第27話 呼び鈴鑑賞券
白百合慈善院の騒ぎから、一週間が過ぎた。
王妃陛下から届いた招待状には、白百合慈善院への支援が無事に届いたことを関係者へ報告するため、ささやかな茶会を開くと書かれていた。
寄付者代表。
白百合慈善院の院長。
王妃基金の関係者。
今回の件で監査室付の特別顧問となったレイベルナ。
それに加えて、王妃陛下の招きで、慈善活動に関心を持つ貴族夫人や令嬢たちも同席することになっていた。
表向きは、穏やかな報告と礼の場である。
だからレイベルナも、今日は鈴を鳴らすつもりなどなかった。
そのはずだった。
王宮の東庭には、白い布をかけた円卓が並んでいた。
薔薇の香り。
磨かれた銀器。
焼きたての菓子。
淡い色のドレスと、控えめな笑い声。
これだけ見れば、ただの優雅な茶会だった。
だが、レイベルナは庭へ入った瞬間から、あちこちの視線が自分へ向くのを感じていた。
「呼び鈴の令嬢ですわ」
「婚約破棄の日の夜、国王陛下まで呼ばれたのでしょう?」
「噂は聞きますけれど、本当にそんなことが起きるのかしら」
「まあ。では今日は、見られるの?」
聞こえるようで聞こえない声。
だが、聞こえないふりをするには、少し大きすぎた。
庭の入口まで付き添っていたセドリックが、ほんの少しだけ視線を鋭くする。
「気にしないでください」
「気にしてはおりませんわ」
「では、今のは訂正します。気にしすぎないでください」
「少し気にしている前提ですのね」
「事実ですので」
レイベルナは小さく息を吐いた。
セドリック卿に勘付かれてしまうほどには、気にしているようだった。
「私は庭の外周におります。何かあれば、すぐ参ります」
「そこまで近くにいなくても大丈夫ですわ」
「近すぎる護衛は、かえって目立ちますので」
「分かっていらっしゃるのですね」
「護衛ですので」
短く言って、セドリックは庭の入口付近へ下がった。
王妃は東庭の奥で、白百合慈善院の院長と寄付者代表へ挨拶をしている。
レイベルナは侍女に案内され、自分の席へ向かった。
その瞬間、足が止まった。
自分の席を示す小さなカードに、レイベルナ・ファリスと書かれている。
それ自体はよい。
だが、その隣に、別の小さなカードが立ててあった。
――呼び鈴鑑賞席。
レイベルナは、ゆっくりと瞬きをした。
「……鑑賞席?」
案内していた女性が顔色を変えた。
「私は、席のカードを置くように言われただけでございます」
「どなたから?」
「進行係の方からです」
「⋯⋯進行係?」
レイベルナが聞き返した時、少し離れた卓から華やかな声が飛んできた。
「あら、気づかれてしまいましたのね」
振り向くと、藤色のドレスをまとった貴婦人が扇を閉じていた。
年の頃は三十代半ば。
美しく整えた髪と、丁寧な微笑み。
――フィーランド侯爵夫人。
王都の慈善サロンをいくつも取りまとめ、貴族夫人たちの間で強い発言力を持つ女性だ。
今日のような茶会で無造作に切り捨てれば、周囲の夫人たちまで巻き込んで場が荒れてしまう相手でもある。
「フィーランド侯爵夫人」
駆け寄ってきた王妃付きの侍女長リディアが、低く名を呼んだ。
フィーランド侯爵夫人は、優雅に一礼する。
「侍女長殿。本日は王妃陛下の素晴らしいお茶会にお招きいただき、光栄にございます」
「そのカードは、茶会の正式な備品ではありませんね」
「ただの遊び心ですわ。近ごろ王都では、レイベルナ様の銀の鈴の話で持ちきりですもの。せっかくでしたら、皆様も少しだけ拝見したいのではと思いまして」
周囲の貴族たちが笑った。
レイベルナは卓上のカードを見下ろす。
「私の鈴は余興の道具ではありません」
「まあ。そんなに固く考えなくても」
「フィーランド夫人」
今度は王妃の声だった。
庭の奥から戻ってきた王妃が、静かにこちらへ歩いてくる。
怒鳴りはしない。
だが、笑ってもいない。
「その席の表示は、私の許可を得たものですか」
フィーランド侯爵夫人の笑みが、少しだけ固まった。
「お、王妃陛下、失礼しました。もちろん、無理にとは申しませんわ。ただ、皆様の間では、そういう趣向があるものと噂されておりましたので」
「そういう趣向、ですか?」
レイベルナの声に、フィーランド侯爵夫人は扇で口元を隠した。
「ええ。わたくしも、詳しいことまでは存じませんけれど」
そのとき、一人の若い令嬢が小さな紙片を胸元から取り出した。
「これのことかしら……?」
淡い銀色の紙片。
そこには流れるような文字で、こう印刷されていた。
――呼び鈴鑑賞券。
王妃陛下のお茶会にて、呼び鈴の令嬢による特別披露を拝見できます。
レイベルナの周囲から、一斉に声を呑む音がした。
庭の入口にいたセドリックが、すでにこちらへ歩き出している。
「どちらで受け取ったものですか」
若い令嬢は青ざめた。
「わ、私は……王都のサロンで、皆様に配られていたものをいただいただけですわ」
フィーランド侯爵夫人の扇が止まる。
「私どものサロンだけではございませんわ。いくつかの集まりで、ただの記念として配られているものです。たいしたものではございません」
「記念の紙に、王妃陛下のお茶会の名を入れたのですか」
レイベルナは銀色の紙片を受け取って言う。
「しかも、私が披露すると勝手に書かれております」
「皆様に分かりやすいよう、少し華やかに整えられたのでしょう」
「華やかに整えれば、他人の名を使ってよいわけではありません」
「レイベルナ嬢」
王妃が静かに名を呼ぶ。
「はい、王妃陛下」
「私の茶会の名が使われ、あなたの鈴が披露されるものとして配られています。まず、この鑑賞券の責任を明らかにしなさい」
「承知いたしました」
フィーランド侯爵夫人の扇が、また動き始めた。
「そ、そんな大げさな!」
「余興扱いされた時点で、十分大げさですわ」
レイベルナは右手を開いた。
銀の鈴が、手のひらに現れる。
周囲がざわめいた。
「え、本当に……」
「鈴が……」
「呼び鈴の令嬢よ!」
さきほどまで噂話をしていた貴婦人たちの顔から、軽い笑みが徐々に消えていく。
信じていたわけではない。
見世物のように話していた。
だが、目の前に銀の鈴が現れた瞬間、誰もが見る前と同じ調子ではいられなかった。
レイベルナは銀の鈴を持ち上げた。
「この鑑賞券を刷った責任者を、お呼びしますわ」
――チリン。
銀の音が、東庭に落ちた。
次の瞬間、茶会の中央に、青い前掛け姿の若い男が現れた。
片手には、淡い銀色の券束。
もう片方の手は、なぜか王妃陛下の方へまっすぐ差し出されている。
「では、お代は――」
男の声が、そこで止まった。
差し出した自分の手を見る。
王妃を見る。
レイベルナを見る。
手の中の券束を見る。
そして、そっと手を引っ込めた。
「……今、私はどなたに請求しようとしましたか」
「王妃陛下ですわ」




