【第2話 6】
「ビンゴ! ……と言いたいところだけど、なんじゃここは?!」
ステッキの青き光に照らし出された地下室へ足を踏み入れた瞬間、クリス・ランスロット大佐は眉をひそめ、立ち止まった。
「あらあら……マスタークラスの魔術師さまは何を研究されていたのやら……」
地下特有の淀んだ湿気の中に、水没していたからか、微かに漂う鼻を突くホルマリンと薬品の残り香が不快指数を上げる。
視界には頑丈な革の拘束具が備え付けられた鉄角の椅子や、壁際に整然と並ぶ無数の棚――構造そのものは、疑いようもなく非人道的な解剖室を連想する。
「掃除したての実験室とか……んなアホな!」
クリスはしゃがみ、鏡のように光る床を指先でなぞる。ぬめりはまったくなかった。
床、壁、作業台、果ては棚に陳列された空のビーカーや試薬瓶の一本に至るまで、まるでショールームのよう磨かれていたのだ。しかも、水没していたはずの部屋だというのに、壁も床も泥や汚水のシミすら見当たらない。だが、天井のコンクリートは違った。
「天井の汚れは気付かなかったのか……それとも、わざと残したのか……」
何かを隠そうと奇麗にすればするほど、その過剰な清潔さが異常な事態を雄弁に物語る。
「拘束具がついた台に、大量の薬品棚……どう見ても狂気の実験場だよね。
なのに、血液の一滴も、こびりついた脂の痕跡すら残っていないとは……
君たちはチェックメイトと言えば勝てるとでも思っているのか?
勘違いなのかも疑わずに――」
誰かが意図して、証拠を全て洗い流し、徹底的に磨き上げた可能性を模索する。
賢者自身か、それとも――別の何者かが現場を隠蔽したのか。
「まさか、マスタークラスがここで殺された?!
だから証拠隠滅した……んなアホな!」
昨年のガイア帝国魔法クラス大運動会を思い出す。
そこで行われた教員バトルで、主であるラムアビ卿は地の魔法で巨大なゴーレムを悠々と造形し、観衆を圧倒していたのだ。クリスもまたそれを目撃していた。
「おじいちゃんとはいえ、魔術師としての強さは運動会で見る限り、まだまだ衰えていなかった……
チンピラやギャングごときに殺されるわけもないし……
マザー・ファミリーが軍にそんな宣戦布告をするわけない……
となると、内輪揉めかな?」
クリスは上着のポケットから取り出した黄色いチョークで、ピカピカに磨かれた床の上に気だるそうに魔法陣を描き始めた。
「やっぱり歌うしかないですか。はあぁーっ……あー、あーっ!」
と、老婆に似た嘆息を漏らした。そして、声帯を整える。
そして立ち上がると、両手を胸に当て、何度も深呼吸し、メロディーを奏で、喉を鳴らす。
すると、描いた魔法陣が七色に輝き出し、ムクムクと煙が昇る。
そこから出てきたのはひどく小さく、羽根が生えた、腹が出た、ハゲ散らかした丸顔のおっさんだった。「あーッ、マジでキモいなッ!」
「悪かったな、ワシがこんな見た目で!」
おっさんはいきなり悪口を言われてお怒りだ。
「何度も言うが、クリス、お前が音痴だから悪いんだぞ! 少しは聴かされる側になってみろ!」
「なったから、シュミットとマルティンに隠れてやったんですよッ!」
おっさんの正体はガイア帝国に伝わる伝承、精霊伝説そのものだ。
クリスは精霊を呼び出せるが、ありったけの愛をかきあつめて歌を捧げる必要がある。
しかし、音痴なのだ。天は二物を与えなかった。
その結果、おっさんが召喚される。
その原理は本人すらも理解していないが、人に聴かせるのは本人も相手も残念な気持ちになるため、一人になってから精霊降霊術を始めるのだが――、
「――ったく、お前のかあちゃんは美声だったのに……おおおっ?!」
宙に浮いたままのおっさんが背中を小さく丸めて、ひどく怯えだした。
「ななな、なんなんだよ……ここはッ?! こえぇよ、こえぇよ……」
あろうことか股間が濡れていく。羞恥心から顔が真っ赤だ。
普段なら嫌悪する粗相に、クリスの青い目が鋭くなる。
「賢者ラムアビ・マーリン邸の、奇麗な地下室だよ。おそらく、ここで何十人も拷問して殺してきたんでしょうね。魔法研究なのか、悪魔研究なのかは知らんけど」
「そそそ、そうか……クリス、申し訳ないが、もう帰っていいよな?」
来たばっかじゃん、と突っ込むこともできたが、
「ダメです! ――おっさんには残留思念を集めてほしい。スワンプマンに転移させるから」
「そうはいっても、霊魂がありすぎて……ワシにはよくわからんぞ?」
「……じゃあ、最新のやつを集めてちょうだい」
精霊が宙を飛び回り、例の椅子の上で静止した。
惨殺された男子生徒の残留思念を発見し、それを両手でこねはじめる。
その間に、クリスは魔術書を開き、そのページの魔法陣に手を当て、魔術を唱えた。
足元の大きな水たまりが渦を巻く。
「我、地脈と水脈の泥土を編み上げ、そなたに器を与えん」
水たまりは汚泥となり、等身大の人間の輪郭となって盛り上がる。
部屋の天井からキリキリと大気が鳴動し、風の摩擦から火花が爆ぜた。
ランスロット家が得意とする水の魔法をベースに風・地の系統を極めると、雷撃が発動できる。
「――天の雷火を以て、現れよ、偽りの命を継ぎし者……出でよ、《泥土の人形》!」
バチィィッ! 放たれた雷電が泥の頭部を撃ち込まれる。
すぐさま、おっさんがこねた光る玉をその人形の口に押し込んだ。
泥の瞼がカッと見開かれ、泥水を滴らせたスワンプマンはその人物そっくりに変容する。
濃い紫色の制服が浮かぶ。魔法クラスの男子生徒のようだ。
そして、その喉から、鼓膜を裂くような生々しい若い男の絶叫が爆発した。
『――アッ、アアアアアッ! ヤメロ、ヤメテクレーッ!』
「落ち着け! 私はガイア帝国軍連邦捜査局に所属するクリス・ランスロットです!
ここであったことを聞きたい。――まず、君は誰です? ここがわかりますか?」
クリスは顔や軍服に跳ねた泥も厭わず、その男子生徒の両肩を掴んだ。
おっさんが忠告する、「そいつ、長く持たねぇぞ!」
「何があった? 誰にやられた?」
「スタントン……おれはブライス・スタントンだ……! ポーラとデートしていたんだよ。
そしたら、よくわからん男たちに捕まって……気づいたら、あいつがおれの目の前にいて……
鼻から棒を入れられて……脳みそを掻き回されて……ッ!」
彼の指が顔面を狂乱して掻きむしる。どんどん顔が崩れていく。
『おれの脳の汁を……あそこの黒い石に垂らしやがった!
神を復活させるんだって……! おれは剣で刺されて死んだはず……!
な、何で生きているんだよ?!』
「クリス、黒い石なんてどこにもねぇぞ!」
「そうだ……ポーラは!? ポーラはどこだ!? ポーラァァァッッ!!」
「話を聞け! 神の復活ってなに? 何をされたのか、もう一度――」
眉間に皺を寄せる軍人は必死に揺さぶるも、スタントンは叫び続けようとしたが、どんどんその物体が膨張していくのだ。
「クリス、室内の悪霊がどんどん中に入って暴れてやがる! もうじき爆発するぞ! ワシは先に逃げるからな! あばよ!」と、宙に舞うおっさんが叫んで姿を消した。
「くそぉ、ここまでとは……!」
再び魔術書を開き、水の魔法で魔術を唱える。
《水牢の監獄》
床に残留した泥水が一瞬でスワンプマンを囲み、あっという間に水中牢獄が完成した。
その間もなく、水の中で木端微塵に爆発した。その衝撃音に、部下二人がなだれ込む。
「うわ、くさっ! 大佐、まさか小便漏らしたんですか?!」
モテない男が放つ品性のかけらもないジョークなど意にも介さず、上官は指先で泥を払う。
そして、金色のポニーテールを振るように、濁りのない冷酷な青き瞳で振り返った。
「シュミット少佐、マルティン少佐」
「ハッ!」と、二人は直立不動で上官の指令を承る。
「大至急、国立第一高等学校の魔法クラス名簿を洗ってください。被害者はブライス・スタントン、そしてポーラという女子生徒です。ポーラはすでに死んでいるかもしれません。二人はおそらく隠れカップルでしょう」
「ちょ、ちょっと待ってください!」と、シュミットが口を挟む。
「今から学生名簿を洗うなんて無茶ですよ! ここはいったん――!」
「シュミット少佐、明日よりも今日です!」
「もう、その明日なんですけどね……」
「ベーコンもハムも大量にあるし、ここは徹夜でやっちゃおうぜ!」
「僕はウインナー派だよ! ――くそっ、また家に帰れないのかよ!」
「では、効率重視でおねが――」
「大佐!」
突如、上官が意識を失った。だが間一髪、部下二人は両腕で受け止めた。
精霊降霊術は便利なものの、術者の心身にひどく疲労を残すため、クリスがいつ目を覚ますかはわからない。
上官を介抱する二人は門の外に出て、警備担当に事情を伝え、屋敷を後にする。
「マルティン、ベーコンくれ。大佐が起きるまでにやっとくぞ!」
「あいよ! じゃあ、サービスでベーコンピクルスサンドを作ってやっか」
「いや、ピクルスは苦手だ」
帝都にある貴族専用病院へと、二人が乗る車は夜道を走る。
この事件の夜明けはまだ当分、訪れそうにはない――。
3話は11月上旬に更新予定です!
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