両腕で受け止めた。

「さすがシュミット少佐、モテる男は違いますね」

「冗談を言っている時間はありませんよ。大佐は病み上がりなんですから」


 その一言でハッと我に返り、クリスはポニーテールを揺らしながら大声で叫ぶ。

「た、大変だぁ! きゅ、急に女子生徒が倒れたぞぉ! なにかの大病かもしれないぞぉ! ここは帝都の貴族病院に連れていかなきゃっ! ね、シュミット少佐っ!」

「……は、はい。では、私が運びます!」

 あまりにも大根演技ぶりな上官に部下は衝撃を覚えるが、意識を失った女子生徒を抱えた軍人たちは、午後の日差しが差し込む校舎の外へと消えていったのだった。


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