【第3話 2】
チーン、という軽快な音とともにトースターからパンが跳ねた。
香ばしい小麦と溶けたバターの匂いが、アップル市の静かな住宅街にあるラムバート邸のキッチンを満たす。「――で、昨日の路地での『課外授業』はどうだったんだ、ベール?」
コーヒーカップを傾けながら、アップル州警察の警部である父アインが微笑んだ。昨夜の恋愛相談をしたばかりに、座る距離感も近くなった。
エプロン姿の母アグネスが「課外授業って?」 と、無邪気に尋ねる。
パープルカラーのブレザーを椅子にかけたベールは焼けたばかりのトーストをかじり、視線を下げて口を動かす。
「ただのボランティアだよ。ほら、テストの成績が137位まで落ちたから、学校で掃除ボランティアをして心機一転していると話しただろ?
……というか、なんだこの事件は?! 賢者ラムアビ卿が失踪だって?!」
新聞を手にした息子の不自然な口調に、父親は苦笑する。
「そうなのよ!」と、母親はトーストにブルーベリージャムを塗りながら夫に尋ねる。
「あなた、どういうことなの?!」
「捜査情報は家族には教えられん! ずーっと言っているだろう、アグネス」
「失踪といえば――」妻は幼少期の息子を思い出す。
「ベールも昔、下水道に落ちて森まで行っちゃったことがあったわね。
あの時、あなたが血相を変えるから警察が大騒ぎしちゃって」
「あー、あったな!」と、夫は苦笑する。
「あの時は心臓が止まるかと思ったよ。ちょうど、子供が殺された事件があったし――」
ベールはぬるいカフェオレでトーストを流し込みながら、内心で両親を冷たく笑う。
昨夜、父親から捜査情報を聞き、当分は事件の詳細はバレそうにないと確信し、ぐっすりと眠れた。 しかし、談笑する夫婦のテーブルの下で、息子の左手はかすかに震えていた。黒い石で殴打した感触が、殺人という過ちが五感にこびりついているからだ。
僕がラムアビ・マーリンを殺した――その事実が、17歳の少年の神経をサラミのように薄く削り取っていく。
昼休みの国立第一高等学校東部管区校――。
教室の喧騒の中、トイレで気合のオールバックに髪を整えたベールを、その前で男女が待っていた。
「おい、ベール! なんで昨日、あのこと、黙ったんだよ!」
怪力番長のガルベスと、金髪ボブのシーラが青ざめた顔で詰め寄るが、ベールの胸元には純金バッジが陰りなく輝いている。
あのこととは、ベールがシーラに宛てた手紙をシーラがガルベスに売り、毎月支給される研究費30万GGから27万GGをカツアゲしていた件だ。
本来、魔法クラスの生徒は恋愛禁止校則に縛られ、ラブレターの件も処分対象だ。
彼が風の魔術でガルベスを攻撃し、シーラの裏切りを暴露したことで、昨日はオルコット主任と話すことになったが、校内掃除をすることで決着し、ベールは肩の重荷が下りている。
そもそも、オールバック男の懸念事項は恋愛禁止校則よりも殺人事件をいかに隠蔽するかだ。
もはや色恋沙汰などどうでもよかったが、ラブレター事件は油断大敵という戒めとしている。
「おい、聞こえてんだろ! 何か言えよ!」
ベールは相手にせず、廊下を歩きながら冷たい声で言い放つ。
「これ以上、俺の人生を壊すな! ゴリラのパチモン野郎がッ!」
その凄みからして、トラブルごとが嫌いだった、真面目が売りの特待生の面影は微塵もない。
むしろナイフのような鋭さと危うさがある。
その眼光から垣間見える敵意に、ガルベスは冷や汗を流して言葉を呑み込み、シーラは悔しげに唇を噛むしかなかった。
その日の放課後――ベールとポーラは学校で人知れずに密会した。
今後の連絡手段について相談し、取り決めを行ったのだ。
父親の様子から警察の捜査は膠着しており、ベールは自らの手で完璧な日常を取り戻したと確信しつつあった。だが、破滅の足音は確実に迫っていた。




