第15話 王妃基金
レイベルナは手配保証書を王妃へ差し出した。
白い指先で紙面の端を押さえ、ゆっくりと上から下まで目を通す。
その間、監査室にいた誰もが声を出さなかった。
財務卿の腕の中で、猫だけが小さく尻尾を揺らしている。
「――ありません」
短い一言だった。
だが、それだけで十分だった。
「この手配保証書は、王妃基金から出たものではありません」
バルナードの肩が跳ねた。
「そ、そんな……っ!」
王妃の目が、そこで初めて男へ向く。
「そちらの方は?」
財務卿が一歩引いた声で答えた。
「文書院主任、バルナード・ケイルです。今回の文書処理に関わっております」
王妃の声は静かだった。
「この百合は王妃基金の正式印ではありません。私の基金の印は、王冠を抱いた百合です。これはただの百合ですね」
王妃は手配保証書の端に描かれた印を見下ろした。
「白百合慈善院の名に寄せて、王妃基金の文書に見せかけている。悪意のある似せ方です」
「⋯⋯っ」
バルナードは言葉に詰まっている。
財務卿の顔が険しくなった。
「王妃陛下。白百合慈善院への支援は、実際に止まっておりますか?」
「王妃基金としてはもちろん止めていません。ですが、このような保証書があるというなら、早急に確認が必要でしょう」
王妃はすぐに答えた。
「孤児や病児を受け入れている慈善院です。食料、薬、薪、布。どれも切らせてよい場所ではありません」
レイベルナは手配保証書の文字を見た。
――――
一、王妃基金は、白百合慈善院に対する当月分の支援について、緊急手配を行う。
一、食料、薬、薪、衣類その他必要物資の調達および換金手続きは、モーント商会を通じて一括して行うものとする。
一、上記手続きについて、王太子執務室はその履行を保証する。
―――――
最後の行だけではない。
二行目が、さらに悪い。
「王妃基金は、そもそも商会を通じて支援物資を手配することはありえません」
王妃の声が一段低くなる。
「白百合慈善院への支援は、基金の管理下で直接行います」
モーント商会。
あの夜、王家資金を私的に流した疑いで拘束された名。
「また、モーントですか」
セドリックの声が低くなる。
財務卿も猫を撫でる手を止めた。
「モーント商会の名は、最近は害虫よりもよく見かけますな」
「財務卿、かなり強い言い方ですわ」
王妃が背筋を伸ばした。
「財務卿」
「はい」
「害虫に失礼です」
監査室が静まり返った。
「害虫は、王妃基金の名を使って慈善院への支援を横取りしません」
王妃は手配保証書を机に置いた。
「この文書を王宮の正式文書として通した者は誰ですか?」
その問いで、バルナードの喉が鳴った。
レイベルナはその反応を見逃さなかった。
「バルナード主任」
バルナードの片頬にだけ残った髭が、情けなく震える。
「わ、私は命じられただけで……この保証書を⋯⋯私は……」
「では、誰が作ったのですか?」
レイベルナが問うが、バルナードは口を閉じたままだった。
ただ、さきほどまでとは違う沈黙だった。
怯えではない。
まだ、どこかで自分だけは逃げられると思っているような沈黙。
リゼットが手配保証書の二行目を指した。
「この文書によれば、白百合慈善院への支援はモーント商会を通じて一括手配された扱いになっています。保証書の効力はすでに⋯⋯」
トマスが丸いパンを握りしめたまま、小さく言った。
「じゃあ、帳面では届いたことになってしまってるのですか?!」
財務卿が感心したように目を細める。
「トマス殿、パンの形はさらに崩れましたが、発言はだいぶ整ってきましたな」
レイベルナは保証書へ指先を添えた。
「王妃陛下」
「何でしょう?」
「偽文書がもし処理されていれば、白百合慈善院への支援はトマスさんの言う通り、手配済みになるということでしょうか?」
「ええ、そうなるかと」
「では、慈善院の代わりに、すでに物資やお金を受け取った者がいる可能性がある……許せませんわ」
王妃は静かに頷いた。
「私の名を使い、子どもたちへの支援を汚した者に、きっちり説明をさせなくてはなりません」
バルナードの顔色が変わる。
「モーントはこの保証書にも関わっている。この『責任』は消えませんわ」
レイベルナが言うと、財務卿が深く頷いた。
「金の流れに名が残れば、逃げられませんぞ」
「財務卿。モーントは檻の中なのでそもそも逃げられませんわ」
「そうでしたな。つぎに捕まえるのは責任の所在ですな」
王妃は保証書に目を向けた。
「結構です。身柄が牢にあるのなら、必ず報いを受けさせます。レイベルナ嬢、皆の前で説明してもらいましょう」
セドリックが扉の前から、少しだけレイベルナの方に寄った。
呼ばれる相手がどこから来ても、通さない位置だった。
「牢の中からでも⋯⋯来てしまうのでしょうなぁ」
財務卿が低く言う。
レイベルナは銀の鈴を持ち上げた。
「では、帳面の上で受け取ったことになっている方に、来ていただきますわ」
バルナードが息を呑む。
――チリン。




