表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連載版】婚約破棄? 責任者をお呼びしますわ 〜スキル《呼び鈴》で大変なことになりました〜  作者: 桜めんと
第5章「空欄が紛れ込んだ王宮で、責任者をお呼びしますわ」
49/59

第48話 黒い染み

  

 最初は、針で突いたほどの黒い点だった。


 けれど、次の瞬間、その黒は白い手袋の縫い目を走った。

 指先を染め、布の内側からにじみ出ていく。


 リュシアの顔色が変わった。


 彼女は反射的に手袋を外そうとしたが、黒い染みは指先に絡みつくように広がり、外そうとする動きに合わせてむしろ早く伸びていった。


「レイベルナ嬢!」


 セドリックが動いた。

 声と同時に、剣の鞘がリュシアの腕とレイベルナの間へ入る。


 ただ、リュシアは逃げようとしたのではない。

 黒く染まり始めた自分の手元を見て、初めて取り乱していた。


 手袋を振りほどこうとする。

 革鞄を遠ざけようとする。


 その拍子に、革鞄が床へ落ちた。

 鈍い音がして、くすんだ革鞄が床を滑る。


 リュシアは歯を食いしばり、黒く染まりかけた白い手袋を、ようやく指先から引き剥がした。


 白い手袋が床に落ちる。


 だが、黒い染みの侵食はそこで止まらなかった。

 床に落ちた手袋の縫い目を走り、細い根のように革鞄へ伸びていく。


「鞄に向かって伸びています!」


 リゼットの声が鋭く落ちた。


「このままでは……! 手がかりを消そうとしているのかもしれません」


 黒い染みが、光の中で一度だけ大きく脈打つ。

 その留め具の奥まで届いたのか。

 それとも、届く寸前で止まったのか。

 誰にも、まだ分からなかった。


 リュシアの喉が、ひゅっと鳴った。


 人を狙ったものなのか。

 それとも、手袋に触れていたものを巻き込み、さらに鞄へ移ろうとしているだけなのか。


 今は分からない。


 けれど、このまま進めば、手袋も鞄も失われる。

 革鞄の中に何が残っているのか、確かめる前に消えてしまう。

 

 黒の紙側の尻尾まで、掴みかけていた。

 だからこそ、消そうとしているのだろうか。


「リゼット殿、箱を!」


 セドリックが短く命じた。


「はい! 《保管箱》」


 リゼットの声と同時に、淡い光が床から立ち上がった。


 黒く滲んだ手袋。

 くすんだ革鞄の留め具を半ばまで侵した黒い影。


 そのすべてを、透明の光が包み込む。


 それでも黒い染みはまだ動こうとしていた。

 光の内側で細い根のように震え、革鞄の合わせ目をこじ開けるように奥へ入り込んでいく。


「もう少しです!」


 リゼットの声は低かった。


「今、状態を固定しています」


 監査室の誰も動かなかった。

 猫でさえ鳴かなかった。


 黒い染みが、光の中で一度だけ大きく脈打つ。


 革鞄の留め具は半ば黒く染まり、合わせ目の端にも黒い筋が食い込んでいた。

 中まで届いたのか。

 それとも、届く寸前で止まったのか。


 誰にも、まだ分からなかった。

 監査室には焼けるような匂いだけが、細く残っていた。


「……止まりました」


 リゼットは息を大きく吐いた。

 光は収束した後には、黒い保管箱が目の前にあった。


「染みを消したわけではありません。侵食しかけた状態のまま保管しました」


 財務卿の猫を抱く腕に力が入っている。


「今ここで、何なのかを決めつけるのは危険ですな」


 財務卿の声は低かった。


「ただ、少なくとも、何でも遠くから消せるようなものではなさそうですな。手袋や鞄を媒介にしていたからこそ、この場で動いた。遠くから記録や証言まで消せるなら、ここまで痕跡は残っておりますまい」


 リゼットは封じた光から目を離さずに言う。


「開けた瞬間、侵食が再開する可能性があります。今ここで急げば、中身を確かめる前に手がかりごと失う恐れがあります」


「では、ここで開けるのは愚策ですな」


「立ち会いが揃ってからです。外側から順に確認しなければなりません」


 リュシアは呆然と保管箱を見つめていた。

 先ほどまでの無表情の顔は、そこにはなかった。


「……最初から、信用されていなかったのですね」


 その声はとても小さかった。


 リュシアは危ない仕事だと分かって、それでも受けていた。

 名を聞かない。

 顔を見ない。

 命令書も、契約書も、受領書もない。


 そういう仕事だと、知っていた。

 けれど、自分に持たされた手袋や鞄にまで、こんなものが仕込まれていたとは知らなかったのだろう。


 レイベルナは、封じられた革鞄から視線を戻した。


「リュシアさん」


 リュシアは何も答えない。


「あなたは本当の黒幕ではないのでしょう。ですが、無関係ではありません」


 レイベルナは静かに言った。


「わかっていて危険な書類を選び、それを王宮へ持ち込みました。そして、正式な処理を通さず書類棚へ入るようにした責任は、あなたにあります」


 セドリックがリュシアの前に立つ。


「あなたを、王宮外門受付所への不正持ち込み、および王宮文書を装った文例の流通疑いで拘束します。正式な身元は近衛で確認します」


「私は……ただ紙を運んだだけです」


「では、正式な説明の場でそう述べてください」


 リュシアは答えなかった。


 黒い紙側は、手がかりを消そうとした。

 リュシアは捕まった。

 そして、名のない仕事の入口が初めて見えた。

  

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
「黒い紙」の一手が襲い掛かって来た。 今回は証拠の消去みたいですけど、口封じの可能性もあった事に恐怖するべきですよ。もう「文章を運んだだけ」では通用しないのですから。 ……「呪い」みたいですね。鞄…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ