第005話 三回、たたいた
ロッカが一階へ下りると、受付の職員が裏の広場へ駆けていくところだった。
窓の向こうで、青梅ゲートが白く輝いていた。
あそこから、ティーラが出てくる。
ロッカは管理棟を飛び出し、黄色い見学柵の前まで走った。けれど、ゲートを覆っていた光は、もう薄れ始めていた。
屋根の下に、巨大な恐竜の姿はなかった。
「誰か、出てきたのか!」
柵の内側にいた職員が振り向いた。
「女性が一人。今、建物の中へお連れしました」
「女の人?」
「はい。奥の保護室です」
ロッカは光の輪を見た。
また、違ったのか。
それでも、森から来た人なら、ティーラを見たかもしれない。
「その人と、話せるか?」
「確認します。中へお戻りください」
管理棟へ戻り、受付の前で待った。ほどなく、先ほどの職員が奥の部屋から出てくる。
「お会いできそうです。こちらへ」
案内されたのは、一階の廊下の突き当たりにある保護室だった。
開けられた扉の向こうに、若い女が座っていた。
二十歳くらいだろうか。暗い茶色の髪が肩へ落ち、大きめの灰色の上着を着ている。袖からは指の先しか出ていなかった。
借りた服らしく、ズボンの裾も折り返してある。
女はロッカを見ると、椅子から立った。
金色に近い目が、大きく開く。
「あんた、森から来たのか?」
女は頷いた。
「そこに、ティラノサウルスがいただろ。でかいやつ。ティーラっていうんだ」
言いながら、女の顔を見た。
妙に近い。
返事を待つ間にも、彼女はまっすぐ歩いてきた。ロッカの前で止まり、片手を持ち上げる。
「……どうした?」
指が、ロッカの手の甲に触れた。
とん、とん、とん。
ロッカは動かなかった。
女はもう片方の手で、彼の服をつかんだ。それから少し背伸びをして、額を胸へ押しつけてくる。
顔を寄せて、返事を待つ。
狩りから戻ったときも、ロッカが熱を出したときも。邪魔だと言っても、鼻先を押しつけて離れなかった。
その頭を、いつも両手で押し返していた。
「……ティーラ?」
女が顔を上げた。
口を開く。何かを言おうとして、息だけが漏れた。
一度唇を閉じ、もう一度、ゆっくり開く。
「ロッカ」
知らない声だった。
それなのに、名前を呼んだあと、褒めてほしそうに少し首を傾ける。その顔を、ロッカは知っていた。
「おまえ……」
肩へ手を置いた。
小さかった。
両手でも抱えきれなかった首も、寄りかかられると倒れそうになる頭も、ここにはない。
けれど、服をつかむ指は離れなかった。
「ティーラなのか」
彼女は何度も頷いた。
「ボク、ティーラ」
ロッカは抱き寄せた。
腕の中に、すっぽり収まった。
「……帰ってきたのか」
ティーラの両腕が背中へ回る。上着の袖が引っかかり、一度もぞもぞと動いてから、ぎゅっと抱きついてきた。
ロッカは目を閉じた。
光の壁の向こうで、届かなかった鼻先を思い出す。
何度も手を伸ばした。
最後まで、何にも触れなかった。
「迎えに行くって、言ったのにな」
背中を抱く手に、力がこもった。
「戻れなくて……悪かった」
ティーラが身体を少し離し、ロッカを見上げた。
眉を寄せている。
その顔にも、覚えがあった。怪我をしたロッカが、平気だと言って立ち上がろうとするときの顔だ。
頬へ手が伸びてきた。
目の下を拭おうとして、指が髭に引っかかる。ティーラは一瞬だけ手を止めたが、もう一度、今度はそっと触れてくれた。
「ロッカ」
「……うん」
「だいじょうぶ」
声が、少し震えていた。
ロッカはまた彼女を抱いた。
「ああ。おかえり、ティーラ」
胸元へ顔を埋めたまま、ティーラが小さく答えた。
「ただいま」
やがて、ロッカはティーラを抱いていた腕を緩めた。二人で壁際の長椅子に腰を下ろすと、職員が水を運んできてくれた。
落ち着いてから身体の検査をするので、今はここで待っていてほしいと言われた。
職員が部屋を出て、静かに扉を閉めた。
彼女はロッカの片手を、両手で挟んでいる。
ロッカはその指を見ていた。人間の指が五本。爪も、小さく丸い。
「……本当に、人間になったんだな」
ティーラは頷き、自分の手を開いてみせた。
それから、またロッカの手をつかむ。
「どうやって来たんだよ。おまえ、光のところで弾かれてただろ」
「ロッカと……いっしょ」
ティーラは途中で言葉を切り、喉へ指を当てた。思うように声が出ないらしい。
それでも、握った手を持ち上げて、もう一度言う。
「いっしょに、行く」
「……そのために、こうなったのか」
頷く顔を、ロッカは見つめた。
自分を追って、ここまで来た。
ロッカはその手を握り返した。
「よく来てくれたな」
ティーラが笑った。唇の隙間から、少し尖った犬歯が見えた。
ロッカも笑おうとしたが、思い出して口を閉じた。
「ティーラ。母さんたちのことなんだけどさ」
彼女が首を傾げる。
「もう、いないんだって。俺がいなくなった日に、二人とも」
ティーラの手が止まった。
「会わせたかったな」
ティーラは俯いたロッカの肩へ、額を寄せた。
しばらく、そうしていた。
ロッカは、彼女の髪へ頬をつけた。
少しして様子を見に来た職員に、ロッカはミカへの連絡を頼んだ。
三十分ほど経ったころ、廊下から足音が近づいてきた。
「ロッカ、ゲートがまた――」
保護室の入口で、言葉が止まった。
長椅子に座るロッカと、その手を握っている女を見比べる。
「……お知り合い?」
「ティーラだよ」
「うん。……え?」
ミカは一度扉の外へ目を向け、それから戻した。
「ティラノサウルスの?」
「ああ」
「……人だよね?」
「俺も、さっき同じこと思った」
ティーラがミカを見た。
「ミカだ。俺がこっちへ帰ってから、ずっと手を貸してくれたんだ」
ティーラはロッカの手をそっと放し、立ち上がった。
ミカの前へ行き、両手で彼女の手を握る。
「ありがと、ミカ」
ミカは目を丸くしたまま、頷いた。
「……うん。どういたしまして」
足元のポチが、レンズを伏せたまま声を出した。
「ミカさん、お部屋の入口を塞いでいます」
「あ、ごめん」
ミカが中へ入り、扉を閉めた。ティーラがポチを目で追う。
「それ、食い物じゃないぞ」
ロッカが言うと、彼女は少し不満そうに振り向いた。
「……知ってる」
「分かってるならいいんだ。前、俺の水筒もかじったから」
ティーラがロッカの腕を軽く叩いた。
叩かれたところを押さえながら、ロッカは笑った。
今のも、何度もあったやり取りだ。
ミカが空いている椅子を引き寄せた。
「よかったね、ロッカ」
「……うん」
隣へ戻ってきたティーラを見て、頷いた。
「帰ってきた」
そのとき、ぐうう、と大きな音がした。
三人とも、黙った。
ティーラが自分の腹を見下ろしている。
「腹、減ったか?」
すぐに頷いた。
「何が食いたい?」
「肉」
今までで一番、はっきりした声だった。
「そこは変わらないんだなあ」
ロッカが笑うと、ティーラも笑った。
ミカが端末を出した。
「検査が終わったら、食べに行こうか。近くにお店あるから。それと、ロッカ」
「ん?」
「出かける前に、その髭、剃ろう。服も用意しようよ。二人の分」
ロッカは顎を撫でた。そういえば、さっきティーラの指に引っかかっていた。
「そうだな。ちゃんとするか」
ティーラが、握った手を少し引いた。
「ボクも、行ける?」
「もちろん。おまえの好きな肉を食いに行くんだから」
ティーラは部屋の扉を見た。
人が二人、並べるくらいの幅だった。
「おまえも通れるよ」
ロッカは手を握ったまま、立ち上がった。
「今度は、一緒に行こうな」
ここまで、二人の再会を見届けてくださって、ありがとうございます。
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次回、第006話「人間の初日、肉三キロ」。




