第67話 動き出す世界 4
夜のナマズ・ビル。
風の音も、遠くの車の走行音も、防弾ガラスに吸われて消えてしまう。
円卓のある部屋には、四騎士のうち、二人しかいなかった。
イザベルと、ヘルマン。
ロータは休養、ルカは別室。
全員が揃わない夜は、危険な夜だ。
イザベルは、端末の画面を見つめていた。
「……来るわね」
独り言のような声。
ヘルマンは、窓際から動かない。
「……ああ」
それだけだった。
次の瞬間、非常階段の方で、小さな金属音がした。
「……鍵を開けようとしている」
イザベルが、低く言う。
エレベーターは使わない。監視カメラを避け、記録を残さず、騎士の存在を抹消するために来た者の動きだった。
ヘルマンが、一歩、前に出る。
「……殺す気だ」
「ええ」
イザベルは、端末を閉じた。
「でも、急いでる」
扉が、わずかに軋む。
音を殺した、完璧に近い侵入。
だが――完璧ではない。
ここには、神を超す能力者がいる。
ヘルマンは、影の位置を読んだ。
呼吸の間隔。重心の掛け方。
侵入者は、一人。
それは、想定外だった。
「……単独?」
イザベルが、眉をひそめる。
「……"試し"ね」
次の瞬間、天井から、人影が落ちた。
音は、ほとんどしない。
男だった。
年齢は、三十代前半。
軍用装備ではない。だが、動きは軍人以上に洗練されている。
ヘルマンは、ためらわなかった。
一歩、踏み込む。
男の刃が、空を切る。
速い。
イザベルが、後退しながら、短く言った。
「……追放派の刺客ね」
男は、何も答えない。
ただ、標的を定めている。
――イザベル。
御子神龍雅の情報を握っているのは、彼女だ。
ヘルマンが、その前に立つ。
刃と拳が、一瞬、交錯した。
鈍い音。
男の肘が、不自然な方向へ曲がる。
それでも、男は声を上げない。
静かに歯を食いしばり、もう一度、刃を振るった。
イザベルが、静かに言った。
「……終わりよ」
男の動きが、一瞬、止まる。
それは、命取りだった。
ヘルマンの拳が、男の喉元を打つ。
一撃。
男は、崩れ落ちた。
イザベルは、深く息を吐いた。
「……最初の一人ね」
ヘルマンが、男の装備を確認する。
「……識別なし。所属は不明。だが――」
ヘルマンとイザベルは顔を見合わせる。
「……我らを消せとの命令を受けていることは、明確だ」
イザベルは、夜景を見た。
光は、変わらない。
だが、自分たちの周りの世界は、激しく変わっている。
「……始まったわ」
追放派の最初の刺客は、"小手調べ"だった。
だが、次は違う。
この夜、四騎士は理解した。
彼らが人になるという選択は、MSOの誰かにとっては、許せない裏切りなのであろう。
そうなると、彼らは、もう一度、立つことになる。
生きるために。
* *
景山別荘の作業場では、x3000の起動準備が、最終段階に入っていた。
中は異様な静けさに包まれていた。
冷却水の循環音が微かに音を立てた。。
制御ランプの規則正しい点滅が続く。
それは、治療が始まる合図でもあった。
ロータは、作業台の脇に腰を下ろしていた。
胸に手を当て、呼吸を数える。
不整脈は、相変わらず続いている。
頻度も増えてきていた。
「……時間だな」
ルカが、低く言った。
視界はない。だが、
空気の張りは、
誰よりも早く感じ取っていた。
ヘルマンが、天井を見上げる。
「……来る」
その瞬間だった。
警報が鳴らなかった。
代わりに、床下から、どん、と低い振動が伝わった。
――ドン。
音を殺した、爆縮型の破壊音。
敵襲だった。
床の一部が破裂し、二メートルほどの大穴が開いた。
そこから、人影が、一斉に噴き出す。
四人。
全員が、完全武装。
顔は見えない。声も出さない。
動きは、揃っている。
「……追放派め、本気で殺すつもりなのね」
イザベルが、歯を食いしばる。
ヘルマンが、一歩前に出る。
盾になるつもりだ。
だが――敵は、何故か治療装置に注目した。
標的は、ロータではない。
x3000。
騎士の選択そのものを、消しに来た。
銃声。
短く、抑えた発砲。
装置の外殻に、火花が散る。
「……守れ!」
ルカが、叫ぶ。
見えないはずの目で、正確に敵の位置を向く。
次の瞬間、ルカの体が動いた。
超神力を喪い前の前の、最後の素早い動きだった。
拳が、空を裂く。
襲撃者の頭蓋骨が、砕ける破砕音。
だが、数で押されていた。
二人が、
ヘルマンに向かう。
残り一人が、装置へ。
「……やらせない!」
イザベルが、制御卓を守る。
だが――鋭い刃が、彼女の脇腹を掠めた。
「……っ」
血が、床に落ちる。
そのとき――阿羅業の声が響いた。
「……治療開始」
誰も、振り返らない。
龍雅が、制御キーを叩く。
x3000が、低く唸る。
遺伝子修復プログラムが起動される。
敵の一人が、叫びそうになる。
だが、声は出なかった。
ヘルマンの拳が、喉元を打っていた。
残りの敵が、一斉に退いた。
彼らを倒せない、x3000も破壊できないと、理解したようだった。
襲撃者は、床の穴から、再び、闇へ消えた。
数秒。
それだけだった。
静寂が、戻る。
ロータは、作業台に横たわっていた。
x3000のランプから放射された光が、静かに彼を包む。
「……始まったな」
ルカが、息を吐く。
イザベルは、血を押さえながら、笑った。
「……ええ」
「我々はもう、引き返せない」
夜の向こう側で、世界は、何事もなかったように輝いている。
だが、この地下では――騎士の選択を潰そうとした暴力が、彼等の選択そのものに敗れた。
治療は、止まらない。




