第111話:同じ流れは、街ごと変える
朝。いつも通りの空気、畳の匂い、台所から焼き魚の音と味噌汁の湯気、窓の外では近所の商店街が店を開け始めている、昭和の朝の音は毎日ほとんど変わらない、だが頭の中だけは完全に別の場所を見ている、通りは押さえた、店は回る、金も入り始めた、そして昨日、外部の人間が来た、それはつまり“外の街”がこっちを見始めたということだった。
「恒一、新聞」
母が言う。
「はい」
新聞を受け取る。
紙を開く。
地方欄、小さな再開発の記事、駅前整備、商店街の衰退、全部頭に入る。
(始まってるな)
そう思う。
昭和五十年代後半に向かって、都市は変わる。
人が集まる場所も変わる。
だから――先に押さえる。
「最近、ほんと静かね」
母が笑う。
「考え事?」
「うん」
短く返す。
「勉強?」
「違う」
それだけ。
(もっと大きい)
そう思う。
店じゃない。
街だ。
学校へ向かう。
通学路。
八百屋、乾物屋、自転車屋、昔ながらの店が並んでいる。
だが――。
(消えるな)
未来を知っている。
この景色の一部は消える。
大型店。
再開発。
駅前集中。
流れが変わる。
だから先に動く。
教室に入る。
「おはよう」
「おはよう」
席に座る。
ノートを開く。
書く。
・通り(完成)
・資金(開始)
・次(街)
その下に。
・銀行
(来る)
そう思う。
昨日の男で終わるわけがない。
金は匂いに集まる。
授業は流れる。
黒板の文字を書きながら頭の中では別の計算をしている。
(地方都市)
今の場所だけでは弱い。
一つ止まれば全部止まる。
なら。
「複数」
それだけ。
放課後。
田中の店へ向かう。
通りに入った瞬間、昨日よりさらに人が増えているのが分かる。
スーツ姿もいる。
学生もいる。
「ここらしいぞ」
「雑誌載る店」
そんな声が聞こえる。
(早いな)
まだ掲載前。
それでも動いている。
店に入る。
「来たか」
田中が言う。
「増えてるな」
「はい」
短く返す。
「今日、また来たぞ」
(銀行か)
「どこ」
「奥」
それだけ。
店の奥を見る。
男が二人。
スーツ。
昨日より年上。
動きが静か。
(こっちは金側だな)
そう判断する。
「君か」
一人が立ち上がる。
「はい」
短く返す。
「座ってくれ」
(来たな)
席に座る。
男が名刺を出す。
地方銀行。
支店長代理。
(早い)
だが想定内。
「話は聞いている」
男が言う。
「短期間で九店舗」
「しかも全部黒」
一拍。
「異常だ」
(そうだな)
だが言わない。
「何ですか」
短く返す。
男が少し笑う。
「単刀直入に言おう」
「融資させてほしい」
(来た)
田中が横で小さく吹き出す。
「普通逆だろ」
男も笑う。
「普通はな」
「だが、君は違う」
それだけ。
(見る場所が違うな)
そう思う。
金を貸す側の目だ。
「理由」
短く聞く。
男が即答する。
「広がるからだ」
一拍。
「この流れは止まらない」
(理解してる)
そう思う。
「条件」
短く言う。
男が少し驚く。
「話が早いな」
「必要」
それだけ。
男が頷く。
「低金利」
「担保は柔軟」
「だが」
一拍。
「継続取引が条件だ」
(当然だ)
「悪くない」
短く返す。
田中が横で笑う。
「小学生の会話じゃねえな」
(関係ない)
そう思う。
金の流れに年齢はない。
その時。
入口が開く。
「すみません!」
少し慌てた声。
全員が見る。
男が一人。
少し離れた地方都市の商店会名が入った腕章。
(来たな)
「誰」
短く聞く。
男が頭を下げる。
「〇〇市駅前商店会です」
地方都市。
電車で一時間ほど離れた場所。
「話、聞きました」
息を整えながら言う。
「店を立て直したって」
(速いな)
雑誌前。
口コミだけでここまで来た。
「見せてほしいんです」
男が続ける。
「うちの駅前、かなり厳しくて」
一拍。
「人が流れない」
(同じだ)
通り。
店。
街。
全部同じ。
「何店舗」
短く聞く。
「十数店舗です」
(大きいな)
田中が横で低く言う。
「一気に来たな」
(始まった)
そう思う。
もう店単位じゃない。
街単位。
「見に行く」
短く言う。
男が顔を上げる。
「本当ですか」
「見るだけ」
それだけ。
「それで十分です!」
男の顔が明るくなる。
(飢えてるな)
そう思う。
地方都市。
昭和後半。
大型店に押され始める時代。
まだ表面化していないが、流れは始まっている。
「駅前か」
恒一が小さく呟く。
男が頷く。
「昔は人が多かったんです」
「でも最近は……」
(止まってる)
それだけだ。
「流れ」
短く言う。
「変える」
それだけ。
男が止まる。
「……はい」
強く頷く。
銀行の男がこちらを見る。
「地方まで行くのか」
(当然だ)
「行く」
短く返す。
「面は弱い」
一拍。
「街で取る」
それだけ。
沈黙。
数秒。
銀行の男が笑う。
「なるほどな」
「君はもう店を見てない」
(そうだ)
「流れ見てる」
短く返す。
田中が吹き出す。
「ほんと意味分かんねえなお前」
だが顔は笑っている。
店の中を見る。
客が回る。
入口で止まり、入り、注文し、流れる。
(小さいな)
そう思う。
昨日までなら十分大きかった。
だが今は違う。
もっと広く見えている。
夜。
家に帰る。
机に向かう。
ノートを開く。
書く。
・銀行(接触)
・地方都市(依頼)
・次(駅前)
その下に。
・街(開始)
(いいな)
ここから変わる。
通りじゃない。
街だ。
駅前。
人の流れ。
土地。
全部繋がる。
「……見えてきたな」
小さく呟く。
昭和の地方都市。
まだ安い。
まだ遅い。
だが未来では違う。
(先に取る)
そう決める。
布団に入る。
目を閉じる。
駅前の景色が浮かぶ。
シャッター。
人の減った通り。
古い店。
だが――。
流れを変えれば戻る。
店ではなく街ごと。
(面白いな)
そう思う。
流れはさらに大きくなった。
もう後戻りはできない。
その段階に、完全に入った。




