第003話 その角なら、止められる
「窓から離れて! 奥の避難室へ!」
職員が廊下の扉を開けた。さっきの母親が子供を抱き上げ、ほかの見学者と一緒に奥へ向かう。
ミカも立ち上がった。その背後で、窓の外が赤く光った。
ゲートから、炎が噴き出していた。
ゲートから四人の探索者が飛び出した。一人の剣を持つ女性が、負傷者二人を管理棟へ走らせる。あとから出てきた一人がすぐ振り返り、片手を上げる。青い光の壁が広がり、炎を空へ押し上げた。
「あの人たち、S級の……」
ミカは配信で見たことがあった。協会の制服の肩にある、金色のSの印にも見覚えがある。
炎が途切れると、ゲートから黒い頭が出てきた。
さっきの盾も、洞窟の壁も、こいつに焼かれたのか。ミカは端末を握り直した。
鼻先に長い角。鱗に覆われた胴体が続き、四本の脚が屋根の下の床を踏む。車二台分はありそうな竜が、尾まで引きずり出してきた。
その顔が、こちらを向いた。
「ロッカ、奥に行こう!」
「あいつら、まだ中へ入れてないぞ」
職員が逃げてきた探索者を支えていた。一人は脚を引きずり、もう一人も肩を貸している。
竜は頭を低くした。角が、入口へ向く。
ロッカがミカに鞄を差し出した。
「これ、頼む」
「待って。武器、まだ台に――」
「取りに行ってると間に合わない」
ミカが鞄を受け取ると、ロッカは管理棟を飛び出した。見学柵を軽々と越え、ゲートへ走る。
受付脇の台には、槍と牙斧が残っている。
ミカは追って管理棟の入口まで出た。正面に見学柵、その奥にゲート。柵の内側で、竜が頭を振っている。
建物に沿って進んだ先には、フェンスで囲われた資材置場があった。大きな門扉が開いたままになっている。
「こっちです! 扉、開いてます!」
ミカは入口の扉を押さえた。職員と二人の探索者が中へ入り、奥の廊下へ急ぐ。
「ポチ、配信を再開。マイクも。広場だけ撮って。読み上げは止めたまま」
「配信と録画を開始しました」
ポチがひさしの下へ飛んだ。ミカは扉の内側へ退き、端末の画面を開く。
広場を走るロッカと、竜が映っていた。
「竜から離れろ!」
光の壁を作っている探索者が叫んだ。
竜の喉が赤くなった。大きく開いた口から、また炎が噴き出す。
青い壁がその前を塞いだ。竜は炎を吐きながら走り出し、壁へ頭からぶつかった。
光に亀裂が走る。
ロッカは走りながら、資材置場を指さした。
「あっちに人は?」
「いない! いいから、早く戻れ!」
青い壁が砕けた。
ロッカは戻らなかった。入口と竜の間へ滑り込み、足を開いて腰を落とす。
「こっちは止める!」
迫る角は、ミカの腕ほども長かった。
ロッカが両手で、その根元をつかんだ。
巨体に押され、足が舗装を滑る。腕に巻かれたガーゼがずれた。ミカは息を止め、画面の中の背中を見つめた。
その足が止まった。
ロッカは一歩、資材置場の方へ踏み出した。角を引く。
竜の頭が横を向いた。
続いて胴体が曲がり、管理棟へ向かっていた巨体が、資材置き場へ向かっていく。
ロッカは角を放さなかった。竜に引きずられるように走り、開いた門扉を越える。
「今だ!」
ロッカは片足を踏み込み、角を押し返した。
竜が前脚を踏ん張る。
巨体はまだ暴れているが、それ以上は前へ進めなくなった。
「……よし」
ロッカは左手で角を握り直し、右手を離した。
見学柵の前にいた二人の探索者が、資材置場へ走ってくる。
「なあ、こいつ、どうするんだ?」
ロッカが顔を向けたとき、竜の口が開いた。
「口から離れろ!」
男性の叫びと同時に、口の奥が赤く光った。
ロッカは左手で角を押さえたまま、右手を竜の下顎へ当てる。
「うおっ!」
炎が噴き出す寸前、右腕を一気に突き上げた。
竜の頭がのけぞり、炎が空へ伸びた。
頬を熱風がかすめる。ロッカは思わず首を引いた。
「あっぶね! こいつ、まだ火ぃ吹きやがる!」
竜が頭を下げようとする。
ロッカは左手で角を引き、右手で顎を押し上げた。
首が反り返り、喉が大きく持ち上がる。
竜が前脚を踏み替える。ロッカの足元も滑ったが、両腕は緩めなかった。
青い光の壁が、管理棟の前へ広がった。
ミカは扉の陰へ身を縮め、端末を握り直した。
ロッカは竜の頭を押さえたまま、剣を持つ女性を見た。
「で、これ、どうするんだ?」
「そのままお願いします! 私が仕留めます!」
「ああ。頼む!」
女性が駆け込んできた。
竜が前脚を振り上げる。
女性は横へ跳んでかわし、そのまま地面を蹴った。
持ち上がった喉へ向かって跳び上がる。
銀色の剣が、薄い鱗の隙間へ突き刺さった。
竜が暴れ、資材置場のフェンスを尾で叩いた。金網が曲がる。ロッカの足もわずかに動いたが、角をつかむ左手は下がらなかった。
やがて、尾が地面へ落ちた。
口から漏れる煙が細くなる。
女性は剣を抜き、竜の様子を確かめた。
「討伐した! 周囲を確認!」
ロッカがようやく手を離した。腰に手を当て、肩を大きく上下させている。
ミカも息を吐いた。
端末を握った手が汗で濡れていた。いったん服で拭いてから、音量を上げる。
「管理棟に怪我人は?」
光の壁を作っていた探索者が、こちらへ声をかけた。
廊下の職員が人数を数え、返事をする。
「全員退避しました! 新たな負傷者はいません!」
その声を聞いて、ロッカもこちらを見た。入口のミカに手を上げる。
ミカは手を振り返した。上げた腕が、まだ少し震えていた。
「ポチ。読み上げ、戻して」
「コメントです。『今の人、さっき光から出てきた人?』」
「……そう。そうなんだけど」
「『素手で竜の頭持ち上げたところで変な声出た』」
「私も出た。聞こえてないといいな」
「マイクは有効でした」
「そこは黙っててほしかった」
周囲の安全確認が終わり、ロッカとS級の二人が管理棟へ戻ってきた。ミカは端末から顔を上げた。
ロッカの隣を歩く女性が、剣を鞘へ収めた。
「助かりました。建物へ行かせずに済みました」
「こっちも助かったよ。火を吐くのは初めて見た」
「初めてなんですか?」
「恐竜は吐かないからな。熱かった」
ロッカは腕のガーゼを押さえ直した。前と後ろを間違えたらしく、剥がれた端が指にくっつく。
「ポチ、今の配信、ちゃんと残ってる?」
「保存されています」
「よし」
S級の二人が、素手のロッカに礼を言っている。
さっきまで、図鑑を広げて子供と座っていた人だ。
光の壁を作っていた男性が、ロッカの手を見た。
「あれを止めたのは、何のスキルだ?」
「身体強化」
「……それだけか?」
「うん。角があるやつはさ、つかめるからまだいいんだよ。さっきのは、踏んでくる脚を押し返すしかなくてな」
「さっきも何かと戦ったのか」
「ブラキオサウルス。冬の肉を用意しようと思って」
男性が黙った。
ミカはロッカを見た。
「身体強化って、私も持ってるやつだよね?」
「さっき、そう言ってたな」
「私、米の袋で腰が痛くなるんだけど」
「持ち方も大事だぞ。あとで教えるよ」
そういう話なのかな、とミカは思った。隣のS級探索者も何か言いかけ、口を閉じた。
ポチがミカの肩へ戻ってきた。
「同時接続、一万人を超えました」
「……え」
端末を見た。
【同時接続 12,706人】
コメント欄に指を当てても、文字がどんどん上へ流れていく。
「『帰還した人の配信、また見たい』というコメントです」
ミカはロッカへ画面を見せた。
「これ、今ここを見てる人の数」
「一万……? そんなにいるのか?」
「私も初めて見た」
ロッカがポチを見た。さっき水を飲ませようとしていた相手を、今度はまじまじと見る。
「すごいな、おまえ」
「ありがとうございます」
「……いや、今すごかったのはロッカなんだけどね」
ミカは笑い、カメラへ向き直った。
「危険がないか、まだ確認が続いてます。近くの方も施設には来ないでください。今日は本当に、ここまで。また配信します」
終了を押した。ポチのレンズが下がる。
ミカが鞄を返すと、ロッカは中に図鑑が入っているのを確かめた。
「ミカ」
「うん?」
「母さんにも、今の見せられるか?」
「……配信の録画?」
「ああ。怖いところで暮らしてたって聞いたら、心配するだろ。ちゃんとやっていけてたって、見せたいんだ」
ミカは頷いた。
「見せられるよ。保存してあるから」
「そっか。ありがとな」
管理棟の奥から、身元の確認をしていた職員が出てきた。ロッカのそばで足を止める。
「九龍さん。ご家族の記録が確認できました。別の部屋で、お話ししてもよろしいですか」




