第78話 動き出す世界 15
上から来る。
ただ単に落ちる、のではない。
"刺す"ために落ちる。
ヘルマンは、視線を上げなかった。
上を見ると、反応が遅れる。
遅れたら、廊下の先の扉が破られる。
彼は床の振動だけで三体目の軌道を読んだ。
梁が、ほんのわずか鳴る。空気が薄くなる。
重力が、敵の味方をしている。
「……左だ」
呟くと同時に、ヘルマンは一体目の腕を手首ごと外へ投げた。
投げたのではない。
自分の胸から"剥がした"。
一体目の体が半回転し、その背面が非常灯の薄い光を受けた。
その一瞬、ヘルマンの目が、背中のパネルの"熱の筋"を見た。
能力増幅装置の冷却循環ユニット。
そこだけは、嘘をつけない。
ヘルマンは、拳をそこへ叩き込もうとした。
だが二体目が、背後から腕を伸ばしてきた。
拘束をされる。関節固定。二体目は押さえつけにかかった。
最短時間で"動かせなくする"ための手順。
それを読んだヘルマンは拘束される前に、わざと背中を預けた。
相手の腕を、抱き込むようにして絡め取る。
そして、肘を折る角度へ持っていく。
そのとき、三体目が落ちてきた。
天井の闇が、人体の形に凝縮して降る。
無音。
風圧すらない。
ただ、落ちる"意志"、落ちるボディだけがある。
ヘルマンは、二体目の腕を抱き込んだまま、ほんの少し腰を捻った。
落下地点を、半身ぶんだけずらす。
落ちてきた三体目は、ヘルマンではなく、二体目の背へ突き刺さる形になった。
金属と金属がぶつかる音??それは初めて聞いた"敵の音"だった。
硬い。冷たい。嫌な音。
ベルリン郊外のモニターが、一瞬乱れた。
絵が"映えない"。
味方同士がぶつかった映像は、商品価値が下がる。
高官の眉がわずかに動いた。
バルツェクの口元だけが笑った。
「まだ……いい。混乱してる。だが構わん。結局は戦闘の結果だ」
ナマズ・ビル。
ヘルマンは、その一秒で距離を稼いだ。
稼いだ一秒を、廊下の奥へ渡す。
扉の向こうで、ロータが息を呑んだ。
心臓が嫌な拍動をした。
人間になった体は、裏切り方も人間だ。
イザベルはルカの脈を指で押さえたまま、耳を澄ませていた。
聞こえるのは無音。
だがその無音の"密度"が増していく。
ルカが、目を閉じたまま呟く。
「……来る。扉に来る」
「分かってる」
イザベルは答えた。
言葉は強い。指先は震えている。
震えを隠さない。隠さないで、やる。
ロータが扉の前に立った。
武器はない。
あるのは、闘う意地だけだ。
廊下の奥で、ヘルマンがもう一度床を叩いた。
ドン。
合図。二回目。
今度は"準備しろ"の合図だった。
そして、非常灯の光が、また刃物みたいに割れた。
TYPE-Σが、三体まとめて"工程を組み直した"のだ。
一体がヘルマンを押さえる。
一体が扉へ走る。
一体が天井から、治療室内へ直線で落ちる。
それが、彼らの最短。
ヘルマンは、その最短の"唯一の嘘"を探した。
どんな最短にも、必ず綻びがある。
ヘルマンの目が、一体の背面の熱の筋を捉えた。
放熱パネル。
そこだけが、熱を吐いている。
「……そこだ」
呟いた瞬間、ヘルマンの拳が熱の筋をとらえた。




