第14話 王冠のない百合
――チリン。
鈴の音が落ちた直後、机の上に一通の封書が現れた。
薄桃色の上質な封筒。
赤い封蝋には王太子執務室の紋が押され、その横には淡い金色の百合が描かれている。
ただの書類なら、ここには呼べなかったはずだ。
だが、これは王妃基金の名と凍結前の王太子執務室の保証に見せかけて、白百合慈善院への支援手配に責任を結びつけた文書だった。
「たしか王妃基金の正式印は、王冠を抱いた百合でしたわね」
「はい」
リゼットが封書を見て頷く。
「ですが、この百合には王冠がありません。基金の文書に見せかけていますが、本物ではありませんわ」
バルナードが額の汗を拭いた。
「わ、私は、そのような文書は知りません!」
「主任。先ほどからご存じないものが多すぎますわね」
トマスが丸いパンを握ったまま、大きくうなずいた。
「主任、さすがに多いです!」
「お前は黙っていろ!」
財務卿が感心したように目を細める。
「パンの形は崩れておりますが、気持ちは折れておりませんな」
レイベルナは封書を開いた。
中の手配保証書には、硬い文字でこう記されている。
―――――――
一、王妃基金は、白百合慈善院に対する当月分の支援について、緊急手配を行う。
一、食料、薬、薪、衣類その他必要物資の調達および換金手続きは、モーント商会を通じて一括して行うものとする。
一、上記手続きについて、王太子執務室はその履行を保証する。
―――――――
その名が出た瞬間、監査室の空気が冷えた。
「また、モーントですか」
セドリックの声が低くなる。
財務卿は猫を撫でる手を止めた。
「王妃基金の支援を、モーント商会経由に切り替える形ですな」
「この文書だけで断定はできません」
リゼットは手配保証書の端を押さえた。
「ですが、極めて黒に近いです」
「国庫から見れば、もう帳面を閉じたくなる色ですなぁ」
レイベルナは手配保証書の名義を見た。
王妃基金。
王妃の名。
「王妃陛下のお名前を勝手に使った手配保証書……ですわね」
「ならば王妃陛下に確認すればよい! それができるならなあ!?」
バルナードが声を張った。
「では、確認しましょう」
レイベルナが右手を開く。
銀の鈴が現れた。
「い、今ここでか!?」
「王妃陛下のお名前を使った文書です。ご本人に確認するのが最も早いでしょう」
財務卿が目を閉じた。
「これはまた王妃陛下をお呼びする流れですな」
「財務卿、なぜ少し前のめりなのですか」
「婚約破棄の日、私は王妃陛下が呼ばれる瞬間を見られなかったゆえ」
「財務卿、さらっと言わないでください」
セドリックがレイベルナの隣に立つ。
その位置だけで、誰が来ても彼女の前には出さないと分かった。
レイベルナは小さく息を吸い、鈴を持ち上げる。
「では、確認しましょう」
――チリン。
次の瞬間、監査室の中央に王妃が現れた。
片手には湯気の立つ茶杯。
もう片方の手には、まだ口をつけていない小さな焼き菓子。
どう見ても、茶会の最中だった。
王妃は一瞬だけ瞬きをし、それから室内を見渡した。
灰色の猫を抱いた財務卿。
片頬だけ髭の残ったバルナード。
丸いパンを握ったトマス。
薬瓶を抱えたミラ。
監査室副官リゼット。
そして、銀の鈴を持つレイベルナと、その横に立つセドリック。
次の瞬間、全員が一斉に膝をついた。
「王妃陛下。お茶会中にお呼びしてしまい、大変申し訳ございません」
レイベルナが真っ先に謝罪する。
王妃は茶杯を見た。
焼き菓子を見た。
それから、机の上の手配保証書を見た。
「今回は、口をつける前でしたので」
「申し訳ございません」
「いいえ。お菓子より先に確認すべきことがあるようですね」
すぐにセドリックが王妃の手から茶杯と焼き菓子を受け取り、丁寧な手つきで机の端に置いた。
王妃は手配保証書へ視線を向ける。
「レイベルナ嬢。また、誰かの責任が私の名につながっているのですね?」
監査室の空気が、すっと冷えた。
「はい。王妃基金の名を使った保証書が見つかりました」
「見せてください」
王妃の声は荒くない。
だが、その一言だけで、誰も余計な口を挟めなくなった。




