第018話 喫茶店にS級の弟が来た
「助けて!」
女の声の直後、画面が白い羽で埋まった。
硬いものが砕ける音がした。空と地面が入れ替わり、倒れた石柱のそばへ、紺の上着を着た人が落ちる。
映像は、そこで止まった。
立川の喫茶店ミナトの窓際で、ミカはテーブルに置かれた端末から顔を上げた。
向かいの少年は画面から手を離し、膝の鞄を握っていた。
「昨日の、夕方です。それから、一度もつながっていません」
二〇五六年十一月十五日の朝。
あのバーベキューから三週間ほど、五人で運搬や回収の仕事を重ねてきた。今日も次の仕事を探していたところへ、この少年が来た。
蒼天探索社で、探索者との連絡を受け持つ管制の見習い。鷹宮航、十七歳。
最後に映っていた女性は、姉の鷹宮紬だという。
「紬さんって、あのS級の?」
ミカが聞くと、航は頷いた。
「皆さんに、姉の班を助けていただきたいんです」
カインが奥の席から椅子を寄せた。
「最初から見せろ」
航が手元の端末を操作し、映像を戻した。
青い空に、草の生えた島が浮かんでいた。底からは木の根が垂れ、その下は雲に隠れている。
白い石柱が並ぶ島から、隣の島へ古い橋が延びていた。
画面の端を、紬が飛んでいく。橋の向こうへ降り、後から来る仲間へ手を振った。
「長野の松本に入口がある、空中庭園です。姉たちは六人で入りました」
「人が作った場所なのか?」
ロッカが、石柱を指した。
「分かりません。あの橋も柱も、もともと向こうにあったものです。うちの会社が管理しているのは、地上の入口だけです」
紬の仲間が、小さな鳥の魔物を射落とした。
紬も剣を抜き、橋へ降りてきた別の一羽を斬る。危なげはなかった。
「ボスさえ見つかれば、その日のうちに終わるって。姉はS級ですし、僕も、そう思っていました」
航が再生を進めた。
島の向こうから、大きな翼が現れた。
羽の一本が、人の腕ほど長い。
曲がった嘴。太い脚と、黒い鉤爪。全身を白い羽に覆われた、巨大な鳥だった。
羽ばたくと、橋の上の人たちが一斉に伏せた。
紬が空へ上がり、仲間へ近づく鳥の横へ回る。
鳥が身体をひねった。
大きな翼が紬を打った。彼女が石柱へ叩きつけられ、仲間の声が重なる。
そして、さっきの悲鳴だった。
航が映像を止めた。
「連絡も、配信も、ここで全部切れました。姉も、ほかの人も、返事をしてくれません」
「何人、動けるかも分からねえんだな」
ヴィクターの問いに、航が頷いた。
ミカは、止まった画面を見直した。
倒れている紬の片腕が、鳥へ向かって伸びている。
「協会には頼んだのか」
カインが尋ねた。
「昨夜から、会社と一緒に。近くで救援を頼めるS級は、ほかのダンジョンに入っていて。ボスを倒すまで戻れないそうです」
「期限は?」
「明日の朝六時です」
航が、入口を撮った画像へ切り替えた。
【入場上限 十名】
【帰還条件 主の討伐】
その下に、期限が浮かんでいる。
「青梅には、こんなの出てなかったぞ」
「青梅は、いつでも帰れる通常型です。人数と期限が出るのは時限型。ここは、ボスを倒すまで帰れません」
航が、画面の期限を指した。
「これを過ぎれば門が消えて、中の空間が松本側につながります。あの鳥も、町へ出てこられるようになるんです」
十人まで。
もう六人が入っているから、残りは四人だった。
ロッカとティーラ、ヴィクター。それに、自分。
ミカは隣の三人へ目を向けた。
航の端末が震えた。画面を見た彼は、唇を結んで通知を閉じる。
「協会の担当からです。攻略の見通しを早く出してほしいって。昨日から、何度も」
画面には、未確認の連絡がいくつも並んでいた。
「周りの町では避難も始まっています。会社も、ほかに入れる人を探してます。でも……」
航が端末の画面を切り替えた。
映っていたのは、立川のボス部屋だった。
大爪熊が走り出す。
ティーラが腹を殴り、下がった顎を打ち上げた。熊が倒れる。
ミカは、あの日の画面を覚えていた。
「相原さんに相談したら、皆さんのことを教えてくれました。僕には、このB級の熊も倒せません。でも、ティーラさんは、二発で」
航が次の映像を開いた。
坑道の甲殻獣を、ロッカとヴィクターがひっくり返している。
後ろでは、ティーラが負傷した浦野を守っていた。
「あの甲殻獣も、弱い魔物じゃありません。殴り飛ばさずに倒して、動けない人も連れて帰った」
ミカは、端末を操作する航の指を見た。
爪の脇の皮が、赤くなっていた。
「何度も見ました。この五人なら、って」
航が顔を上げた。
「皆さんの力を信じて、お願いに来ました。姉たちを、助けてもらえませんか」
ロッカが、椅子の背から鞄を取った。
「俺は行くよ」
「ボクも」
ティーラも立ち上がった。
「人を運ぶものも、持っていくぞ」
ヴィクターが言うと、カインが端末を開いた。
「入口の場所と、今ある映像を全部送れ。切れる前に歩いた道もだ。俺はここから見る」
「……え。やっぱり、私も行く流れ?」
ミカは自分を指さした。
「ロッカたちはさ、強いじゃん? 私は普通にF級だからね。熊が来たら、普通に逃げるからね」
「いいよ。そいつは俺たちで止める」
ロッカは、当たり前のように答えた。
「ミカには、見えたものをカインへ伝えてほしい」
「お前の映像がなければ、俺も中が見えん」
カインが端末から顔を上げた。
あの坑道でも、ポチを動かすたびに、カインから返事が来た。
ミカは画面に残る白い羽を見てから、航へ目を向けた。
「……分かりました。私が撮ります。でも、移動は私の速さでお願いします」
「おう。歩幅、合わせる!」
ヴィクターが頷いた。ティーラも、ミカの隣へ来る。
「一緒に歩こう。足元も、ボクが見る」
ミカの前へ、依頼書の画面が向けられた。
「私たち、全員F級ですけど。入れるんですね?」
「はい。民間の入口ですから、等級で一律には止めません。うちの責任者が、皆さんへお願いすると決めました」
航が五人の名前を示す。
「救援に必要なものと移動の費用は、会社が出します。報酬もお支払いします」
ミカは頷いた。
それから、自分の端末を出す。
「私たちが入ってからの映像は、外に配信しても大丈夫?」
「はい。ただ、救助された方の顔や怪我は、本人の確認が取れるまで公開しない条件です」
「分かった。その間は、カインさんたちへの中継だけにするね」
「ポチ」
肩の横で、丸いレンズが動いた。
「録画を始めるのは、出発してから。航くんに、私たちの映像も送れるようにして」
「承知しました」
ミカは航へ向き直った。
「お姉さんを見つけたら、まず知らせる。外で待っていてね」
航は何か言いかけ、頭を下げた。
「……お願いします」
そのあと、ミナトのテーブルには、出発の支度が次々に並んだ。
ロッカは鞄の中を確かめ、図鑑を入れ直した。穂先を覆った槍と、袋に入れた牙斧も持つ。
ヴィクターが会社から届いた担架と救急道具を受け取った。
ティーラは食料の包みを自分の荷物へ入れ、ロッカに頷いた。
カインは送られてきた映像を開く。
「ミカ。入ったら、最初に周りを映せ。今の俺には、昨日の道しか分からない」
「はい」
四人で店を出ると、リラが裏口から追いついてきた。
「これ、持っていって。向こうへ行くまでにも、食べてね」
渡された袋には、包んだサンドが入っていた。
「ありがとう。行ってくるよ」
ロッカが受け取り、ミカたちと店先に停まっていた会社のワゴン車へ乗り込んだ。
車は、立川市内にある飛行車の発着場へ向かった。ミカは移動の間、航から届いた画像を見ていた。
画面の端にある白い翼が、何度見ても大きい。
発着場に着き、四人は会社の車を降りた。荷物を下ろして向かった先には、青い飛行シャトルが待っていた。会社が手配した、松本行きの空飛ぶ車だ。車体の左右には、大きな回転翼がついている。
ミカはその車体を背に、配信を始めた。
「皆さん、こんにちは。今日は、救援の依頼で松本へ向かいます」
〈空中庭園の?〉
〈紬さんの配信、昨日止まったままだよな〉
〈あそこに行くの?〉
「うん。中には六人。今の様子は、まだ分かりません。私たちは四人で入ります。カインさんも、外から一緒です」
『聞こえている』
カインの声がした。
ヴィクターが担架を搭乗係へ渡す。ロッカも槍と牙斧を預けた。
ミカは四人の荷物が載ったのを確かめ、開いた扉から機内へ入った。窓際に座ったロッカの隣へ腰を下ろす。
「コメントです。航さんから。『頼む。姉ちゃんの顔、もう一回映してくれ』」
ポチの声に、ミカは端末を見た。
航だった。
入力欄へ指を伸ばしかけ、カメラを見上げる。
「うん。見つけてくる」
隣で、ロッカがベルトを留めた。
「ミカ。あの映像、もう一回見せてくれ」
「鳥のところ?」
「ああ。脚が見えるところ」
ミカは航から届いた動画を開き、ロッカへ向けた。
大きな回転翼が動き始め、窓の外で係員が離れていく。
ロッカは、手元の映像を見ていた。
鳥の脚が伸びるところまで戻し、もう一度再生する。
「おい、ロッカ! 飛んだぞ!」
通路の向こうから、ヴィクターが声を張った。
「いや、今、映像を――」
顔を上げたロッカが、窓へ振り向いた。
「うわ! 飛んでんじゃん!」
発着場の車が、もう小さく見えた。建物の屋根が下へ遠ざかり、その向こうに街が広がっていく。
「すげえ! 見てみろ、ティーラ! 飛んでるぞ!」
ティーラも、反対側の窓へ顔を向けた。
「うん。飛んでる」
それから、通路越しにロッカを見た。
「ロッカ、嬉しそう」
「嬉しいよ。ほんとに飛ぶんだな、これ!」
「ボクも嬉しい」
ミカは、あの青いノートを思い出した。
空飛ぶ車に乗ってみたい。
ロッカが言ったことを、自分で書いた。
ポチが窓辺の二人を順に映すと、コメントが流れた。
〈飛ぶより鳥の脚に夢中だったのかw〉
〈そっちは初めてなのね〉
〈ティーラまで嬉しそう〉
「……大丈夫かな、この人たち」
ミカは小さく呟いた。
ロッカは名残惜しそうに外を見てから、ミカへ向き直った。
「さっきの続き、いいか。鳥が下りてくるところ」
「うん。ここね」
画面の中で、白い鳥が両脚を伸ばした。
ロッカが、その爪を指さす。
「ティーラ」
「うん」
「こいつも、下りるときには脚を出すんだな」
ティーラが画面を覗き込んだ。
「つかむつもりだね」
「だったら、届く」
ロッカは顔を上げた。
「飛べなくても、捕まえられるぞ」




