第65話 動き出す世界 2
六本木、ナマズ・ビル、最上層階。
夜景は、ガラスの向こうで無数の光点となり、人々の営みを等価に並べていた。
駿河から戻った龍雅は、窓際に立っていた。固定具の外れた腕を、無意識にさすっている。
まだ完治したというわけではなかった。
ただ、とりあえずは、使えるようになっただけだ。
背後で、足音が止まる。
イザベルが立っていた。
「……話がある」
龍雅は振り返らない。
「x3000のことだ」
イザベルは、一瞬、表情を強ばらせた。
「……仕様は、まだ完全には――」
「隠すつもりはない」
龍雅は、夜景を見たまま言った。
「x3000は、治療装置だ。修復速度は、x2500の数倍。放射線障害も、遺伝子崩壊も止められる」
一拍。
「ただし……超神化した細胞の"修復"は出来ない」
イザベルの呼吸が、わずかに乱れた。
「……どういう意味?」
龍雅は、ゆっくりと振り返る。
視線を、正面から合わせた。
「君たちの遺伝子、ゲノムの塩基配列は、普通の人間の細胞と99%以上の部分で異なっている。俺の親父が君たちに人間を超えた能力を付与するために、ゲノムの塩基配列をあえて変えたんだ。突然死遺伝子(SDG)はその塩基配列中にランダムに迷入されている。x3000の遺伝子修復プログラムは、君たちのゲノム全てを、病的塩基配列として修復作業を行う。SDGの部分だけをピックアップして治すことはできない。ゲノム全てを治すことになる。治せば、君たちは元の身体になる」
「……元?」
「普通の身体だ」
イザベルの目が、わずかに見開かれる。
「……つまり……」
「超神力は失われる」
言い切った。
「速さも、反射も、耐久力も。奇蹟を起こす能力も、君たちは――もうヨハネの四騎士ではなくなる」
沈黙。
窓の外で、ヘリの灯りが流れていく。
イザベルは、しばらく何も言えなかった。
「……それは……治療じゃない」
かすれた声。
「……生き方の変更よ」
龍雅は、頷いた。
「だから、君にだけは、先に話す必要があった。四人の中では、話が通じるとすれば君だ」
イザベルは、拳を、ゆっくりと握る。
「……皆に、どう説明するつもり?」
「しない」
即答だった。
「選ぶのは、君たちだ」
イザベルは、目を閉じた。
脳裏に、三人の顔が浮かぶ。
ロータ。
ルカ。
ヘルマン。
そして、自分。
「……残酷なことをするのね」
「事実だ」
龍雅は、感情を乗せなかった。
「x3000は、神を作る装置じゃない。人を癒す装置だ。人でなくなった組織を人の組織に返す器械だといってもいい」
イザベルは、静かに息を吐いた。
「……分かった」
それだけだった。
彼女は、踵を返し、部屋の奥へ歩き出す。
円卓のある部屋。
他のヨハネの騎士達は、すでに席についていた。
誰も、武器を持っていない。
それが、今夜の前提だった。
イザベルは、モニター端末を卓上に置き、画面を閉じた。
「……x3000の仕様が確定したわ」
緊張の糸が張り詰めた。
全員が、彼女を見る。
「治療は可能」
声は、冷静だった。
「ただし――超能力は失われる」
言葉が、部屋に落ちる。
重く、確かに。
誰も、すぐには反応しなかった。
それは、理解するための沈黙ではない。
受け止めるための沈黙だった。
夜景の向こうで、世界は動いている。
だが、この部屋では――世界より重い選択が、
静かに行われていた。




