第30話
岬へのドライブを二日後に控えた木曜の放課後。部室で、ユキナは岬の観光情報サイトをスマホで調べ、すっかり旅行気分に浸っていた。
「別名、恋人岬?」
思わず声に出すと、隣でレンズを拭いていた和人が顔を上げる。
「え?」
「この岬の通称みたい」
「へえ。一緒に夕日を見たらとか、鐘を鳴らしたらとか……そういうジンクスがある感じ?」
「えっとね、二人で柵に南京錠をつけたら、永遠に結ばれる……だって」
「客引きのための後付けだろうな」
「見て。鍵、たくさんついてる。ほら」
ユキナは隣の和人にスマホを向け、写真を指差した。
「本当だ。かけてみる? 南京錠」
「え?」
ユキナは思いがけない彼の言葉に、そっと伺い見る。彼の表情は、いつも通り穏やかだった。
「ベタに楽しむのもありだよな」
「……うん、そうだね!」
動揺を悟られないよう、ユキナも笑顔を返す。
「あくまでも写真部として撮影しに行く前提だけど、せっかくなら少しくらい観光っぽいことしたいよな」
観光の一環。
その言葉にわずかに安堵しながら、同時に、ほんの少しだけ肩透かしのような感覚が残る。
「だね」
「まあ引率なしで車で行く時点で、部活動としては成立してないんだけどな」
「部活とか、それこそ後付け」
ユキナは笑った。
「確かに」
和人もつられて笑った。
「晴れるといいね」
ユキナは窓の外を見た。
「予報は一応、大丈夫そうだけどな」
「曇りで夕日見れないのは残念だよね」
「うん。でもそれはそれで、撮るものたくさんあるよ」
「あ……そうか」
「雲撮るほうが面白い場合もある」
その迷いのなさに、ユキナは和人を見る。
「面白い?」
「うん、面白い。雲撮るの」
和人はカメラをケースにしまいながら、心の底から楽しそうに言った。その表情を見ていると、彼なら、どんな状況でも良い写真を撮るに違いない、と思えた。
「どっちでもいいね」
ユキナはぽつりと言った。
「ん?」
「晴れても、曇っても――土砂降りでも」
「うん。……いや、土砂降りはちょっと」
肯定しかけて、和人は吹き出した。
「え? 土砂降りは、面白くないの?」
「確かに良さはあるけど。せめて小雨」
「じゃ、土砂降り以外だといいね」
「てるてる坊主よろしく」
しばらくして会話が自然と落ち着き、それぞれの作業へと移った。和人は暗室へ入り、作業を始めた。
ユキナは習いたての編集ソフトを開き、マウスを動かす。
取り込んだ写真の露出を少し触ると、画面の中の光が白く飛ぶ。すぐに数値を戻し、今度はコントラストに触れる。強すぎて、また調整する。
繰り返すうちに、最初は一つ動かすたびに手が止まっていた操作の間隔が詰まっていく。
写真の中の色はわずかに陰影を帯び、最初に見ていたものとは別の質感に変化しはじめていた。
しばらく操作を続けて、ユキナは息を吐いた。
無意識に、窓へと視線を外す。
空は、さっきまでの白さを引き払って、色を含みはじめていた。部室の奥に落ちる影も、知らないうちに形を変えている。
再び、画面に戻る。
今度はためらわずにスライダーを動かし、狙った位置で止める。さっきよりも、正確に。
どれくらい経ったのか。画面の中の色と、外の空の色だけが、それぞれ違う速さで、最初の状態から遠ざかっていた。
保存してノートパソコンを閉じる。いつのまにか薄暗くなった部室から、ぼんやりと空を眺めた。遠くを飛ぶ鳥のシルエットが、茜に映えている。
「そうだ」
小さく呟くと、ユキナは部室の電気をつけた。テーブルの上にあった油性ペンとティッシュペーパーを手に取る。
しばらくして、暗室から聞こえていた水の音や、作業の気配が止む。暗室の扉が静かに開き、そこから出てきた和人は、部屋の明るさに一瞬だけ目を細めた。手についた水気を軽く払いながら、そのままユキナに視線を向けた。
「作業どんな感じ? そろそろ――」
言いかけた和人は、ユキナの手にあるものに気づく。
「えへへ。本当に作っちゃった」
そう言ったユキナの指先で、不恰好なてるてる坊主が微笑んでいる。
「あ、別にずっと遊んでたわけじゃないよ。さっきまでちゃんと作業してたからね?」
ユキナは、手元のそれを見つめたまま黙っている和人に、慌てて弁解した。
「ああ。てるてる坊主か。可愛いね」
和人の表情からふっと力が抜け、目尻が下がる。
「ふふ。はい、和人も」
ユキナはペンを渡し、ティッシュの箱を彼の方へ寄せる。
「うわ、小学生以来かも」
和人は素直にペンを受け取り、ユキナの向かいに座ると、テーブルに置かれたてるてる坊主を真似るようにティッシュを丸めて形を整えた。
「あ、括るものないや」
顔を描き終えたところで、和人は手を止めた。
「じゃあ、こうすればいいよ」
ユキナは自作のてるてる坊主につけていた自身のヘアゴムを一度外し、和人のてるてる坊主と共に、同じヘアゴムで括った。
和人は彼女の手からそれを取り、窓の近くに張られていたロープにフィルムクリップを引っ掛け、ヘアゴムの輪を通して吊るした。
「これで晴れ確定だな」
寄り添った二つのてるてる坊主が、空に浮かぶように揺れていた。




