第一章 入所
救急搬送された病院の四人部屋で、永野雅士は三週間を過ごした。両脚のギプスが取れる頃には、もう自分の名前を漢字で書くこともできるようになっていたし、今日が何月何日かも、看護師に聞かれる前に答えられるようになっていた。
それなのに、退院の日に手渡された紹介状には、こう書かれていた。
「見当識障害及び記憶障害の進行を認め、要介護3相当と判断する」
永野はその紙を三度読み返した。読み返すたびに、字面は変わらなかった。
「先生、これは事故の直後の話ですよね。今はもう普通に喋れてますし、頭も――」
「永野さん」と担当医は永野の顔を見ずに言った。「高齢者のせん妄からの回復には個人差があります。ご本人が『大丈夫』と思っていても、周囲から見て別の判断になることは珍しくありません」
その物言いには、どこか台本を読んでいるような滑らかさがあった。永野は記者だった頃の癖で、相手の言葉のリズムが不自然に整いすぎているときに違和感を覚える。二十年以上使っていなかったその勘が、久しぶりに小さく反応した。
けれど、六十五歳、独身、身寄りなし、片脚は完全に治っていない。逆らったところで、行く場所などどこにもなかった。
紹介先は「特別養護老人ホーム やすらぎ園」。
送迎の車の窓から見えたその建物は、思っていたよりずっと立派だった。県道から一本入った丘の上、五階建ての本館は改築されたばかりらしく外壁が真新しく、正面玄関には「設立五十周年」と書かれた横断幕が誇らしげに掲げられていた。エントランスホールには理事長・熊谷徳蔵の胸像まで置かれている。
「どんな方でも、最後まで見捨てません」
胸像の下の銘板にはそう刻まれていた。
「――ここは、他の施設で断られた人でも必ず受け入れてくれるので有名なんですよ」
車椅子を押していた若い職員が、まるで観光案内のような口調でそう教えてくれた。田村美咲、と胸のネームプレートにあった。
「断られた人、ね」
永野はその言葉を、口の中で転がしてみた。記者だった頃、その手の美談には裏があると相場が決まっていた。断られた人間を誰も引き受けないのは、大抵の場合、理由がある。その「誰もやりたがらない仕事」を一手に引き受ける者が、実は誰よりも大きな得をしている――そういう構図を、永野は昔いくつも見てきた。
三階の四人部屋に案内された。同室の老人たちは誰も永野の方を見なかった。窓際のベッドの老人は、点滴の管に繋がれたまま、天井をじっと見つめていた。ドアの外を職員が通り過ぎるたびに、部屋の空気がわずかに張り詰めるのを永野は感じた。
その夜、消灯後にトイレへ行こうとナースコールを押した。五分待っても誰も来なかった。十分経って、ようやく現れた夜勤の職員は、永野の顔も見ずにこう言った。
「永野さん、お部屋にポータブルトイレ置いてありますよね。夜中に歩き回ると転倒のリスクがあるので、今後は呼ばずにそちらを使ってください」
「いや、俺は歩けるし、トイレぐらい自分で――」
「カルテにそう指示が出てるんです」
職員はそう言うと、返事を待たずに部屋を出ていった。
永野はしばらく暗闇の天井を見つめていた。窓際の老人の点滴が、規則正しい音を立てている。
――カルテに、指示。
誰が、いつ、その指示を書いたのか。永野は自分がまだ検査すら受けていないことに気づいた。この施設に来てから、医師の診察は一度もない。それなのに、彼の「状態」についての指示だけが、静かに積み上がっていく。
翌朝、食堂で配られた献立表の名前の欄に、永野の名前だけが「様」ではなく「殿」と書かれていることに気づいた。他の入所者の欄を盗み見ると、皆「様」だった。些細なことだ。気にするほどのことではない、と自分に言い聞かせた。
けれど、その日の午後、面談室に呼ばれた永野は、初めて理事長の熊谷徳蔵と対面することになる。
「永野さん、ようこそ、やすらぎ園へ」
車椅子ではなく、自分の足で歩いて現れた熊谷は、写真で見るよりも大柄で、声が低く、部屋の空気を全部吸い込むような話し方をした。
「うちは、どんな事情がある方でも見捨てません。それが、わしがこの五十年、貫いてきた信念です」
永野は黙って頭を下げた。記者の勘が、また小さく音を立てた。
この男の目は、笑っていない。
面談が終わり、部屋に戻ろうとした永野の背後で、熊谷が桐生施設長に向かって、ひどく事務的な声でこう言うのが聞こえた。
「三〇一号室の永野さんね。あの方、身元引受人なし、独身、年金は厚生年金満額。書類、今週中に整えといて」
「――書類、ですか」
「後見の申立て。前にも言ったろう」
桐生の返事は、永野の耳には届かなかった。
自分の足で歩いて部屋に戻りながら、永野は二十年前のある夜のことを思い出していた。地方紙の記者だった自分に、ある情報提供者が震える声で電話をかけてきた夜のことを。その三日後、その情報提供者は自宅の風呂場で溺死体となって発見された。事故として処理された。永野が書いた記事は、掲載直前に「裏付け不足」という理由で差し止められた。
あの時の理事長の名前を、永野はまだ覚えていた。
――熊谷徳蔵。
まさか、という言葉すら出てこなかった。ただ、二十年間止まっていた何かが、静かに動き出す音を、永野は確かに聞いた気がした。




