第48話 A.D.2000 医学の大罪 1
A.D.2000年。二十五年前。
この国が、戦争を既に「過去の出来事」として記憶に整理できると信じていた頃。
関東近郊、山中。
地図には記されない一角に、陸上自衛隊陸幕二部・生体科学研究分室は存在していた。
外から見れば、ただの老朽化した倉庫だ。
錆びたシャッター。割れた窓。
人が近づく理由など、どこにもない。
だが、地下へ降りた瞬間、空気は変わる。
湿度。
温度。
音の反響。
ここは、生物を分解し、組み替えるための空間だった。
七人の医官。
御子神剛は、その中央に立っていた。
白衣を着ている。背筋は伸び、実験対象を見つめる視線はぶれない。
かつては、天才と呼ばれ、現在はある意味、狂気に執りつかれた超危険人物として扱われた医学者。
彼の横に、当時の部下である早乙女がいた。
同じ白衣。
同じ研究者。
だが、目の奥にあるものは違っていた。
剛の視線は、常に「先」を見ている。
早乙女の視線は、常に「上」を見ていた。
「……実験体四体、ですか」
早乙女が、静かに言った。
剛は頷いた。
「単体運用では意味がない。能力相互干渉型だ。互いの超能力を監視し互いに補いあい、相補的に向上させる。非常に上昇効率が高い」
剛の前には、四つの培養槽が並んでいた。
ガラス越しに浮かぶのは、まだ"人間だったもの"。
少年少女だった。
年齢は、いずれも七歳。筋肉も、骨格も、未完成。
ナチス・ドイツ新帝国の礎を創るための科学秘密結社、MSO――『メンゲレの息子』が、欧州から、連れてきた「素材」だ。
七三一防疫給水部隊の血統を引く陸上自衛隊陸幕二部・生体科学研究分室とMSOは共同研究を行っていた。
書類上では、志願者。だが、この部屋にいる誰もが、それが嘘だと知っていた。
「……彼らは、何になるのですか」
そう問いかけたのは、研究補佐として配属されたMSO所属の女性医学者だった。
アンジェリーナ・シュタイナー。アンジュと呼ばれている。
金髪。
落ち着いた声。
実は、彼女の正体は白系ユダヤ人、ナチス系医学犯罪者を追うナチス・ハンター。
身分を偽り、MSOの犯罪実態を調査するために潜入していたのだ。
剛は、彼女のその素性を知っていたが、知らない素振りを続けている。
彼の所属する陸幕二部・生体科学研究分室は、研究協力関係にあるとはいえ、ナチス・ハンターの標的外の存在。
しかも、アンジュの熱い視線を常に背に受けていた剛は、自分に対する彼女の好意に気づいている。
そんな優秀な女性科学者をむざむざ「斬る」必要はない。
「成るべきものになる」
剛は、淡々と答えた。
「世界戦争は終わっていない。形を変えて地下に潜って暗闘を続けているだけだ」
培養槽の一つの表示モニターに、数値が流れ始める。
筋線維の再構成。心筋・骨格筋の最高出力740メガワット、馬力換算にして、100万馬力。
骨密度の再設計、ハイパーセラミクロンを骨基質に使い硬度10を目指す。
神経伝達速度の異常な最適化。
そして――感情抑制遺伝子の固定化。
「恐怖を知らず、命令に迷わず、生き残るために敵を容赦なく殺せる存在」
剛の声には、熱がなかった。誇りもない。
「彼等が生まれれば、今の冷戦状態を終わらせることが可能だ」
早乙女は、その言葉を聞きながら、黙っていた。
胸の内で、違和感が膨らんでいく。
(……違う)
それは平和のためではない。抑止のためでもない。
(こいつは……神の兵士を作ろうとしている)
剛は、もはや科学者ではない。神話の創造者。
アンジュが、剛の袖を引いた。
「……剛。彼等に手を入れると、戻れないわよ」
剛は、一瞬だけ彼女を見た。
その目に、迷いが宿った。
だが、すぐに消えた。
「それゆえに記録を残す。過ちを犯したのではないことを記しておくのだ」
剛は制御端末に手を置いた。
「いつか、この科学の業績を引き受ける者が現れるその日まで、な」
早乙女が、思わず口を挟んだ。
「……引き受ける、ですか?」
剛は、ゆっくりと答えた。
「背負わせる」
アンジュの手が、震えた。
彼女は分かっている。これあまりにも危険な研究だ。
だが、剛の横顔を見て、それができなかった。
剛を愛してしまったからだ。
その愛が、後にすべてを歪めることになる。
剛は、起動キーを押した。
培養槽の液体が、一斉に脈動する。
少年たちの身体が、痙攣した。
叫び声はない。声帯からの発声は、すでに管制化にあり抑制されていた。
、
人間の痕跡が、遺伝子の変換と共に静かに削られていく。
早乙女は、その光景を見ながら、心の奥で決めていた。
(御子神、アンジュ……こいつらは、いつか消してやる)
そして……。
(生体科学研究分室は俺が引き継ぐ、いただいてやる)
その瞬間、創造の罪は、二つの罪を生んだことになる。
一つは、剛が犯した罪。
もう一つは、それを奪うと決めた者の罪。
培養槽の奥で、少年少女の一人が、微かに目を開いた。
白。
赤。
黒。
蒼。
四つの視線が、この御子神剛を見た。
ヨハネの四騎士。
彼らは、この日、生まれた。
神の名を与えられた兵器として。
そして、その代償は――二十五年後の今日、はらわれることになる。




