第55話 決意 2
街灯の白い光の下、炎冥は黙って前を見ている。
美亜は、胸の奥の痛みを誤魔化すように、膝の上で指を組んでいた。
その静けさを、足音が壊した。
――ぞろぞろ、と。
四人。
気配だけで分かる。
酒と安物の香水、暴力の匂い。
酔っ払いの半グレだ。
「おいおい、こんな夜に高校生だよ」
「かわいいじゃん、俺等も仲間にいれてくりや、ちゅうちゅうしようぜ」
「兄ちゃん、なぁ、代わってくれよ。ちょっとだけさ」
笑い声。
軽い。
その軽さが、刃物よりも質が悪い。
美亜の肩が、びくりと跳ねた。
「や、やめてください……」
声が震える。
心臓が、嫌な鼓動を打っている。
一人が手を伸ばした。
白い指が、美亜の腕に触れ――
その瞬間。
炎冥が、立った。
動きに、無駄がない。
教わったものだ。
張炎琳――あの女が、容赦なく叩き込んだ功夫。
最初の一人の手首を取る。
ひねる。
骨の鳴る音が、夜に乾いて響いた。
「――っ!?」
二人目が殴りかかる。
炎冥は、避けない。
沈身――腰を落とし、肘を叩き込む。
みぞおち。
胃袋の空気が抜ける音。
激しく嘔吐して、腹を抱えて転げまわった。
三人目。蹴りが来る。
炎冥の足が先に跳んだ。
膝を極める。
関節が逆に折れ、男は声も出せずに転がった。
残る一人が、尻もちをついたまま後ずさる。
地面には、三人。
呻くだけで、もう立てない。
炎冥は、最後の男の前に立った。
「……よく聞け」
声は低く、静かだった。
「歩けるようになったら、こいつらを連れて帰れ」
男の喉が鳴る。
「もう一度、俺の前に立ったら――また、立てなくする」
それだけで、十分だった。
男たちは、夜に溶けた。
沈黙。
美亜の呼吸が、乱れたまま戻らない。
美亜は、しばらく動けなかった。
炎冥の背中を、ただ見つめていた。
美亜を案じて、炎冥が振り向いた。
「……大丈夫か」
その一言で――
美亜の中で、何かが崩れた。
堪えていたもの。
押し殺してきたもの。
「私は要らない」という思い込み。
――強い。
――でも、怖くない。
目が合った瞬間、
美亜の瞳が、ぱっと輝いた。
自分でも驚くほど、胸が熱くなった。
「……炎冥くん……」
声が、掠れた。
「どうして……そんなに……」
言葉が、続かない。
炎冥は、ベンチに戻り、ゆっくり腰を下ろした。
「功夫は、姉さんに習った……立ち合いに慣れてるだけだ」
短い答え。
だが、その拳は、微かに震えていた。
「俺も……怖いんだ」
美亜が、息を呑む。
「強く見えるだろ。でも……」
炎冥は、空を見上げた。
「誰かが傷つくのを見るのは……やっぱり、嫌だ」
美亜の目から、涙が溢れた。
「……私は……ずっと……」
嗚咽が混じる。
「誰かに守ってもらう資格なんて……ないって……思ってた……」
炎冥は、何も言わず、そっと、美亜の手を取った。
温かい。生きている手だった。
「……生きてていい」
それだけ言った。
「生きたいって思っていい」
美亜の涙が、炎冥の手に落ちる。
「……生きたい……」
初めて、はっきり言葉にした。
「炎冥くんと……もっと……」
言い終わらなくても、伝わった。
炎冥は、ゆっくり頷いた。
「……俺もだ」
夜風が、二人の間を静かに通り抜ける。
砕けかけている心臓が、
――未来の鼓動を刻み始めた。




