↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
42/100

第42話 強奪 2

 M4 CSLは、減速せず、土ぼこりを巻き上げながら山道を駆け下りていた。


 だが、前方に見えたものを認識した瞬間、炎琳は、初めてブレーキを踏んだ。


 研究所が――崩れていた。


 かつての"知性"の構造体が、無惨な瓦礫へと変わり果てている。


 M4 CSLが停止する。


 エンジン音だけが、場違いに響く。


 阿羅業は、フロントガラス越しにその光景を見つめ、一言も発しなかった。


 炎琳が、静かに口を開く。


「……間に合わなかった、わね」


 阿羅業は答えない。


 ゆっくりとドアを開けた。


 外へ出た瞬間、粉塵と、焼けたコンクリートの匂いが鼻を突く。


  空気が、重い。


「……クソったれ」


 阿羅業の叫び。


 それは、誰に向けた言葉でもなかった。


「研究所も、剛も、龍雅も……全部、持っていきやがった」


 炎琳も車を降り、瓦礫の山を見上げる。


 事切れた、陸自空挺団のレンジャーの遺体が五つ、瓦礫の中に埋まっていた。


 完全に潰された躰は、もはや人としての原型を残していなかった。


 元同僚の無残な姿に、波多野は思わず瞑目した。


 阿羅業は、瓦礫の山を見渡し、炎琳が、阿羅業を見る。


 阿羅業は、崩れた建物の中心――不自然な程に"空洞"になっている部分を凝視していた。


 ふっと気が付いたように言葉を放った。


「中身がねぇ」


 炎琳の視線が、そこへ移る。


 確かに、破壊は激しい。


 だが、ある区画だけが、すっぽりと、奇妙に"抜け落ちている"。


 阿羅業は首を振った。


「"抜かれた"んだ。最初から、こうなるように作られてた」


 炎琳は、息を吸った。


「……箱舟」


 その言葉を聞いた瞬間、阿羅業は短く言った。


「うむ、ノアの箱舟か、剛の野郎……最後まで、逃げる算段だけは一流だったわけか」


 彼は、躊躇なく瓦礫へ近づき、崩れた隙間に膝をついた。


「車の轍が、残っている」


 崩落の謎が解けた――。


「強奪者がx2500を車で引いて盗んでいった……、今、ここにいないのは教授、早乙女と、紅音か。紅音はこの研究所の構造は知るまい、すると強奪者は……」


「教授、早乙女……?」


「ああ、紅音は早乙女に脅されて、攫われたってところだろうな、x2500を弄るのにも、下働きが居た方がいい」


 炎琳は、瓦礫の一角に視線を落とした。


 御子神研究所は、x2500の強奪者、早乙女の手により、崩落と共に息絶えていた。


 研究所の外殻が裂け、梁が折れ、かつて、研究の真理を守っていたはずの鉛壁の残骸が、いまは無差別に、近づく者に対して、牙を剥いているように立っていた。


 粉塵が舞い、コンクリートの破片が、小糠雨のように落ち続けていた。


 その時、瓦礫の隙間の中から勢いよく、白い影が跳ねて飛び出してきた。


 ケイだった。


 阿羅業に尾を振って迎えた。


「ケイ!」


 ケイは、愛くるしい柴犬の姿に戻って阿羅業に飛びついた。


 阿羅業は、ケイを肩に載せて、瓦礫の中に入り、龍雅の行方を求める。


「龍雅は……!」


 阿羅業の顔が、強張った。


 瓦礫の山、その隙間に、人間の腕が見えた。


 折れている。


 不自然な角度に腕は捻じれ曲がっていた。


 だが――生きている。


 阿羅業は、迷いなく瓦礫を掻き分けた。


 指先が、龍雅の首に触れる。


 脈はある。


 弱々しく速いが、規則正しい。


「……生きている。よし」


 それだけで十分だった。


 阿羅業は、崩落した研究所の"元・手術室"へ、龍雅を引きずり込んだ。


 壁は割れ砕け、天井は半分崩れ落ちている。


 だが、無影灯は、灯っていた。


「炎琳!血圧計!薬剤、器具、あるもん全部持って来い!」


 炎琳は一瞬も躊躇しない。


 瓦礫を蹴散らし、使用可能な息をしている器具を集める。


 ケイは阿羅業の肩から降りて、低く唸った。


 それは警戒ではない。


「ここは守る」という意思の唸りだった。


 阿羅業は、龍雅のシャツを引き裂いた。


「左橈骨…骨折。内出血……、肺は……よし、保ってる」


 器具は揃っていない。麻酔も十分ではない。


 だが、阿羅業は笑った。


「……上等だ。野良手術なら、慣れている」


 骨を整復して、臨時のシーネで固定する。


 龍雅が、うめき声を上げた。


 阿羅業は、低く言った。


「我慢しろ。お前が起きるまで、命は待ってはくれねぇぞ」


 数分後。


 龍雅の呼吸が、落ち着いた。


 意識は、まだ戻らない。


 だが――死線は越えた。


 阿羅業は、手袋を外し、血に濡れた手を見つめた。


「……まずは、よし」


 阿羅業は、瓦礫の山を背に、低く吐き捨てた。


「……早乙女……」


 炎琳は、遠く――峠の闇を見つめた。


 x2500を引きずったキャデラックが消えていった方向。


「阿羅業……私は、追う。x2500を、早乙女を」


 短い言葉だった。


 だが、そこには一切の迷いがなかった。


 阿羅業は、龍雅を抱き上げながら言った。


「追え。俺は、ここで"医者"に戻る」


 炎琳は、頷いた。


 崩れた研究所の前で、二人は、役割を分けた。


 ひとりは、命をつなぐために残る。


 もうひとりは、奪われた、命をつなぐものを奪還するために走る。


 M4 CSLのエンジンが、再び唸りを上げた。


 夜は、まだ終わっていなかった。


 外界では、エンジン音が遠ざかっていく。


 キャデラック・エスカレード。


 X2500を引きずり、闇へ逃げた漆黒の鋼鉄の野獣。


 炎琳が、拳を強く握る。


「……追う」


 阿羅業は、龍雅を一瞥した。


「波多野」


「……はい」


「龍雅は、俺が守る。お前は炎琳と二人で――」


 阿羅業は、はっきりと言った。


「取り返して来い、娘を救うためにも……」


 炎琳が、M4 CSLへ向かう。


 波多野は阿羅業に軽く会釈して炎琳に続いた。


 エンジンが吠える。


 M4 CSLは、崩れ落ちた研究所を背に、峠へ向かって走り出した。


 奪われたものを、取り戻すために。


 手術灯の下で、阿羅業は、龍雅の額に手を置いた。


「……生きろよ、な」


 ケイが、その横に座り、静かに目を閉じた。


 研究所は崩れた。だが――。


 物語は、ここから追撃に入る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。