第八話 結末
「ミ、ミルヴァートン……!?」
「……」
ミルヴァートンは隈がくっきり見える落ちくぼんだ目で睨んできた。
「こらこら、穏やかじゃないな。ミルヴァートン。さぁ、その椅子に掛けてくれ」
「用件は何かしら、アンナ・パーカー。まさかわたくしを嘲笑うためだけに、こんな不潔な部屋へ呼び出したわけでは……」
「シャーロット・オーガスタ・ミルヴァートン。こちらはアイリーン=ラ=メテウスの名代として話しているんだ。お互い淑女として節度を持とうじゃないか。なぁワトソン君」
「え。う、うん」
パーカーは懐中時計をパチンと閉じた。
「ミルヴァートン、単刀直入に言う。こちらには和解の準備がある。飲まないなら、こちらも相応の対応をさせてもらおう」
驚いた。パーカーの鳶色の瞳には、すでに勝負を終えた後の冷めた勝利が見えていた。しかし、ミルヴァートンもミルヴァートンである。そびえ立つプライドがそれを良しとせず、小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「何を言い出すかと思えば、和解?どうしてそんなことをする必要があるんです?根も葉もない言いがかりで責められて、こちらこそが被害者なんですよ。厳重注意でもまだ我慢ならないくらいですわ」
面の皮の千枚張りとはこのことだ。品性下劣で聞いていられない。
「あくまでも白を切るつもりかい?」
「おっしゃっている意味が分かりません。部屋に火をつけられて、言われもない誹謗中傷を受けて、もううんざり。お互い不毛な時間を過ごしましたわね。それでは、失礼いたしますわ」
ミルヴァートンはわたしに対してこれ見よがしに舌打ちをしてきた。一度は同情したけど。やっぱりむかつくなこいつという気持ちが胃のあたりからせり上がってくるのがわかった。
「まぁ待ちたまえよ。ミルヴァートン。これを見て欲しいんだ」
パーカーはキャビネットを開けると二つの封筒を取り出した。一つは茶封筒、もうひとつは、水色の封筒。あれ、ちょっと待って。その封筒って。わたしはの脳裏にフラッシュバックするようにガラステーブルの上置かれていた封筒が蘇った。
「あ、あああああー!!」
わたしとミルヴァートンが叫び声をあげたのはほとんど同時だった。
「あ~あ、ダメじゃないかミルヴァートン。それじゃあこれが何なのか知っていると白状しているようなものだよ」
「お、お前! お前えええええ! よくも、よくもっわたくしの!!」
ミルヴァートンは顔を真っ赤にして今にも殴り掛からんばかりにパーカーに詰め寄った。しかし、パーカーするりと脇を抜けて扉の方へと背を向けた。
「おっと、もっと独創的なことをすると予想していたんだけどね。まぁ聞けよ。ここにあるのはワトソン君と私のものだけど、君が集めた大切な証拠はすべて私の隠し金庫に隠してある。私と友人に指一本触れてみろ。君も、君の家族もおしまいだぞ」
「す、すべて……ですって!? うう、嘘よ! 全部燃えたはずじゃ……」
「トリックだよ。君が見たのはただの紙束の燃えカスさ」
ミルヴァートンは髪を振り乱しながら鬼のように顔を歪ませてうなり声まで上げていた。
「では、君の専売特許でけりをつけよう。ミルヴァートン。私と取引しようじゃないか。それとも抵抗もなしに膝を折るかい?」
もはや屈辱と怒りで塗りつぶされ、頭をかきむしっている。息も絶え絶えと言った様子だったが次第に落ち着きを取り戻していった。
「……わかりましたわ。話は聞きます」
席に座りなおしたミルヴァートンをパーカーが横切ってくる。そして、再び机に腰を預けた。
「よし。では、メテウスを代表とした被害者の会なのだが、このまま話し合いが続くようであるならば、金で解決してよいという方向で固まった。メテウスも慈悲深い。これを期に悔い改めるなら先の戯言は聞かなかったことにしていいと仰せだ。
よってミルヴァートン、獲った金を返せ。それが条件だ」
「……は?」
「もちろん、金ではなく別のモノで脅した場合も同様だ。その者たちには卒業までの大学費用を負担しろ」
ミルヴァートンはだらりと俯く。刹那、彼女の口角が吊り上がったことをわたしは見逃さなかった。
「……わかりました。それでこの鬱陶しいやり取りが終息するならば、かまいません」
ダメだ、これじゃあなんのダメージにもならない。これなら何としてでも退学にさせた方がマシだ。気づいていないのか? パーカーはいったいなにを考えているんだ!
「元金だけ返して済むと思われては困る。十倍にしてようやく話し合いの席に着けるんだぞ」
そういえばパーカーは気前がいいというか、どんぶり勘定なところがあったんだった。
「じゅ、十倍……!? ば、馬鹿じゃありませんの!?」
「馬鹿なものか。君が奪ったものを考えればこれでも安い。良心的だと思うけどね。払えないなら君のお父上に相談すればいいだろう。……それに、あくまで和解案を飲まないというなら」
パーカーは封筒を指で挟んでヒラヒラと揺らした。
「民の声は神の声だという。私はこう見えても敬虔な人間でね。その言葉を信じることにしよう」
邪悪すぎる笑みだ。淡々と話しているのもあって、なお容赦がないように聞こえる。
「君の恐喝行為を帝国中の新聞社へ送りつけよう。
特に“デイリー・トーチ”は喜ぶだろうさ。
自社編集局長の娘が脅迫で財を築いていたとなればな。
さぞよく売れる。
さぞよく燃える。
そして君は、民の声を聞くことになるだろう。
――神の声とも言うがね」
今まで好き勝手に著名人の不祥事を暴露してきた『デイリー・トーチ』だ。火種は大きなうねりとなって燃え広がり、民たちは正義の名の下に罵詈雑言をくべるだろう。そして、その惨さを一番良く知っているのは……。
「シャーロット・オーガスタ・ミルヴァートン。君ほど信心深い人間に、これ以上相応しい裁判もあるまい。
――さぁ、いったいどんな声が聞こえてきた?」
ミルヴァートンは気の毒なほど顔面蒼白で震え出した。よほど恐ろしい想像をしたのか「あ、ああ」とうわ言をつぶやいている。
「それ、は……。う、あ。は、払えません。払えません……! そんな、いくらなんでもっ。あんまりです! メ、メアリさんも何とか行ってくださいまし!」
「は、え?」
そして、目に涙を浮かべながらわたしの足元に縋りつくように手をついた。
「メアリさん! ほんの冗談だったんです! 本当はあなたとお友達になりたかった! でも、わたくし素直じゃなくて……。あぁ、いと高貴なお方よ。あなたは薄汚い平民なんかじゃない。もっと上に、支配者になれるお方なんです! わたくしはそれに気が付いて欲しかっただけなんです! ラメルダ家にも、わたしから、お父様の力を使って掛け合いましょう! あなたの権利や地位、名誉を回復してさしあげます。だから、どうか……哀れなわたくしをお助けください。お願いです。この悪魔からお助けください!」
「だそうだ。ワトソン君。どうする? 私は君の決定を最大限尊重するよ」
パーカーはその光景に鋭い視線を向けていた。わたしはどうするべきかを考えた。何が最良かを必死に考えた。でも、どれも良く分からなかった。ミルヴァートンは詰んでいる。和解案を蹴れば、もう法王庁に突き出すしかない。さらにゴシップが出回ったとなれば再起不能。おしまいだ。ミルヴァートンは追い詰められすぎてそれすらもわからなくなっている。でも、ここで和解案を飲ませれば? まだ生きながらえられる? 一番無視してはいけないのが、わたしはいったいどうしたいのか。必死に考えた。そして、答えを出した。
「……ミス・ミルヴァートン。
あなたは、わたしの母を侮辱した。
わたしの生まれを暴いて踏みにじった。
わたしの経済状況を嘲笑した。
わたしの友人を貶めようとした。
そして、なにより、わたしの人生そのものを否定した。
わたしはただの平民。メアリ・ワトソンよ。
貴きお方なんて呼ばないで。
わたしは、あなたを助けない。
自分でなんとかしてください。
お金持ちなんでしょ」
ミルヴァートンの顔がみるみる絶望に染まっていく。
「ああ、あああ……。こんな。あり得ない。平民風情が。この、わたくしに、こんな。信じられ……」
パーカーは黙っていた。冷酷なほど醒めた目をしていた。ミルヴァートンはつるし上げられたように身体を揺らしている。しかしパーカーと目が合うと、猛然と立ち上がって過呼吸になりながら私達を交互に指さして叫んだ。
「こ、これは明らかに違法行為ですッ! パーカー! それにワトソン! 見過ごしたら、あなたも同罪ですよ! こんな馬鹿な話、法が許すわけがない! あなたたち全員訴えてやりますわよ! 今すぐ取り下げなさ――」
その瞬間、今まで静観していたパーカーが間に入るように遮った。
「――法? 訴える?」
信じられないくらい湿度のある言い方で、ポケットに手を入れながら処刑人のようにミルヴァートンへと歩み寄って行く。顔は見えない。
「面白い冗談だ。
君は人の秘密を売り物にして生きている。
そんな人間が法を盾にするのか」
諭すような言い方だ。なのにミルヴァートンは引き攣った声を上げながら後ずさりし、足がもつれて倒れ込んだ。パーカーはなお歩みを止めない。
「なら法王庁へ行けばいい。
そして聞いてみるといいさ
『脅迫で得た金を失いました。助けてください』と」
ミルヴァートンは蛇に睨まれた蛙のように動けない。パーカーは腰を折り曲げて顔を寄せていく。
「……どんな顔をされると思う? シャーロット」そっと耳打ちをした。
「ひっ……!」
わたしは、正直に言うとビビっていた。だって、パーカーがこんなに怒ったところ、初めて見たから。
「おっと、大丈夫かい。シャーロット。ほら、こっちにおいで。手を貸してあげよう」
「わ、わかりました! わかりました! 払います! なんでもしますから! だから許してください!」
「よかった。これでようやく話が前に進む。では、契約書にサインを……する前に、もう一つやって欲しいことがあるんだ」
「……っ」
ミルヴァートンは震えあがりながら怯え切った顔でパーカーの目の、炯々と輝く捕食者の瞳にくぎ付けになっている。わたしはその緊迫した様子を、ただ見ていることしか出来ない。
「そ、それは……?」
「なに簡単なことさ」
パーカーはパッと腰に手を当てて伸びをすると、わたしをチラリとみてウインク。再びミルヴァートンを見下ろしながら言った。
「ワトソンに謝れ」
その声は囁くようで、脳に刻み付けるような声で。とても恐ろしい。
だけど、それと同じくらい、頼もしい声だった。




