第65章「消えない不安」
放課後、紗江は昇降口へ向かって廊下を歩いていた。
階段を下り、廊下へ出たところで、少し先を歩く見覚えのある後ろ姿に気づく。
写真部の部長で、ユキナの彼氏。
――東先輩だ。
その隣には、女子生徒がいた。
艶のある長い黒髪に、すらりとした後ろ姿。全校放送で帰国の挨拶をしていた、三年生だ。
二人は何か話しながら歩いていた。
紗江は特に気に留めることもなく、そのまま後ろを歩いていた。
けれど、二人が廊下の端にある空き教室の前で立ち止まる。
和人が扉を開け、女子生徒が先に中へ入った。
続いて和人も入り、扉が閉まる。
紗江は思わず足を止めた。
「……?」
しばらく閉じた扉を見つめてから、紗江は再び歩き出した。
――ユキナ、知ってるのかな。
それだけが、少し気になった。
その夜、紗江は自室のベッドでスマートフォンを手に取り、ユキナとのトーク画面を開いた。
『明日の放課後暇? 久しぶりに駅前のカフェ行かない?』
送信すると、ほどなくして既読がつく。
『暇だよー! 行こ行こ!』
いつも通りの返事だった。
* * *
放課後、ユキナは紗江とカフェに来ていた。
テーブルを挟んで向かい合い、紗江が先に口を開いた。
「ねえ、ユキナ。彼氏とはどう?」
ユキナは、透明な袋からストローを取り出し、氷の音を立てながらアイスティーに刺した。
「変わりなく、仲良くやってるよ」
「そっか」
一拍置いて、グラスを軽くストローでかき混ぜながら、ユキナが続ける。
「でもさ、この前、部室にいたら三年生の女の人が和人を訪ねて来てさ。和人、その時ちょうど職員室行ってたから、その人部室で少し待つことになって」
それを聞いて、紗江が顔を上げる。
「どんな人?」
「ほら、この前の交換留学の帰国報告の挨拶してた人いたじゃん?」
「ああ……うん」
「その人なんだけど、小学生からの友達みたいで、和人って名前で呼んで親しげだった。なんとなく、昔付き合ってたんだろうなって思った」
話しながら、ユキナの顔はみるみるうちに陰っていく。
「何の用だったの?」
紗江が尋ねる。
「和人のお父さん亡くなってるんだけど、その人、和人の家族と親しいみたいで。でも亡くなった当時は留学中で、知らなかったみたいで……多分、そのことを話したかったみたい。でもあんまり時間なかったみたいで和人来る前に結局帰っちゃったの」
「ふーん。それでわざわざ部室に来たんだ」
紗江は訝しげに言った。
「別に嫌な感じはなかったんだ。寧ろ、明るくてとってもいい人だった。それが逆に不安になっちゃって……。私、和人にその人が部室まで会いに来て待ってたこと言えなかった」
ユキナは視線を落とし、大きなため息をついた。
「そのあと、別の日に二人で話してるの見かけたから、あの日部室に来たことは多分もう知ってると思う。それについて和人は何も言ってこないし、そのままにしてる。でもなんかずっとモヤモヤしてるんだ」
紗江は昨日の光景を思い出した。
廊下を並んで歩いていた二人。
空き教室の前で立ち止まり、扉の向こうへ消えていった姿。
やはり、ユキナは知らない。
少し間を置いて、紗江が言った。
「あの……さ。私、その人とユキナの彼氏が空き教室に入ってくの見たの」
「え?」
「昨日の放課後」
ユキナが思い出すように言う。
「そう言えば昨日、和人部室来るの遅かった」
紗江は視線を外しつつ続ける。
「ユキナの彼氏に限って、裏切るようなことはないと思うけど、何か気になっちゃって。言うか言わないか迷ったんだけど、今の話聞いたら、ユキナその女の人のこと気にしてるみたいだったから」
紗江の言葉を聞いて、ユキナが続ける。
「私と付き合う前、中二から二年付き合った人がいるって前に言ってたの。きっとその人なんだと思う」
「そうなんだ、二年も付き合ってたんだ」
「留学中に別れたなら、和人とその人はずっと会ってなかったってことだよね」
ユキナの言葉を受け、紗江は少し考えるようにしてから言った。
「たまたま会って久しぶりに――世間話とか?」
「でも、世間話程度で空き教室なんて入らなくない?」
「まあ……。そうだよね」
「和人、なんで話してくれないのかな」
「直接聞いてみたほうがいいよ。何か事情があるのかも」
「でもなんかそれって、疑ってますって感じ丸出しで聞きづらいなぁ。和人はそんな疑われるようなことする人じゃないし、信じてる。でも不安に思ってる時点で和人に失礼だよね……」
ユキナが息をつく。
「あの人、美佳さん。二年間も留学してたなんて、すごいよね。雰囲気もね、なんかこう……凛としてるっていうか」
ユキナはストローを指先で弄びながら、ぽつりぽつりと続ける。
「和人と同じ人種だなって思った」
「同じ人種?」
「うん。纏ってる空気感っていうか、なんか同じだった。自然体で、芯がしっかりある感じ。私とは全然違うなーって……」
そこまで言って、ユキナは小さく息を吐いた。
「想像したら美佳さんの方が、私よりもはるかに和人とお似合いってゆーか……」
ユキナはそこまで言うと、テーブルに肘をつき、両手で顔を覆った。
「あーもう! 自分ウザい!」
自問自答を繰り返し、ヤキモキしている様子を見て、紗江が笑みをこぼす。
「ユキナ、超可愛い」
「えっ?」
「彼氏のこと、大好きなんだね」
「うん。好き」
「じゃあ尚更、そのままにしちゃダメだよ」
「うん……。そうだよね。折りを見て、ちゃんと話してみる」
「がんば!」
紗江の言葉に、ユキナは小さく頷くと、ほんのわずかに背筋を伸ばした。




