第26話 開かれた門
白百合慈善院へ戻るころには、空の色が少しだけ茜色を帯びていた。
門の前には、王妃基金の紋章が入った木箱が次々と運び込まれている。
今度は後援会の紋章が入った白い布も、綺麗に見せるための飾りもない。
正式な王妃基金の支援物資として、王宮の係官と近衛の立ち会いのもとで、まっすぐ白百合慈善院へと運ばれた。
古びた門の奥から、子どもたちがそっと顔を出す。
「わー、箱、いっぱいだ」
「お薬もある?」
「お菓子は?」
エリナ院長が膝をつき、子どもたちへ優しく頷いた。
「お薬はあります。お菓子は……あとで一緒に探しましょうね」
その言葉を聞いた子どもたちは、顔を見合わせて小さく笑った。
レイベルナはその笑顔を見て、胸の奥が少しだけ熱くなる。
王妃基金の名。
後援会の舞台。
どれほど綺麗に並べられていても、現場に届かなければ意味がない。
セドリックが隣に立った。
「お疲れではありませんか」
「そうですね。正直なところ、実は少し疲れてしまいました。ですが、これが終わるまでは大丈夫ですわ」
「座れる場所を探します」
「いいえ、いいのです。ありがとうございます」
「では、倒れるときには言ってください。支えますので」
「倒れる前提で話さないでほしいところです」
「念のためです」
その真面目な顔に、レイベルナは思わず小さく笑った。
「セドリック卿は、心配の仕方まで少し堅いですわね」
「柔らかい心配は不得手です」
「そこは認めるのですね」
「嘘はつけませんので」
レイベルナは視線をそらした。
疲れた心が少しだけ緩んだ気がした。
そのとき、ラウルが持っていた木箱を下ろし、大きく息を吐いた。
「やっと着いたっす……!」
荷受けの確認不足を叱られたラウルは、「せめて手伝わせてほしいっす」と言い、積み下ろし要員としてついてきていた。
たくさんあった干し肉の束もあと二本になっている。
財務卿の腕の中で、灰色の猫がみゃ、と鳴いた。
ラウルは二本とも背中に隠して言う。
「もうだめっす。これは俺の最後の砦っす」
「人間の干し肉は塩が強いので、ここまでですぞ」
「財務卿が止めてくれたっす……!」
「猫側の健康管理ですゆえ」
「俺の干し肉管理ではないんすね」
「そちらは手遅れですなぁ」
「ひどいっす」
その横で、エリナ院長がふと首を傾げる。
「そういえば、保管所にあった干し肉の箱は、支援物資だったのでしょうか」
ラウルの顔が、はっとした。
「あっ、それは俺の私物っす」
「私物?」
「干し肉が好きすぎて、箱買いして仕事場に置いてたやつっす。支援物資じゃないっす。そこだけは、ちゃんと言わせてください」
レイベルナは少しだけ目を細めた。
「王妃基金の物資の横に、自分の干し肉箱を置いていたのですか」
「はいっす」
「紛らわしいですわね」
「すみません、干し肉は悪くないっす」
「そこは誰も責めておりませんわ」
セドリックが静かに頷く。
「干し肉そのものに罪はありません」
「騎士様、ありがとうございます」
「ですが、置き場所は悪い」
「やっぱり怒られたっす」
ラウルは肩を落とした。
その様子に、子どもたちがくすくす笑う。
だが、すべてが終わったわけではない。
マルヴィナは近衛の監視のもと、後援会本部に残されている。
会計記録、作業表、読み上げ原稿、寄付者名簿、エドウィンが作成した書式、黒い紙などもすべて王宮へ運ばれることになった。
副会長、会計係、書記、書類係は、順にみっちりと事情聴取を受けるらしい。
黒い紙を書いた者はまだ見えていない。
銀の鈴は鳴った。
だが、誰も来なかった。
その沈黙だけが、レイベルナの胸の奥に残っている。
エリナ院長が歩いて近くまで寄ってくる。
そのまま、レイベルナへ深く頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました」
「私は、責任の道筋を確かめただけです。物資を届けたのは、王妃陛下と皆様の判断ですわ」
寄付者の一人が頷いた。
「いいえ。あなたが来なければ、私たちは白い布の前で拍手して、何も知らずに寄付だけして帰っておりました」
財務卿が猫を撫でる。
「私は、猫殿と平和な午後を過ごしていたはずですな」
「財務卿、それは今言わなくてもよろしいのでは」
「つい本音が」
「本音が猫寄りですわ」
猫は満足そうに目を細めていた。
ラウルは残った干し肉を握りしめたまま、急に真剣な顔になる。
「あの、レイベルナ様」
「何でしょうか」
「今日、かっこよかったっす。相手が何を隠しても、どんどん逃げ道をなくしていく感じが」
「褒めているのか、怖がっているのか分かりませんわ」
「どっちもっす!」
ラウルは背筋を伸ばした。
「だから俺、手伝いたいっす。荷物運びでも、案内でも、何でもやるっす!」
ラウルの視線が、なぜか手元の干し肉へ落ちた。
「干し肉は置いてきてください」
「えっ、そこからっすか!?」
「そこからです」
「俺、今日一番きつい命令を受けた気がするっす」
レイベルナは少しだけ表情をゆるめた。
白百合の門の先には、王妃基金の紋章が入った木箱がどんどん運び込まれていく。
閉ざされかけた門は、今度こそ開かれた。
子どもたちの手に薬が届き、食料が届き、薪が届いている。
だが、その先に続く責任の道は、まだ途切れていない。
セドリックが静かに言った。
「王宮へ戻るまで、気を抜かないでください」
「はい。けれど、今日はここまで来られてよかったですわ」
「同感です」
彼の返事は短い。
だが、隣に立つ距離が近い。
レイベルナは少しだけ息を整えた。
「セドリック卿」
「はい」
「もし、私が鈴を鳴らすべきか迷ったら」
「隣に立っています」
答えが早すぎて、レイベルナは言葉に詰まった。
「……まだ、最後まで言っておりませんわ」
「必要な答えだと思いました」
「本当に、まっすぐですわね」
「曲げる理由がありません」
レイベルナは小さく笑った。
白百合の門は開いた。
だが、銀の鈴を黙らせようとした者は、まだどこかにいる。
その相手へと届く道を、次は見つけなければならない。
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ここで3章が終わりになります。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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