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第66章「再会」

「和人。久しぶり」


 昼休み、渡り廊下に差し込む午後の光の中で、美佳が立ち止まった。


「おかえり」


 和人は足を止め、軽く肩をすくめるように応じた。


「なんか、和人たくましくなった?」


 美佳は彼の腕や肩のあたりを目で追った。


「美佳も、少し雰囲気変わったな」


「はっきり言ってくれていいよ。留学中に10キロ太ったんだから。やばいよね?」


 廊下に、軽い笑い声が転がる。


「それはやばいな」


 即答だった。


「そんなことないよって言うとこー」


 美佳は和人に拳銃のように向けた指先を振って指摘した。


「10キロはさすがに言えない」


 和人は片手を上げて降参の仕草をした。


 短い沈黙のあと、二人とも声を出して笑った。


「でも美佳、もともと細すぎだったから、ちょうど良くなったと思うけど」


「やっさしー。あ、てか和人、写真やってるんだね。バスケ辞めたなんて驚いた」


「怪我したからな」


 和人は膝のあたりを指差した。


「怪我、ひどかったの? もう出来ないの? バスケ」


 遠くで生徒達の賑やかな声が響く。


「日常生活は問題ない。ただ、長時間激しい運動すると痛むんだ。続けられないこともなかったけど、怪我で休んでる間にポジション取られて、親父死んで。なんか脱力したっていうか――どうしてもやる気になれなかった」


 和人は視線を廊下の先に向けたまま話し切った。


「あの……お父さんのこともね、帰国してから知ったの。パパもママも、和人が伝えないつもりみたいだったから、その気持ち汲んで、留学中の私は今は知らない方がいいって判断したみたいで……。ごめんね、私そんな時に追い打ちかけるようなこと――」


 美佳は言葉の途中で口を閉じた。


「いや。美佳の両親に口止めしたのは俺だし、その時腐ってて、連絡とらなかったのも俺だよ。当時はそれなりにきつかったような気もするけど、今は写真が本当に楽しくて、充実してるんだ」


「良かった」


 その一言が、渡り廊下に残った。


「色々あったから、今があると俺は思ってるよ」


「あんなに可愛い彼女もいるもんね。えーと……和久井さん?」


 美佳は微笑んだ。


「あ、知ってんだ?」


「あれ。聞いてない? この前部室行ったの。それで和久井さんと少し話した」


 階段を上り下りする足音が、背後を通り過ぎる。


「いつ?」


 短く問い返した。


「先週。部室で少し和人待たせてもらってたんだけど、私あまり時間なかったから和人来る前に帰ったの。あ、私達が付き合ってたとか余計な話はしてないからね。和人電話番号とかその他の連絡先も変わってたから連絡手段もなくて」


「なんか用だった?」


「ううん。ママにバスケのことと和人のお父さんのこと聞いて、いてもたってもいられなくて。お線香あげに行かせてもらおうかなって思ってたけど、彼女いるなら家まで行くのは遠慮しとこうかなと思って」


「そうだったんだ。ありがとな。気持ちだけもらっとく」


「あとはただ謝りたかったの。あの時は不誠実な振る舞いだった。ごめんなさい」


 美佳は頭を下げた。


「過去のことだ。気にすんなよ。美佳は? あの時話してた人とはうまくやってんの?」


「うん、同じ時期に彼も帰国して、今は市内に住んでる。もともと北海道の人だったんだけどこっちで就職したの。カナダに支社がある企業だから来年4月からカナダ支社に異動になるんだ。だから私が卒業したら向こうで2人で暮らそうって話してるの。彼は仕事で、私は大学」


「そうか。美佳の昔からの夢だったもんな、カナダに住むの。頑張れよ」


「和人も写真頑張って。またね」


 美佳は踵を返す。


「ああ、じゃあな」


 その背中に、短く声を投げた。


* * *


 二年ほど前のことだった。


 美佳はスマートフォンを耳に当て、和人が電話に出るのを待っていた。


 何度目かの呼び出し音のあと、通話が繋がる。


「もしもし和人? 久しぶり……」


『ああ、久しぶり』


 久しぶりに聞いた和人の声は、いつもよりずっとそっけなかった。


 最近は連絡もほとんど取れていなかった。


 胸の奥でずっと引っかかっていたけれど、自分から連絡する気にも、どうしてもならなかった。


 彼の気持ちが離れていっているような気がして、それでも、また友達に戻れるような気もしていた。彼との付き合いの中で、絆のようなものも感じていた。


「……あの、今少し話せる?」


『うん』


「今私、インターナショナルクラスにいるんだけど……色んな国の留学生がクラスにいてね」


『ああ、前に言ってたよな。楽しい?』


「うん。かなり刺激もらってるよ。日本人は私の他に、二つ上の男の人がいるの」


『そう』


 美佳はスマートフォンを握り直した。


「それでね、和人。私その人のことが好きになっちゃったんだ」


 通話口の向こうから、返事はなかった。


 きっと傷つけた。動揺させた。


 覚悟を決めて連絡をしたつもりだったのに、彼を傷つけたという罪悪感と恐怖で、鼓動は早くなる。


 それでも、一つ息を吸ってから口を開く。


「その人に好きだって言われて、私も好きになっていたことに気づいたの。和人と別れて、その人と付き合いたいと思ってる。自分勝手でごめんなさい。和人とのこときちんとけじめつけてから、改めて返事するって伝えてあるの」


 言い終えて、和人の返事を待つ。どのくらいの時間だったか、とにかく沈黙がひどく長く思えた。


『そっか。わかった』


 あまりにもあっさりとした返事だった。


『最近連絡してなくて、ごめんな』


「……ううん。私が、ごめん」


 短い沈黙が落ちる。


 別れを告げても、和人の声色はほとんど変わらなかった。


『元気でな、じゃあ』


「うん……今までありがとう。元気でね」


 通話が切れた。


 美佳はスマートフォンを耳から離し、しばらく画面を見つめていた。


 やがて画面が暗転し、自分のぼんやりとした顔が映る。


 動揺したのは、自分の方だった。


 美佳は小さくため息をついた。


 まだ和人の声が、耳に残っている。


 自分から別れを切り出したのにもかかわらず、それを寂しいと感じてしまう自分に、ずるさと矛盾を感じる。


 友人だった頃から考えれば、和人とはかなり長い付き合いだった。

 こんなにあっさり終わるものなんだ。


 何年も一緒にいた。

 初めて好きになった人だった。


――なのに。


「あたしの方から、終わらせたんだ……」


 自分に言い聞かせるように呟いても、胸の奥が痛んだ。

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