第35話 暗闘 13
波多野が阿羅業、炎琳と対峙している頃であった。
奥多摩の森では、別の“五つの影”が静かに地を踏んでいた。
木々のざわめきも小動物の気配もない。
風が吹いているのに、葉が音を立てない。
森そのものが息を殺して、この五人の通り道を空けているようだった。
先頭を切る影、天羽一曹。
隊長格であり、第一空挺団暗殺レンジャー部隊作戦達成率最高個体。
歩き方に癖がない。
それが逆に不気味であった。
土を踏む深さが、“常に一定”なのである。
獣でも人間でも、地面の柔らかさや傾斜で僅かに重心は揺れる。
しかし天羽には乱れがない。
『波多野……死んでるのか?それとも、生きてねぇのか?
だがどっちでもいい──任務に影響はない』
天羽の眼には、粛清対象、御子神龍雅に対する怒りも憎悪も存在しない、
“作戦達成に対する忠誠” だけがあった。
野島二曹。
夜戦の鬼。狙撃手。
視界に入るものは、「獲物」と「障害物」にしか分類しない。
彼は森の暗がりを眺めながら、ぽつりと呟いた。
「……天羽。少し前に……“音”が消えた」
「地上支援部隊を屠ったスズメ蜂か?」
野島。
「違う。“仲間”の音が消えた。一人の足音が……ぶつ切りになった」
天羽。
「波多野だな」
野島。
「……どうする?」
天羽。
「どうもしない。波多野の任務は任務。我々の任務も、任務だ」
感情の欠片もなかった。
香月三曹。
ナイフ使いの異常者である。
歩きながら指の間で、複数の刃物を回している。
時折、刃と刃がかち合って鳴った。
香月。
「天羽。波多野の奴、止まったのか?」
天羽。
「止まった」
香月。
「へぇ……強ぇ奴だと思ってたいが。娘の情けに、揺れたか」
天羽。
「揺れは任務の障害ではない」
香月。
「殺す理由が揺れたら……弱くもなろう?」
天羽。
「だから奴の事は捨てろ。任務だけ見て歩け」
香月。
「はは……死体みてぇな物言いだな、隊長」
天羽。
「俺たちの世界にもはや、いる必要がない」
河越。
筋肉の怪物。
熊を殴り殺したという噂は、誇張ではなかった。
森の木々を手で払いながら進む。
河越。
「……波多野に何が起こったのかね?」
天羽。
「問題か?」
河越。
「いや、強い奴ほど“重い理由”を抱えるもんだ。波多野には病気の娘がいた。作戦を成功させても、自分が死んじまえば意味がない。俺には理由なんざいらねぇがな」
香月。
「お前は筋肉が理由だろ」
河越。
「そうだ。筋肉を使って殺す理由があれば俺には充分でな」
その言葉には、
父としての痛みも、信念も、救いもなかった。
ただ「任務」のみ。
曽田曹長。
殺しを“快楽”としている狂犬。
森の闇からのぞいた月を見て、一人で笑い出した。
曽田。
「……いい夜だ。森が死んでる臭いがしやがる、たまんねぇな……」
野島。
「黙れ」
曽田。
「なんだよ。“殺し放題の夜”だぜ?もっと楽しもうぜ。獲物は御子神龍雅だ。CIA様の機嫌が悪ぃからよ……。今夜は“ただ殺せ”だ」
天羽。
「曽田。任務は“破壊”だ」
曽田。
「殺すのと同じだろ。どっちでも構わねぇよ」
笑みの端が引きつったその顔は、
生者よりも死者に近かった。
五名の歩調は揃っている。
蜂群が戦風を起こすように、動いたのとは違う。
五名の動きは、まるで森の“重力の中心が変えられた” ような、
地鳴りに似た静かな揺らぎだった。
天羽。
「研究所まであと三百。一気に詰める」
野島。
「外周の罠はすべて無視でいい。我々には関係ない」
香月。
「御子神龍雅を見つけたら、どうする?」
天羽。
「状況判断。必要なら殺す。必要なら生かす。だが──」
五人。
「任務は遂行する、x2500の破壊」
その声は揃っていた。
祈りではない。
喜びではない。
怒りでも、悲しみでもない。
ただ──。
共通の空虚が声帯を震わせているだけ。
森が裂けた。
風ではない。
五つの殺意が進行方向に穴を開けたのだ。
五名は言葉もなく、ひとつの影のように研究所へ向かった。
五つの怪物。
その歩調が──、御子神研究所へと迫る。




