第71話 動き出す世界 8
起動の朝 。
初秋でも北海の風は、既に冷たい刃となって出で立つ者の貌を斬る。
MSONCGヨーロッパ分室。
旧Uボート修理ドックを改装した軍事施設のすべての壁は鉛で覆われ、外界の一切の波動を遮断していた。
その中心に、MSOの主戦兵器TYPE-Σの初号機は屹立していた。
何もしていない。
ただ、立っている。
それだけで、室内の空気が硬直する。
「……起動、0500、確認済み」
技術士官が端末を見ながら言う。
「感情抑制モード、維持中。心拍は変動なし。体温、人工循環制御内。中枢指令系統回路、再起動完了」
何を問われてもTYPE-Σは答えない。
返答という機能は、そもそも設けられていない。
「対象:日本、東京、ナマズ・ビル、若しくは、駿河、相州院別邸。旧ヨハネの四騎士、物理的に抹消……」
端末に、御子神龍雅とケイ、x3000の映像が映し出される。
TYPE-Σの瞳が、一瞬ほんのわずかに収束した。
視覚モジュールがターゲット認識を完了しただけ。
そこに「敵意」も「任務意識」も存在しない。
「投入モードは?」
「単独戦闘」
技術士官は即答した。
「極東への強襲輸送機、0600発。現地時間夜間に潜入開始。作戦時間は“15分”と設定。それ以上の作戦延長投入は、“逆に宣伝効果を損なう”と判断」
軍事作戦ではない。広告用の殺戮作戦だ。
TYPE-Σが動いた。
一歩。
それだけで、床の温度が変わったように感じられた。
音はしなかった。
その背に、ハイブリッド・ブレード、超音波関節駆動補助機構。サイバー・ハイブリッドタイプの人工心肺、最大出力500メガワット。中枢電子頭脳冷却循環パネルが銀色に光っていた。
“生きていないのに、生きている”
周りの人間の眼にはそう映る。
TYPE-Σが歩くたびに、施設の技術者たちが本能で後ずさる。
誰も命令はしていない。
だが、全員が理解していた。
「……彼は、帰ってこないかもしれないな」
ひとりの技術者が、ぼそりと呟く。
「任務失敗?」
「違う」
「失敗できない者ほど、回収されない。次の闘いが待って居よう。戦場は世界だ」
TYPE-Σが格納庫のシャッターの前に立った。
外には、極東行きの輸送機が待っている。
その内部に、
ミッション・カプセルが設置されている。
酸素も感情も不要の兵士の、冷蔵保存席だ。
「……発進五分前です」
技術士官が、静かに言った。
TYPE-Σは、何も応えなかった。応えないことは、極めて正常な状態だった。
その朝、世界のどこにも報道はされなかった。
だが、国一つを滅ぼす能力を持った“設計された殺意の存在”が、東京に向かって飛び立っていた。
それは、戦争ではなかった。不要となった者の“清掃”であった。




