第30話 暗闘 8
奥多摩の谷、まだ蜂の羽音の残響がこだましている。
柿崎一佐の絶望の叫びが霧の中へ吸い込まれ、黒谷三曹の死の痙攣が止まった頃には、地上支援部隊はすでに"隊"の形を失っていた。
血がついた枝葉のあいだで、獄蜂の黒い死骸が点々と落ちている。
森は静かだった。
"死の静けさ"というやつだ。
生きて状況を把握できる者は、もう誰も残っていなかった。
……ただし、一部を除いて。
静けさを破るように、
低空を翔ぶ、ヘリUH-60JAの振動音が谷間へ広がる。
機内には六名。習志野第一空挺団の中でも"化け物"と呼ばれた男たち。
殺人的な訓練を生き残り、
CIAに「此奴らは使える」と認められた精鋭たち。
彼らの表情には、恐怖どころか、
"人間としての揺らぎ"すらなかった。
機内に通信士の悲痛な叫びが響く。
「……地上支援班、応答ゼロ!全周波数、沈黙ッ……!部隊全滅……!」
だが、レンジャーたちの顔色は一切変わらない。
天羽(一曹)
「……下は終わった。予定通りだ」
野島(二曹)が暗視光学スコープで霧の底を覗いた。
「……死体は見えねぇ。毒で神経を焼かれたか……群れに喰われたか……どっちでも同じか。初めから期待はしていねぇ、任務の障害にはならん」
香月(三曹)は無言でナイフを回し続ける。
「むしろ歓迎だな。足手まといに邪魔されずに済む」
波多野(一曹)はヘリ床に爆薬を並べて呟く。
「蜂でも毒でも、どうでもいい。俺らは他の連中と"作り"が違う」
河越(上曹)は目を閉じ、心拍数を極限まで落としている。
曽田(曹長)は笑っていた。完全に、壊れた笑みで。
「はっ……地獄の匂いしてきたな。やっと"遊べる"ぜ……」
レンジャーの一人、爆破担当の波多野一曹*が、珍しく、低い声で呟いた。
波多野
「……この任務、なんとしても成功させねぇと……俺は困る」
曽田
「んぁ? 珍しいじゃねぇか波多野。お前が"困る"なんてよ」
野島
「どうした」
波多野はしばらく黙っていたが、吐き捨てるように言った。
波多野
「……娘の病気だ」
ヘリ内の空気が僅かに揺らぐ。レンジャーたちは表情を動かさないが、耳だけは確実にそちらへ向いた。
天羽
「……病気か」
波多野
「染色体異常。医者には"治療法がない"と言われた。
だがCIAの仲介で……、ペシュラ社の遺伝子改編治療器の治療を受けられると聴いた……。"今回の任務"を成功させれば、だ」
その言葉で、一瞬、皆が口を噤んだ。
静寂が広がり、エンジン音だけが響く。
香月
「なるほどな。"神様の医療"ってやつか」
波多野
「ああ。ペシュラのCEO……ゲーレン・ダスト様だ。あの方が技術を開放してくださる。娘は……助かるんだ」
曽田
「ははっ。お前、完全に信者になってんじゃねぇか」
波多野は、曽田を睨んだ。
波多野
「俺はな……どんな悪魔にでも土下座する。娘が生きられるなら。そのために俺はここにいるのだ。だから──、作戦は、絶対に成功させる」
天羽は一度だけ、僅かに頷いた。
それは仲間への同情ではない。
ただ"任務遂行"のための理解だった。
天羽
「……理由はどうあれ、成すべきことは同じだ。御子神龍雅の排除。x2500を破壊。命令は遂行する」
曽田
「下が全滅してても関係ねぇ。俺たちは"止まらない"。ハッ……ペシュラ様、ゲーレン・ダスト様のためにな!」
通信士が叫ぶ。
通信士
「降下ポイント接近ッ!!」
天羽
「行くぜ」
ヘリの側面ドアが勢いよく開き、夜の冷気が刃のように流れ込む。
5……4……3……2……1……
天羽
「GO」
六つの影が、闇そのもののように落ちていった。
蜂が去った後の静寂の谷へ。
今現在、薄紅・張炎琳が支配する殺戮の森へ。
御子神研究所が待つ、"死の中心"へ。
曽田は、落下しながら叫んだ。
「待ってろよ……御子神龍雅……。地獄に案内してやるぜ……!」




