↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
62/100

第62話 汚染地帯 5

 

 阿羅業は、洞窟の中央に進み出た。


 青白い光に照らされ、十歳ほどの少年が、粗末な毛布に包まれて座っている。


 痩せていた。頬はこけ、暗紫色の唇。


 途切れ途切れの呼吸は浅く、胸が不規則に上下している。


 阿羅業は、少年の前に膝をついた。


 目線を合わせる。


「……怖いか」


 少年は、小さく頷いた。


 阿羅業は、ゆっくりと言った。


「これから、お前の病気を治す。注射をするだけだ。それだけ、我慢しろ」


 言葉は短い。だが、嘘はなかった。


 炎琳が、横に立つ。


「……準備できてる」


 彼女の声も、静かだった。


 炎琳は、20ゲージの留置カテーテルを二本取り出す。


 右の橈骨静脈。次いで、左。


 迷いはない。


 針が入る瞬間、少年は歯を食いしばった。


 だが、泣かなかった。


「……いい子だ」


 阿羅業は、それだけ言う。


 右のカテーテルから、少年の静脈血が引き抜かれていく。


 血は、透明なチューブを通り、x3000の本体ユニットへ流れ込む。


 機械が、低く唸った。


 x3000には、八個のCPUが組み込まれている。


 それぞれが、16コア、32スレッド。


 合計、128コア・256スレッド。


 人の一生分の遺伝子を、瞬時に“読む”。


 モニターに、AGCT無数の配列が流れる。


 右静脈血から取得したゲノム情報。


 放射線によって、寸断され、歪み、誤って結合した箇所は、赤く表示される。


「……損傷率は高い」


 炎琳が、短く言う。


「……だが、致命的じゃねえ」


 阿羅業は、画面から目を離さない。


「……ゲノム修復に、入るぞ」


 x3000が、演算を加速させる。


 少年の二万幾千個のタンパク質コード遺伝子。


 破壊された部分を、正常な配列へと書き戻す。


 十五分。


 それは、神話なら一瞬だが、医療にとっては、奇跡と呼ばれる長さだった。


 修復されたゲノム情報は、左の橈骨静脈から、


 持続注入ポンプを介して、少年の体内へ戻されていく。


 誰も、声を出さない。


 洞窟の奥、咳嗽音はもう聞こえない。


 やがて――


 モニターが、静かに数値を示した。


 SpO2:99%


 酸素飽和度。


 さっきまでは、80%を下回っていた数値だ。


 阿羅業は、少年の顔を見た。


 青白さが、消えている。


 頬に、わずかに血の色が戻っている。


 少年が、ゆっくりと息を吸った。


 深い。


 苦しくない呼吸。


「……」


 声にならない声で、少年は阿羅業を見た。


 立ち上がった老人が、思わず手にしていた杖を落とした。


 カラン、と乾いた音。


 膝が、崩れる。


「……娘を」


 震える声。


「……娘を連れてこい……」


 洞窟の奥から、泣き声が上がる。


 それは、悲嘆ではなかった。


 初めての、希望の音だった。


 そのとき、紅音が、洞窟の入口に立っていた。


 拘束は、解かれている。


 阿羅業と、炎琳の姿を見て、息を呑む。


「……無事で良かった」


 阿羅業は、それだけ言った。


 炎琳は、紅音に小さく頷く。


 阿羅業は、老人の方を向いた。


 声は、低く、だが、はっきりしていた。


「……皆治療が必要だ、全員、山を下りろ」


 一瞬の沈黙を置いて阿羅業は続けた。


「海沿いにある相洲院景山の別荘に来い。こ子での生活を続ければ、全滅するぞ」


 老人は、顔を上げた。


「……神は……」


 阿羅業は、洞窟の奥を指さした。


「神の光じゃねえ」


 はっきりと言う。


「瀝青ウランの鉱床だ。おそらく、昔の地震で地殻が動いて、地下の鉱床が露出したのだ。地中では無害だが露出すると大気中に放射線が充満する」


 そして、最後に告げる。


「……悪いことは言わん。ここにいれば、全員死ぬ」


 阿羅業は、それ以上、何も言わなかった。


 医者は、説明を終えた。


 判断は、彼らに委ねた。


 サンカの一族……現代の社会の庇護からはみ出した、漂泊の旅人たち。


 阿羅業が告げられるのはここまでだった。


 阿羅業は、踵を返し、洞窟を出ていく。


 青白い光が、その背を照らした。


 それはもう、神の光ではなかった。


 過去の誤解の残光だった。


 洞窟の外では、朝の風が吹いている。


 彼等が生き延びる道は、ここから、外にあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。