第009話 コーヒーが来るまでに
『まず下ろせ。持ち方を変える』
「おう!」
ヴィクターが冷蔵庫を床へ戻した。
立川の喫茶店ミナト。その裏の物置で、ミカはポチを入口の正面へ飛ばした。配信も、店にいるカインとの通信も続いている。
物置から出た先には、店の壁に沿った細い通路がある。突き当たりを曲がれば、庭の回収場所だ。
そこまで運べば、昼食が待っている。
『ロッカは外から底を持て。ヴィクターは後ろへ回れ。二人で前と後ろを持つ』
「ああ。横に腕を出さなきゃいいんだな」
ロッカが冷蔵庫の下を覗き込み、すぐに顔を上げた。
「ミカ、これも持っててくれ」
裏から垂れた電源コードが、床に輪を作っていた。
「あ、待って。まとめちゃいます」
ミカは棚にあった荷造り用のひもを借りた。コードを束ねて背中側へ留め、冷蔵庫の扉も開かないように縛る。
「よし。これなら引っかからない」
「助かる!」
ヴィクターが笑った。
ロッカは入口の外へしゃがみ、底の端へ両手を入れた。ヴィクターは物置の中で、反対側を持つ。
「こっちはいいぞ」
「俺もだ!」
銀色の箱が浮いた。
二人は冷蔵庫を挟んで、ゆっくり前へ進む。今度は横に腕が出ていない。
「通るじゃねえか!」
「だから、持つ前に見れば――」
「俺、学んだぞ!」
ヴィクターが胸を張りかけた。
「今は冷蔵庫見ててください!」
ミカは端末を確かめた。画面には、冷蔵庫の両脇から二人の顔が覗いている。
人の顔ばかり撮る、いつもの癖だった。
『ミカ、もう少し下だ。箱の下と、扉の枠を入れろ』
「こうですか?」
ポチを低い位置へ移す。
冷蔵庫の底が敷居を越えた。ヴィクターも肩を斜めにして、物置から出てくる。
『そこで一度下ろせ』
「待って」
ティーラがロッカの脇へ入った。
「下ろすなら、もっと先」
彼女が靴先で、通路の板を軽く叩く。
こん、と乾いた音がした。板の端には大きな割れ目があり、その下は雨水を流す溝になっている。
ロッカの身体と冷蔵庫に隠れて、ミカからも見えていなかった。
「カインさん、ここ、古い板が渡してあります」
ミカはポチを横へ回した。板から、少し先の石畳までを映す。
『……俺の見落としだ。石の上まで運ぼう』
「ボク、前を持つ」
ティーラが冷蔵庫の底へ手を添えた。
「ロッカ、先に出て」
「頼む」
ロッカが手を抜き、板を跨いで先へ出る。
冷蔵庫は、傾きもしなかった。
ティーラが支えたまま、足元を確かめて一歩進む。その手を見て、ミカは端末を持ち直した。
細い腕だ。けれど、重い箱の片側を持っても、顔色一つ変えていない。
試験場の数字より、今の方がよく分かった。
「ティーラ、私の方も見てくれる?」
「うん。ミカ、そこは踏まないで」
「ありがとう」
ミカも割れた板を避けた。
石畳へ出ると、ロッカがもう一度底を持った。三人で冷蔵庫を支え、そのまま通路の先へ進む。
ポチがミカの横へ上がってきた。
「コメントです。『その女の子も持てるんかい』」
「ティーラです。さっき、探索者の登録をしてきました」
ミカが紹介すると、ティーラはカメラへ顔を向けた。
「よろしく」
画面に、コメントが続いた。
〈竜を止めた人の隣も強いのか〉
〈冷蔵庫運ぶのに戦力集めすぎ〉
「私も、ここまでとは思ってなかったです」
ミカは笑って、レンズの向こうへ話した。
「大きい方がヴィクターさん。指示しているのがカインさんです。今日は皆で初めての仕事をしてます」
『紹介は歩きながらでいい。次は曲がり角だ』
「はい。今、映します」
ミカが先へ進み、ポチを通路の上へ飛ばす。
突き当たりは塀で塞がれ、その手前から庭へ道が折れていた。ミカは角の内側に立たず、庭へ抜けてから振り返る。
冷蔵庫の上も、三人の足元も、今度は一緒に映っていた。
『そこで止まれ。ティーラが庭側を持つ。ロッカは少し離して、箱を回せ』
「こっちへ向けるんだな」
『そう。ヴィクター、その位置で待て』
「おう!」
ティーラが底を受け取る。ロッカが冷蔵庫の横へ手を当て、ゆっくり向きを変えた。
角を越えたところで、ミカが声をかける。
「ヴィクターさん、腕、もう少し身体に寄せてください。塀に当たりそうです」
「おっと!」
太い腕が引っ込んだ。
『よし。そのまま庭へ出ろ』
三人が通路を抜けた。
庭の端には、回収用の青いシートが広げてある。
「せーの」
ロッカの声で、三人が膝を曲げる。
冷蔵庫の底がシートへ触れた。手が離れ、銀色の箱だけが残る。
「……着いた」
ミカは扉と角を確かめた。へこみも、擦った傷も見当たらない。
「運べました。壊してません!」
「はっは! 楽勝だったな!」
「最初、入口広げようとしてましたよね?」
「広げずに済んだ!」
ロッカが笑い、ティーラも口元を緩めた。
端末から、小さく息を吐く音がした。
『全員、手は挟んでないな。じゃあ終わりだ』
ミカは置いた冷蔵庫と、並んだ三人を映した。
「というわけで、本日の依頼、完了です!」
「肉だ!」
ヴィクターが両腕を上げた。ティーラも真っ先に店の方を見る。
「皆さん、見てくれてありがとうございました。私たちもお昼をいただくので、今日はここまで。またね!」
配信と録画を止め、ミカはポチに今日の映像を保存するよう頼んだ。
カインとの通話も切って、四人で店へ戻る。
手を洗って席へ戻る頃には、窓際のテーブルに皿が並んでいた。隣の二人掛けにも一皿ある。
カインが端末を脇へ寄せ、サンドへ手を伸ばしていた。
「カインさん、もう食べてるんですか」
「冷めるだろ」
「働いた後のご飯って、こういうことかあ」
ミカが言うと、カインは一口食べてからこちらを見た。
「俺の分まで運んでくれて、ご苦労だった」
「それ、一回言ってみたかったんですね?」
返事の代わりに、コーヒーを飲んだ。
ミカも笑いながら席へ座る。ロッカは鞄を膝へ戻し、ティーラと一緒にサンドを両手で持った。
一口かじると、パンの間から肉汁が落ちた。
「うまっ」
ロッカが皿へ顔を寄せる。
隣では、ティーラが黙って二口目を食べていた。
「どう? お仕事の後だと、少し違うでしょう」
リラがコーヒーを置きながら尋ねた。
「うん。ここ、ずっと来たい」
ティーラが答えると、リラは嬉しそうに笑った。
ミカはカップを両手で包んだ。
今朝は、二人の登録に付き添うつもりだった。それが、昼には五人で冷蔵庫を運んでいる。
端末には、次も見たいというコメントが残っていた。
次も、とミカも思った。
「なあ、ロッカ」
ヴィクターが一つ目のサンドを食べ終え、二つ目を持った。
「飯食ったら、さっきの続きやろうぜ」
「力比べか?」
「おう。腕相撲で勝負だ!」
ロッカが笑った。
「いいよ。どこならやっていい?」
「ここではやるな。場所を探す」
カインが空いた手で端末を引き寄せた。
ミカは、飲みかけのコーヒーを置いた。
「その話、配信の企画にしていいですか?」
「もちろんだ! 俺の勝つところ、撮ってくれ!」
「俺だって負けるつもりはないぞ」
二人が笑っている間に、カインが画面をこちらへ向けた。
「この近くなら、ここだな。奥に広い部屋がある」
立川市内にあるダンジョンの案内だった。入口から続く通路の先に、大きな部屋が描かれている。
ミカは、その部屋についた魔物の印を指さした。
「カインさん。そこ、ボス部屋ですよね?」
「そうだ」
「ボス、いるじゃないですか」
ロッカが画面を覗き込んだ。
「倒せば空くんだろ?」
「おう! そしたら、ゆっくり勝負できるな!」
ヴィクターが嬉しそうに頷いた。
「腕相撲するために、ボス倒しに行くの!?」




