第019話 飛ぶ車と飛べない筋肉
「で、ロッカ。お前は飛べるのか?」
飛行シャトルの通路を挟んで、ヴィクターが尋ねた。ロッカは窓から顔を戻す。
「飛べないよ。お前は?」
「俺もだ!」
「なんで、そんなにいい声で言うんですか」
ロッカの隣で、ミカが端末を下ろした。ヴィクターは太い腕を曲げ、自分の胸を叩く。
「地面があれば、何とかする!」
「その地面が、空に浮いてるんですけどね……」
ロッカは笑い、もう一度窓の外を見た。雲の切れ間から、山と街が見えている。
リラのサンドを食べ終えた頃、シャトルが下り始めた。包み紙を鞄へしまい、ベルトを確かめる。
松本の発着場に着いたのは、昼前だった。
四人は機体を降り、預けた荷物を受け取った。ロッカは槍と袋入りの牙斧を持ち、ヴィクターは折り畳んだ担架と救急道具を背負う。
迎えの車で市の郊外へ向かうと、通行止めの柵が増え、店も閉まっていた。車は柵の前にいる職員に通され、畑の脇の広場へ入った。
広場の中央に、青いゲートが一つ立っていた。
四人が車を降りると、ゲート脇のテントから、蒼天探索社の女性職員が駆け寄ってきた。
「救援の方ですね。先行班とは、まだ連絡がついていません」
ミカが探索者証を出した。ロッカは牙斧を袋から取り出し、刃の覆いをつけたまま腰の革帯へ差す。空いた袋は、図鑑の入った鞄にしまった。
青い光の上に、文字が浮かんでいた。
【入場上限 十名】
【帰還条件 主の討伐】
【攻略期限 二〇五六年十一月十六日 午前六時】
「六人に、俺たち四人。これで、いっぱいだな」
「はい。ボスを倒せば、この入口から帰れます。医療班も、こちらで待っています」
女性職員がゲートの脇へ下がり、頭を下げた。
「お願いします」
ロッカは槍を右手に持ち、青い光へ踏み込んだ。
靴の下で、柔らかい草が鳴った。
門を抜けた先は、草に覆われた平らな島だった。正面には白い石の道が延び、その両脇に、蔦の絡んだ柱が並んでいる。
すぐ近くに、人も魔物もいない。
ロッカが後ろへ手を振ると、ティーラ、ミカ、ヴィクターが順に光を抜けた。
「……うわ」
ミカが足を止めた。
白い道は、島の反対側の縁まで続いていた。そこから石橋が架かり、木々の茂った隣の島につながっている。人が三人ほど並べる幅の橋で、両側には低い石の柵がついていた。
橋の下に、川はなかった。
地面もない。
島と島の間を、白い雲がゆっくり流れていた。
ロッカは、橋の向こうから空へ目を移した。
もっと高いところにも、島が浮いている。緑の木々を載せた大きな岩の塊だ。岩の底から長い根が垂れ、その脇を、細い滝が落ちていた。
水は途中で風に散り、白い霧になる。日を受けた飛沫の中に、小さな虹が見えた。
その奥にも、さらに奥にも、大小の島が重なっている。白い石柱の立つ島もあれば、草と花だけに覆われた小さな島もあった。
四人の足元にも、薄紫の花が咲いていた。風が渡るたびに、草と一緒に揺れる。
知っている森とは、まるで違った。
土と木が、自分の目よりも高い空に浮かんでいる。
「ティーラ。滝まであるぞ」
「うん。……綺麗だね」
隣に来たティーラが、遠くの虹を見上げていた。
「ああ。映像で見るより、ずっとでかいな」
ロッカは足元へ目を戻し、槍の石突きで草の下を軽く叩いた。土のすぐ下から、硬い岩の感触が返ってくる。
ミカは背後の門のそばへしゃがみ、持ってきた小型の中継機を置いた。ポチの映像を門の外へ送るためのものだ。
「カインさん、映ってますか?」
『見えている。周りをゆっくり映せ』
『僕の方にも届いてます』
続いて、航の声がした。
ミカが立ち上がり、ポチへ手を向ける。レンズが草地から白い道、石橋、その向こうの森へと動いた。最後に空の島と滝を映す。
〈本当に空に庭がある〉
〈滝の水、途中で霧になってる〉
〈こんな場所に入れるのか……〉
「コメントです。『ミカ、端には寄るなよ』」
「寄らないよ。ここからでも、よく見えるでしょ?」
ミカは門から離れすぎない位置で、もう一度ポチを橋へ向けた。
『その橋を渡っています。昨日の姉たちは』
航の声に、ロッカは白い道へ目を戻した。
敷石の脇の草が踏まれ、土に靴の跡が残っている。その先に、折れた矢が一本落ちていた。
「ミカ、ここを映してくれ」
「うん。ポチ、下をお願い」
ミカが近づき、レンズを矢へ向けた。ロッカは橋までの道を見渡す。
途中で、一本の柱が横倒しになっていた。道を横切り、両端が草地へ埋まっている。避けて歩けるが、担架で人を運ぶには邪魔だった。
「俺が前を歩く。ヴィクター、後ろを頼む」
「おう!」
ティーラがミカの隣につき、四人で道を進んだ。ポチも高く飛ばず、ミカの肩の辺りをついてくる。
横風が吹き、ミカの上着の裾が大きく揺れた。彼女が足を止めると、ロッカも止まった。
「大丈夫か?」
「うん。ちょっとびっくりしただけ。先、行かないでね」
「行かないよ」
風が弱まるのを待ち、ミカが一歩踏み出してから、ロッカも歩いた。
倒れた柱の前で、ヴィクターがロッカに並んだ。柱はロッカの腰ほどの太さがある。
「これ、退けようぜ。帰りに通れるようにな」
「そうだな。俺も持つよ」
「一回、やらせてくれ」
ヴィクターは担架と救急道具を道の脇へ置き、柱の真ん中にしゃがんだ。下へ両手を差し込み、少し浮かせて持ち直す。
埋まっていた両端が、土から剥がれた。
「よっ、と」
柱が持ち上がる。ヴィクターはそれを道に沿う向きへ回し、広い草地へ運んでいった。
ミカがポチを向ける。
「ヴィクターさん。ゆっくり下ろしてくださいね」
「分かってる!」
ヴィクターは膝を曲げ、柱を草の上へ寝かせた。転がらないことを確かめ、手を離す。
白い道が、橋まで通った。
「ほらな。飛べなくても、運べる!」
「今、かなり頼もしかったです」
「今だけみたいに言うなよ!」
〈柱って持って運ぶものなのか〉
〈腕相撲で勝った方だよな〉
〈帰りの担架のこと考えてたんだな〉
ヴィクターが荷物を背負い直す間に、ティーラが道へしゃがんだ。
「ロッカ。これ」
柱があった場所の敷石に、赤黒い筋がついていた。
血だった。
そこから先へ、小さな滴が続いている。すぐ脇に落ちていた紺色の布には、『蒼天探索社』という白い刺繍が残っていた。
ミカがレンズを下げると、航が息を呑んだ。
『会社の上着です。姉たちの班も、着ています』
少し間があった。
『それ、姉のですか?』
「肩の階級の印は、残ってないね。これだけじゃ、誰のものかは分からないよ」
ミカは布を撮ってから、血の跡を追ってポチを動かした。画面の奥に橋が入る。
「橋の向こうで襲われたんだよな」
ロッカが聞くと、ミカも橋へ顔を向けた。
「うん。あの白い鳥が出たのは、橋を渡った先だよ」
ロッカは足元の血を見た。
「じゃあ、誰かここまで戻ってきたのかもしれないな」
道の脇には靴跡がいくつも重なっていた。誰がいつ歩いた跡なのかは、まだ分からない。
ロッカは血を踏まないように立ち上がり、先を見張った。
血の跡は、橋へ続いていた。
『その先も、足元を映しながら進んでくれ』
カインの声に、ミカが頷いた。
「行けるよ」
「ああ」
四人は、さっきと同じ並びで道を進んだ。
橋の手前には、柱が三本並んでいた。どれも途中から折れ、上の部分が草地に落ちている。白い折れ口の一つに、長い羽が挟まっていた。
ロッカは左手で羽を抜いた。
自分の肘から指先までより長い。硬い芯の周りに、真っ白な羽毛が揃っていた。
朝の映像で、紬を打ち落とした翼を思い出す。
「……あいつのだな」
ティーラも、羽と折れた柱を見比べた。
「ここにも来てる」
ロッカは羽を道の端へ置いた。槍を左手へ持ち替え、右手で穂先の覆いを外す。布を鞄へしまい、右手で柄を握り直した。
そのとき、柱の陰で小石が擦れた。
ロッカは槍の先を橋へ向けたまま、空いた左手を後ろへ振った。
「ミカ、少し下がってくれ。柱の陰に何かいる」
ティーラも音の方を向き、ミカの前へ出た。
折れた柱の陰から、灰色の頭が持ち上がる。
鳥だった。
立ち上がると、曲がった嘴がロッカの胸の高さに来る。細い首に対して脚は太く、指の先には黒い爪があった。
嘴が開き、頭の後ろの羽が一斉に立つ。
〈いた〉
〈昨日の映像にいた小さい方?〉
〈これで小さい方なのかよ〉
羽ばたきが聞こえた。
橋の向こうの森から、もう二羽が飛び立った。枝の間でも、灰色の頭が次々に動いている。
ミカは橋から離れ、来た道を数歩戻った。ティーラも一緒に下がり、鳥との間に立つ。
ヴィクターは二人の後ろの道端へ、担架と救急道具を下ろした。
「橋の上じゃ、やるなよ」
ロッカが言うと、ヴィクターは頷いた。
「人を連れて帰る道だからな」
「おう。こっちで相手をする!」
ヴィクターが道の横の草地へ出た。ロッカも橋から離れた草の上へ下がり、二人で鳥を待ち受ける。
灰色の目が、こちらを追った。
「こっちだ」
ロッカは槍を構えた。
「道を空けてもらうぞ」




