第41話 強奪 1
1 裏手:銃口と裏切り
研究所の裏手では、紅音と早乙女が睨み合っていた。
紅音はレミントンM870を構えて早乙女に突きつけていた。
「……先生、それ以上、x2500に近づかないでください。これ以上、近づこうとするのなら……撃ちます」
銃口は早乙女を捉えている。
震えてはいない。だが引き金にかかった指が重い。
早乙女は余裕の表情で、紅音を見下ろした。焦りはない。。
「撃てるものなら、撃ってみたまえ」
「……下がってください」
「君は撃てない。理屈では正しくても、"人を殺す決断"などできない」
一歩、早乙女が前に出る。紅音の視界に、レール、台車、牽引ジョイントが映った。
「"箱舟"は、私の研究のために使う……」
「……やめてください。それは御子神先生が、人を生かすために作ったものです」
「綺麗事だ。生き延びる価値のある者だけが、乗ればいい」
その瞬間――早乙女の足が跳ね上がった。
下から、銃身を蹴り上げる。
ガンッ――!!
M870が紅音の手から弾き飛ばされた。
「……っ!」
暴発。
――ドンッ!!
OO弾が天井を撃ち抜いた。
紅音の世界が一瞬、白くなる。
2 屋上:刃の死闘
屋上は月に晒されていた。
逃げ場はない。遮蔽物もない。
あるのは風とコンクリートと、人の死だけ。
香月三曹は屋上の中央に立ち、刃を六本、指の間に挟んだまま笑っていた。
「上まで来たかよ、御子神龍雅」
声は軽い。目は笑っていない。
「逃げる背中を裂くつもりだったが……自分から来るとは、褒めてやる」
龍雅は転がり込み、体勢を立て直した。
M870を構える。
香月が首を傾げた。
「その銃……引き金を引く前に何秒かかる?俺は……一秒で、お前を六回殺せる」
風が吹いた。次の瞬間、香月が消えた。
龍雅は反射で引き金を引く。
散弾が空を裂く。
だが香月はいない。
「遅いぜ、素人が!」
声が背後から聞こえた。
刃が走る。龍雅は銃身で受ける。
ガギンッ!!
金属が悲鳴を上げ、銃身に刃痕が刻まれる。
香月は刃を入れ替え、低く来る。
龍雅は後退し、屋上の縁が視界に入った。
落ちたら、終わりだ。
香月が笑う。
「いい場所だな、おい」
刃が脇腹を掠める。熱、血が腹から噴き出した。
龍雅は銃床で殴り返す。わずかに顎が跳ねる。
「いい……顔になってきた」
その瞬間だった。
屋上の天井が、下側から破裂した。
――バンッ!!
床から吹き上がる破片。
階下で早乙女が蹴り上げた銃が暴発して、散弾が天井を突き破ったのだ。
香月が、ほんの一瞬だけ振り向いた。
その一瞬を、龍雅は逃さない。
全力で銃身を持ち上げ、下から撃つ。
――ドンッ!!
OO弾が、香月の股間を貫いた。
「……あ……?」
次の言葉は出ない。
身体が浮き、そのまま屋上の縁を越えた。
香月は落下した。
音は下で鳴った。鈍く、短く。
股間を血に染めて、首から上をあり得ない方向にひん曲げて香月は絶命していた。
龍雅は膝から崩れ、荒い呼吸の中で立ち上がる。
「ふっ……次だ」
3 内部:知覚と殺意の決戦
研究所内部は赤い非常灯に染まっていた。
呼吸のような周期で明滅している。
天羽一曹は、その光の中に溶け込むように立っていた。
銃もナイフも抜かない。空間そのものが武器。
『……来る』
気配が、音より先に"敵の存在"として近づく。
天羽は一歩だけ位置をずらした。
タッ。
背後、通路の影からケイが現れた。
吠えない。牙も剥かない。ただ、見ている。
「異能の動物……だが獣じゃない、こいつは人間に限りなく近い」
天羽はケイの存在を理解する。
ケイは、聴覚・嗅覚・視覚を統合した知覚機能が、すでに自分が敵だと認識している。
やらなければ、こっちがやられる。
天羽が一歩強く踏み込む。
ゴッ。
その瞬間、ケイの唸りが空間を潰した。
グゥゥゥゥ……ッ……!!
音ではない。脳の奥を揺さぶる低周波。天羽の視界がわずかに歪む。
『中枢神経干渉波か……!超音波攻撃ができるのか貴様は!?』
即座に心拍を落とし、恐怖も感情も遮断する。いや、"殺す感情"だけは残した。
天羽が拳を振り下ろす。
その瞬間、ケイが消えた。足元に潜った。
天羽の視界が空になる。
次の刹那、衝撃が腹部を貫く。
破城槌のように、ケイが体当たりをかませてきた。天羽が数歩後退。
跳躍するケイ。
ケイの牙が天羽の肩に突き立った。骨を噛む音が聞こえた。
だが天羽は声を上げない。痛覚を遮断する。
天羽は腕を回し、ケイの首元を締め上げる。
ギリッ。
ケイの呼吸が一瞬詰まる。
しかしケイは恐怖を知らない。
守る対象を知っているだけだ。
至近距離で唸りが再び炸裂する。
グゥゥゥゥゥ……ッ!!
天羽の膝が初めて揺れた。
「これは普通の戦闘じゃない……この化け物と周囲の環境そのものが敵だ……」
天羽は理解する。
研究所は、侵入者から自己を守る構造へ環境を変化しさせていた。
侵入者を拒絶するノアの箱舟。
ケイを力の限り、突き放し、距離を取る。最悪の場合は撤退をも考えていた。
『x2500の破壊は……外からでも、できる』からだ。
だが、ケイは低く構え、天羽の進路を塞いだ。
吠えない。ただ「通さない」という意思だけを示した。
そして――遠くで、建物が呻く音がした。
反射的に剣呑な気の変化を感じ取った天羽は、耳を凝らし。呻きの音源を求めた。
研究所の裏手の方からのようであった。
4 交差:一発の偶然が世界を変えた……
その、研究所の裏手で暴発したOO弾は、屋上の死闘を終わらせ、
同時に研究所の"箱舟"を目覚めさせる。
早乙女は拳銃を抜き、紅音の額に突きつけた。
「……よく見ておくといい。これが"現実"だ」
紅音は抵抗できない。
銃ではなく、恐怖でもなく、
"人を撃てない自分"に縛られていたのが失敗だった。
早乙女は紅音を縛り上げると、エスカレードの助手席へ叩き込み、牽引アンカーを研究所外壁のフックに引っ掛ける。
V8、6156ccのエンジンがフル回転する。
低い唸り。
研究所が、呻いた。
メリメリっという破壊音と共に、研究所の外殻が引き剥がされ、骨格が歪み、建物全体が持ち上がる。
エスカレードにけん引されたコンテナ室は、x2500を孕んだまま研究所から引き剥がされ、建物部分とは完全に分離された。
コンテナ室の下部は車輪構造を簡単にコンクリートで軽く固められていたものだ。
エスカレードに曳かれて、コンクリートは剥がれ台車が廻り出す。
天羽は研究所内で剣呑な呻きに耳を惑わされ、一時的に意識のオリエンテーションを失っていた。
その、天羽の頭上に、崩落したコンクリートの巨塊が石雪崩さながらに落ちてきた。
――頭蓋骨が激しく潰れる音。
天羽の脳が破裂し、両目が眼窩から、剥がれて飛び出す。
即死だった。
研究所は崩落を始めた。
瓦礫が雪崩のように滑り落ちる。
ケイは素早く瓦礫の隙間へ潜り込んだ。無傷だ。
バランスを崩した龍雅は屋上から滑落した。
咄嗟に外壁の雨どいに手を伸ばす。
だが、雨どいに手がかかる前に、龍雅の身体は無情にも空間へ投げ出され、激しく地面に叩きつけられる。
頭蓋骨が折れる音が最後に聞こえた。
意識が暗転した。
そのすべてが――、阿羅業、炎琳、波多野がM4 CSLで駆けつける、ほんの数秒前の出来事だった。
闇の中、エスカレードはX2500を孕んだコンテナを引いて峠の彼方へ消えていった。
早乙女の高笑いだけを、残して。




