第53話 御子神研究所 4
瓦礫の向こうから、エンジンの音が聞こえてきた。
何処で調達したのか骨董品のようなスバルの軽四。
ゆっくりとしたスピード。
急ぐ様子はない。
運転していたのは炎琳だった。
助手席には紅音。
血は拭っている。
だが、コートの裾には乾ききらない染みが残っていた。
阿羅業は、簡易手術台の横に立ったまま、振り返らずに言った。
「……戻ったか」
「ええ」
炎琳は数歩進み、立ち止まる。
視線の先には、腕を固定され、繃帯を額に巻いた龍雅が横たわっていた。
「……助かったのね」
「ああ。だが、完璧じゃねえ」
阿羅業は、指先を軽く鳴らした。
「骨は戻した。出血も抑えた。だが……回復には時間がいる」
「……助かってよかった」
炎琳の声に、皮肉はない。
阿羅業は、ようやく振り返った。
「x2500は?」
炎琳は、首を横に振る。
「奪われた。完全に。停めようとした波多野の命もろとも……」
一瞬、空気が止まった。
阿羅業は、短く息を吐いた。
「……そうか」
それ以上、何も言わない。
怒鳴りもしない。
嘆きもしない。
炎琳は、その横顔を見ていた。
「……責めないの?」
「何をだ」
「私を。追撃を選び失敗したことを」
阿羅業は、床に落ちた血の跡を見下ろした。
「責める理由がねえ」
低い声。
「x2500は、元々ここにあるべきではないという前提で作られた装置なんだろう」
炎琳の眉が、わずかに動く。
「……御子神剛の思想、ということ?」
「ああ」
阿羅業は、簡易ライトを消しながら言った。
「剛はな、自分の作ったもんを、"守り切れる"とは思ってなかった」
「……だから、箱舟にして流れる構造にした」
「そして、後継を龍雅に託した。糸が切らずにすんでいるのは不幸中の幸いだ。」
炎琳は、小さく息を吸った。
「……それでも、x2500は失った」
「まだ、失ってねえ」
阿羅業は、はっきりと言った。
「"形"を失っただけだ」
炎琳が、視線を向ける。
「……設計図は?」
「残ってる。それに、龍雅のx2000は奪われていない」
その言葉に、炎琳の目が細くなった。
「……x2000」
「ああ、そうだ。x2000は壊れず残っている。あれからx2500レベルの後継器を興す。それが一番早道だ」
阿羅業は、静かに続ける。
しばらく、
二人は黙った。
遠くで、瓦礫を掘る音がする。
ケイだ。
「……ねえ、阿羅業」
炎琳が、珍しく感情を含んだ声で言った。
「あなたは……どう思ってる?」
「何をだ」
「龍雅を」
阿羅業は、即答しなかった。
少し考えてから、言う。
「……あいつは、親父より厄介だ」
「どういう意味?」
「剛は、創造神になる覚悟があった」
「……龍雅は?」
「まだ、創造神になることに、迷っている」
「そうじゃないと……私たち、敵も、味方も、これまで何人が死んだと思う?」
炎琳は、その言葉を噛みしめて、視線を落とした。
「数えたことはねえ。お前が、そう言うようになるとはな」
「……変わったのよ」
炎琳は、首のロケットを開けて、死の際に立つ弟、炎冥の顔を見ながら答えた。
「守る側に立つと、人の心は変わる」
「遅えよ」
「……それでも、間に合った?」
阿羅業は、眠る龍雅を見てから、言った。
そして、確信を込めて続ける。
「ああ。そしてまだ、ここで……終わるわけにはいかん」
炎琳は、静かに息を吐いた。
「……阿羅業、これからどうする?隠れ家は完全に破壊された。……追われるわよ。世界中の科学マフィアが、x2500のみならず御子神龍雅を欲しがってる」
「ああ、次の拠点の当てはある」
「次の拠点?」
普段は感情を表に出さない阿羅業が珍しく笑った。
「駿河の王、の別荘」
駿河に君臨する大富豪、相洲院景山。
阿羅業は、景山の心臓手術を執刀したことがある。
以来、景山は阿羅業を命の恩人と崇め、協力を惜しまない後援者となった。
阿羅業の依頼に景山は二つ返事で了承したのであった。
「早乙女を含め、x2500を奪った連中は、"完成品"を手に入れたつもりでいる」
炎琳は、事態を理解した。
「あれはまだ……未完成のまま、そういいたいのね」
「そうだ」
阿羅業の声は、低く、確信に満ちていた。
「本物は、ここからだ」
瓦礫の下で、ケイが吠えた。
――ワン。
まるで、同意するように。
花咲か爺のポチのように顎で瓦礫の奥を指す。
「ケイが……何かを見つけた」
阿羅業はスコップで瓦礫を取り除いた。
瓦礫の中に埋もれていたのは、鉛のケース。
ケースには施錠はされていなかった。
中に入っていたもの……
実験ノート、そしてUSBメモリ。
ノートを覗いた阿羅業の顔色が変わった。
ノート表紙に掛かれていた文字。
x3000仕様書。
「御子神剛は、次世代後継器を創っていた……」
その場の人間の誰もが凍り付いた。
「俺にも見せてくれ……、そのノート」
龍雅の眼つきが変わっていた。
紅音から渡されたノートを食い入るように見つめる。
自由になる右手で幾度も、頁をめくりなおす。
そして、忌々し気に吐き捨てた。
「……親父、悔しいけれど、アタマは俺の遥か上を行ってやがった。x3000は、x2500ほどの筐体サイズを必要としない。x2000に追加ユニットを接続するだけだ。それでいて、処理能力はx2500の3倍……」
「作れるか、龍雅」
「ああ、十数年前のCPUを積んだPCだと難しかったろうが、今のハード事情なら秋葉原でパーツは全部調達できる」
炎琳は、コートの裾を正して、言い放った。
「……行きましょう」
「どこへ」
「未来へ」
阿羅業は、一瞬だけ笑い、立ち上がった。
「……大げさだ」
だが、否定はしなかった。




