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【連載版】婚約破棄? 責任者をお呼びしますわ 〜スキル《呼び鈴》で大変なことになりました〜  作者: 桜めんと
第3章「白百合の門が閉ざされる前に、責任者をお呼びしますわ」
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第24話 名を残さない紙


  ――チリン。


 銀の音が落ちた次の瞬間、広間の端に細い青年が現れた。


 片腕には分厚い書類束。

 もう片方の手には木椀を持っている。

 口元には、煮豆の汁が少しついていた。


 どう見ても、昼食の途中だ。


「……え」


 青年は木椀を見た。

 広間を見た。

 猫を抱いた財務卿を見た。

 銀の鈴を持つレイベルナを見た。


 最後に、もう一度だけ木椀の煮豆を見た。


「すみません。今、食べ続けていい流れではありませんね」


「ここはかなり食べにくい場所ですからな。私も先日は、朝食のパンを諦めました」


 その横で、ラウルが干し肉を一口かじる。


「俺は干し肉中っすけど、この人は煮豆中っすね」


「ラウルさん。あなたの場合、場所はあまり関係なさそうですわね」


 ラウルは干し肉を口元で止め、広間と干し肉を見比べた。

 レイベルナはそれ以上追求せず、会計記録の空白欄を示す。


「この会計記録の最終確認者の欄を、空白にした書式を作ったのはあなたですか?」


 青年は一度その空白を見てから、諦めたように頷いた。


「……はい。その書式を作ったのは僕です。エドウィン・リードと申します」


 広間の空気が変わった。


「では、なぜ最終確認者欄を空白にしたのですか」


「黒い紙に、そう書いてありました」


「黒い紙?」


「はい。会計記録の書式を作る依頼は、後援会から正式に来ていました。その書類束の中に、差出人も署名もない黒い紙が挟まっていたんです」


 マルヴィナが叫んだ。


「だから、私は知らないと言っているでしょう!」


 エドウィンの肩が跳ねた。

 木椀の中で煮豆が小さく揺れる。


「で、でも、その束は会長確認済みとして回ってきたものです。そこに黒い紙が入っていたら、僕には後援会の指示に見えます……!」


 マルヴィナの顔が強ばった。


「書式を作るようには頼みましたわ。ですが、最終確認者欄を空けろなどとは言っておりません!」


「そこは、これから確認します」


 レイベルナが静かに返す。


「ただ、マルヴィナ様が作成を依頼した会計記録の書式に、この黒い紙が紛れ込んだ。そして、会長確認済みの書類束としてエドウィンさんの手元へ届いた。その事実だけは残りますわ」


「利用された可能性はありますな」


 財務卿が穏やかに切った。


「――ですが、会長として、発行する書類を管理する責任は残りますぞ」


 マルヴィナは言葉を詰まらせた。

 レイベルナはエドウィンへ視線を戻す。


「エドウィンさん、あなたを責めているのではありません。その黒い紙は、今どこにありますか?」


 エドウィンは息を呑み、顔を上げた。


「あります。こちらの中です」


 エドウィンは抱えている書類の束を見下ろした。


「その紙を見た後、なんだか怖くなって……捨てるのもまずい気がして、依頼書の束へ戻しました。ちょうどその束ごと返すところだったので、持っていたのです」


 財務卿の目が鋭くなる。


「正式な命令ではない。署名もない。ですが、会長確認済みの書類束に紛れていたせいで、書類係には指示に見えたわけですな」


 会計のニコルが金貨が入った小箱を持ち直した。


「私は、その書式を使って会計記録を整理しました。最終確認者欄が空白なのは、受け取った時点でそういう形だったからです」


 セドリックが問う。


「なぜ先ほど言わなかったのですか」


 ニコルは少しだけ視線を落とした。


「二冊の会計記録を分けていた時点で、私の会計係としての人生は終わったと思っていました」


「まだ続きがありましたわね」


「はい。終わった人生に追い打ちが来ました」


 ラウルが干し肉を持ったまま、ぼそりと言う。


「書類って怖いっすね。空欄ひとつで人生が終わるっすよ」


 エドウィンは煮豆の木椀を抱えたまま震えている。


「……僕は本当に、その欄を作っただけなんです。最終確認者の名前を書かないようにとの指示があったから、空けただけで……」


「そこが問題ですわ」


 レイベルナは会計記録を見た。


「運んだ人の名は残っています。受け取った人の名も、会場を確認した人の名も残っています。けれど、最後に全体を決めた人の名だけが残っていません……」


 エドウィンの顔から血の気が引いた。


「……僕が空けた欄のせいで、最終的な責任者が誰かわからなくなってるということですか」


「はい。この空白はただの空欄ではありません。人の責任を消すための空白です」


 広間が静まり返った。

 マルヴィナが震える声で言う。


「わ、私は、本当にその黒い紙を入れておりません!」


「入れた者が誰であれ、やはり会長確認済みとして回ってしまった責任は残ってしまいますな」


 その一言で、マルヴィナの顔色が変わった。

 財務卿が猫を撫でながら、低く続ける。


「後援会から会計記録の書式作成を依頼する。その束に黒い紙が紛れる。書類係が、その指示で最終確認者欄の空いた書式を作る。会計係は、その書式で記録を整理する……繋がっておりますな」


 レイベルナは会計記録の空白を見た。


「そして、会長と副会長の確認を通った形になっています。人も物もお金も動いているのに、最後に全体を決めた人の名だけが残らない……かなり計画されているとみるべきですわ」


「そう見るべきですな」


 財務卿が頷いた。


「責任だけが、綺麗に抜け落ちていますわ」


「ええ。猫の毛より困る抜け方ですな」


 猫が、みゃ、と少し怒ったように鳴いた。

 ラウルが真顔でうなずく。


「猫の毛はまだちゃんと見えるっすよ」


「ラウルさん。今はそこではありません」


 レイベルナは、エドウィンが抱えている書類束へ視線を向けた。


「では、その会長確認が済んだ書類束を見せてください」


「は、はい」


 エドウィンは木椀を抱えたまま固まった。


「……煮豆は、どこへ置けば」


 その言葉に、財務卿の腕の中の猫が、ぴくりと耳を動かした。


「みゃ」


「ミ……、猫殿。これは人間用です。味が濃いのでいけません」


 財務卿は猫を片腕で抱え直し、もう片方の手を出す。


「煮豆殿はこちらへ」


「ありがとうございます」


「猫殿が狙う前に机の端へ避難させましょう」


 エドウィンは煮豆の木椀を渡すと、抱えていた書類束を机に広げた。


 寄付者名簿。

 会場配置図。

 物資移動の控え。

 会計記録の書式。

 

 ――白い紙が何枚も並ぶ。

 その折り目の奥に、一枚だけ色の違う紙が挟まっていた。


「……これですわね」


 レイベルナが指先でそっと引き出す。

 薄い黒い紙が、机の上へ落ちた。


 広間の音が、そこで止まった。



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