第31話 暗闘 9
死闘の後に、戦風に吹かれる木々の葉の震え。
何かしら不自然に揺れているようであった。
おぞましい殺戮を目の当たりにした、森に棲む動物たちも怯え、己が気配を消して、闘いの結末を見守っている。
バトルホーネットが殺し尽くした地帯を、今は、BMW M4 CSLが枝葉を巻いて滑るように進んでいる。
戦場から車に戻り、ハンドルを握る炎琳は、表情ひとつ変えない。
助手席では阿羅業が窓外を睨んでいた。
「……蜂の死骸しかねぇな。炎琳よ、お前んとこの獄蜂は、ちとやりすぎだろ」
「やりすぎたつもりはない。敵が“弱すぎた”だけ」
炎琳はアクセルをわずかに踏み込みながら言った。
「けど……妙ね」
「妙?」
「殺した数に対して……森の霊の“臭い”が足りない」
「死臭がしねぇってか?」
「ええ。普通なら……もっとえぐい“内臓が潰れた匂い”が濃く残るはず」
阿羅業は煙草に火をつけようとして、途中でその動きを止めた。
「……嫌な予感はある、この森には、何か別の“圧”がある。
蜂群が殲滅したはずの空挺団支援班の残骸。
しかし、森の空気に漂っているのは“毒の死臭”だけで、
兵士の肉の崩壊の匂い――いわゆる、人間の死臭が極端に少ない。
「……戦死者の死体を“運んだ”か、もしくは“動ける連中”が生き残って森を抜けたか……」
「生き残り……?あれだけ大量の毒を浴びて“生きている”兵など──」
「どうかな」
炎琳が言葉を切った。
その瞬間、車内の空気がひやりと冷えた。
炎琳は軽くブレーキを踏み、
M4を森道の脇に停めた。
「どうした」
「阿羅業、あなた……感じる?」
「……ああ」
“そいつらは、確かにいる”。
森の奥、霧の向こう。
風向きとも気配とも違う、
ただ“存在だけが立ち上がっている影”。
敵意はまだない。
こちらの存在に感づいてないだけなのか
しかし、殺意の“核”だけが裸のままむき出しになっていた。
「……あれは……生身の兵士じゃない。生体反応が異常。心拍の揺らぎがないわ」
「心拍の揺らぎがねぇ……?それはつまり……」
二人の声が同時に細くなる。
「戦場で死んだまま歩く兵」
「化け物だな」
そのとき、森の一角が風もないのにがさがさと揺れた。
落ち葉がひとつ舞い上がる。だが風は吹いていない。
炎琳は、震えるほど静かな声で告げた。
「……殺意の影は、ひとりじゃない。六……いえ、“六つの影”を感じる。
速い。蜂を超えてる」
「裏コード空挺の……レンジャーかよ……!蜂にも功夫にも殺されねぇってか」
炎琳の目が細くなる。
「……ひとり、気配の揺れ方が違う」
「違う?」
「“悲しみ”が混じっている。おそらく子供の……匂い」
「餓鬼の匂い?」
「ええ。その兵士……おそらく病んだ子がいるはず、心に錘が垂れ下がっている。死ねない理由がある。そんな男が……一番厄介よ」
「死ねない理由があるやつは……強いからな」
阿羅業は、龍雅の顔を思い浮かべた。
死ねない理由があるのは阿羅業も同じ、朝霞美亜の、龍雅の命運を阿羅業は背負っている。
「……彼ら、研究所に向かってるわね」
「……待て。このあたりに、お前、功夫戦部隊を先に散開させていたはずじゃなかったか。そいつらの気配……感じねぇな。
森の音が“ひとつ足りねぇ”……」
炎琳の瞳が揺れた。
「確かに……感じないのよ。“味方”の気配が、ひとつも。誰も……返事しない」
阿羅業は鼻で笑った。だが、その笑い声はひどく乾いていた。
「……まさか……功夫部隊、全滅……?」
「ええ。気配の消え方……闘い以前に、狩られて終わった、そんな唐突な消滅……」
森を覆う静気が、一段階“冷たく”沈降した。
「化け物に化け物ぶつけても、勝てねぇ時があるってか……」
「六人全員、生きている。しかも、全員、まだまだ殺す気満々、……彼ら、どうやら研究所に向かってるわね」
「龍雅が危ねぇ。急いでくれ!」
炎琳は無言でアクセルを踏み込む。
M4 CSLは獣が吠えるように森を切り裂いた。
薄紅と外道医の眼差しは、
同じ一点──、
御子神研究所と、その前に立つ “六つの影” を射抜いていた。




