第33章
岬付近をひとしきり撮影し、太陽が西へ傾きはじめた頃、和人が口を開いた。
「遅くなったけど、一旦なんか食べに行こうか」
「わーい。お腹ぺこぺこー!」
弾んだ声に、和人はわずかに目を細める。ユキナの手からカメラを受け取り、そのまま自分の肩へストラップをかけた。
「え、いいよ」
「望遠レンズ、重かっただろ。構え続けんのもなかなか体力いるよな」
「和人だって、こんなに機材持ってるじゃん」
ユキナは、彼の肩にかけられた複数のレンズケースと三脚のケースを指差す。
「俺は別に」
「自分で持つよ」
ストラップを軽く引くと、和人はそれを止めるように手首へ触れた。
「……カメラ構える時、持ち直したりして結構辛そうだったの知ってるぞ」
和人に言われ、ユキナは少し黙ってから口を開く。
「実は、腕パンパンです。……お願いします」
「まだ最初だから。慣れてきたら、きっと余裕で持てるようになるよ」
申し訳なさを含んだ表情に、和人は短く笑った。
和人はスマートフォンを取り出し、事前に調べていた近隣の店をいくつか見せる。ユキナは、その中から釜焼きピザの店を選んだ。
岬を降りる前に展望室へ立ち寄る。トイレを出ると、ロビーのベンチに腰掛けた和人の姿が目に入った。
「お待たせ」
声をかけると、和人は顔を上げた。
「行こうか」
彼は立ち上がり、荷物を持ち直した。
歩き出しかけたところで、ユキナの視線がふと逸れた。壁際に並ぶカプセルトイのマシーン。その中の一つに、赤い文字が浮いている。
『ハート型南京錠 500円』
部室での会話が頭をよぎり、足がわずかに止まる。
その変化に気づいた和人が、同じ方向へ視線を向けた。
「ああ、南京錠」
「あ……ね。ハート型の南京錠なんて、あるんだね」
「すごい数だよな。あのモニュメントにかかってるやつ、全部鍵だろ」
和人はガラス張りのエントランス越しに見えるオブジェを指差す。ハート型のシルバーの枠に、色とりどりの南京錠が重なり合っていた。
「こういうのは、カップルがやるもんだよな」
穏やかな声だった。抑揚もなく、いつも通りの調子で言われた一言が、通り過ぎずにそのまま残る。
* * *
ドアを開けた瞬間、焼けた生地の香ばしさと、低く流れるジャズの音が重なって広がった。
天井はやや高く、梁には温かみのある木材が使われている。壁の一部はレンガがむき出しで、奥の窯の炎がちらちらと反射していた。人の声と食器の触れ合う音が混ざり合い、空間全体に一定のリズムをつくっている。ワインボトルが並ぶ棚が視界に入り、家庭的でありながら洗練された落ち着きがあった。
席に着き、数種類のピザとサラダを注文する。
焼き上がったピザが運ばれてくると、皿の上で立ち上る湯気とともに、チーズがふわりと香った。ユキナの目は輝いて、満たされた笑みを和人に向けた。その視線を受け、和人はわずかに口元を緩めた。
「なんで和人の体つきがしっかりしてるのかわかったよ」
ピザを齧りながら、ユキナは言った。
「こんなに重い機材を持ち歩いたり、その望遠レンズを構え続けているなんて。私なんて、最後の方、腕に力入らなくてブレたりしてさ」
「俺のは特に昔のだから重いんだ。始めたばかりの頃は長時間構えてられなかったよ。バスケ時代に筋トレは毎日してたけど、それとは全然、使う筋肉が違う感じ」
「私も力つけなきゃ」
「そのカメラなら俺のよりは軽いから、きっとすぐ慣れるよ。他の機材は、慣れるまでは毎回俺が持てばいいし。無理せず、楽しくやろ」
――毎回。
これからの撮影を、当たり前のように二人で重ねていくものとして扱われたことに、ユキナは少し遅れて気づいた。
部長としての配慮に過ぎないと理解していても、その響きだけが妙に長く残った。
店を出ると、白んでいたはずの空気が、少しだけ薄く色づいていた。
再び階段を上がって岬へ戻るころには、太陽は海を真っ赤に染めていた。
和人は何も言わず、カメラを構える。
ためらいのない動きで、何度もシャッターを切った。
つられるように、ユキナもカメラを構えた。
レンズの向こうで、和人の姿は影として立ち上がる。
細部は黒く消えている。輪郭だけが鮮明だった。
繰り返されるシャッター音と、沈んでいく光。空は一色ではなくなり、橙と紫が静かに混ざり合っている。
シルエットなのか、コントラストなのか、何をみているのかわからなくなる。
「効果すごいな。俺らのてるてる坊主」
そう言って振り向いた和人は、穏やかに笑っている。
刻々と色を変えて同じ形には留まらない。
掴めないままでいい。
ユキナは微笑み返し、刹那の空を見上げた。




