第68話 動き出す世界 5
夜が明けていた。
x3000のランプは、もう静かに消えている。
治療を終えたロータが目を開けた。
天井の鉄骨が、ぼやけた光の中に浮かんでいる。
呼吸は、苦しくない。
胸の中の、響きが整っていた。
もう、禍々しい"何か"は、なかった。
ロータは、静かに上半身を起こした。
すぐに、違和感が走る。
重い。
身体が、重い。
いや――普通だ。
手を握る。開く。
以前なら、金剛石すら握りつぶす掌。
今は、ただの人間の手だった。
「……そうか」
呟いた声に、感情はなかった。
ただ、確認するのみだった。
ロータは、作業台の端に手をついた。
ゆっくりと、立ち上がる。
膝が、軋む。だが、倒れはしない。
人間の脚。ただ、それだけの感覚。
「……生きてるな」
それは、驚きだった。
強くない身体でも、立てるという。
その瞬間、彼は初めて――。
「超神力に守られていた命」ではなく、「選び取った命」として、この朝を迎えていた。
そのとき、誰かが椅子を引いた音がした。
ルカだ。
包帯の巻かれた目で、ロータの方を向いている。
「おはよう、凡人」
笑っていた。
ロータも、笑った。
「……二度と戦えない身体だ」
「でも、今朝は、死んでない」
「それで十分だ」
ロータは、その言葉を胸に落とした。
十分か――。
まだ、分からない。
だが、選んだのは自分だ。
地下の空気は、静かに流れていく。
イザベルが、奥の部屋で処置を受けている。ヘルマンは、敵襲に備えて、外の警戒に立っていた。
龍雅と阿羅業が、次の治療の準備に入っている。
世界は、止まらない。
x3000は、冷却状態に入り、再起動を待っていた。
ロータは、端末の前に座っていた。
視線は画面にない。動いているのは、
彼の思考だけだった。
ドアが開く音。
イザベルが入ってきた。
脇腹には、まだ包帯が巻かれている。
その直後、ヘルマンも現れた。
両者は、互いに視線を交わさない。
「……決めなきゃな」
ルカが、先に口を開いた。
「誰が先に、凡人になるか」
その言い方に、イザベルは何も言わなかった。
「俺は後でいい」
ルカが続ける。
「視力ももうダメだ。動きもブレてる。この身体じゃ、お荷物だ」
「それでも」
イザベルが静かに言う。
「……今、あんたが動ける唯一の騎士よ」
「私は……まだ銃なら撃てる」
沈黙が漂う。
誰かが、決断しなければいけない空気。
そのとき、ロータが椅子から立ち上がった。
「……俺が守る」
イザベルとルカが、一斉に彼を見る。
「今は、戦えない。走るのも、跳ぶのも無理だが――撃たれるくらいならできる」
その言葉に、ルカが眉をひそめた。
「冗談じゃねぇ」
「冗談じゃない」
ロータは、言い返した。
「今、盾になる奴がいなきゃ、誰も"人間"になれねぇんだよ」
イザベルは、口を噤んだ。
ルカは、顎を引いた。
やがて、イザベルが言った。
「……私が行く」
誰も、否定しなかった。
「私が先に、力を捨てる」
その言葉は、静かだった。
だが、凛としていた。
龍雅と阿羅業が入室してきた。
制御卓に立ち、端末を立ち上げる。
「準備ができた」
阿羅業の声に、誰も言葉を返さなかった。
イザベルが、ゆっくりとx3000の治療台に横たわる。
ロータが、扉の前に立つ。
視線は、定まっている。
「邪魔をする奴は俺が通さねぇ」
それは、宣言だった。
凡人となった騎士が、最初に選んだ戦場だった。
「人間として生まれ変わった。いい気分だ。それだけでいい」
本当にっ良かったのか、まだ、分からない。
だが、選んだのは自分だ。
地下の空気は、静かに流れていく。
イザベルが、奥の部屋で処置を受けている。ケイとヘルマンは、敵襲に備えて、外の警戒に立っていた。
龍雅と阿羅業が、次の治療の準備に入っている。
世界は、止まらない。回り続ける。




