第五話 犯人は三人
扉の隙間から煙が立ち込めてくる。ミルヴァートンの顔からみるみる恐怖の色が広がっていく。冷や汗をかきながら部屋のあちこちを探し回るように目が泳いでいた。
――故に、ミルヴァートンの牙は自室にあり、同時にそこは奴の心臓でもあるのだ。
パーカーの言葉が勝手に脳内に響いた。今、わたしが一目散に逃げれば、この女は隠し場所から書類を持ち出すだろう。そんなことをさせてたまるか。場所をこの目で見てやるか、奪ってここで燃やしてやる。
「ミルヴァートン! 逃げなきゃ死ぬわよ! あるんでしょ!? さっさと取り出しなさいよ! 見といてあげる! わたしはアンタが部屋を出るまで、絶対にここを動かない!」
忍耐力だけは自信がある。我慢比べでこんな成金女に絶対負けない。それから、大声を出したら本当に気合が入った。ありがとう、アイリーン嬢。
「あ、あなた何言って……! 気は確か!?」
「なわけあるか!!」
ミルヴァートンがひるんだ。そして、一瞬、わたしの後ろの方に視線が落ちて、大きく舌打ちをした。
「……これだから貧乏人は! さっさとなさい!」
ミルヴァートンは弾かれたように立ち上がり、扉の鍵をラックから引き抜いた。書類を置いて避難するようだ。わたしは後に続いて部屋から飛び出した。
廊下には白い煙が天井を覆い、もはや立っていると呼吸もままならない。わたしはハンカチを口に押し当ててしゃがみ込んだ。ガチャガチャという音がして振り返ると、ミルヴァートンは部屋に鍵を掛けていた。この期に及んで呆れるほどの用心深さだ。
「何してるの! 死にたいの!?」
「うっさいわね! さっさと行けばいいでしょう!?」
ミルヴァートンもようやくハンカチで口を覆い、我先にと中腰になりながら廊下を走り抜けていく。わたしも後を追い、そのまま二人してもつれるように階段を駆け下りていく。一階からも煙が立ち込め、もう火の手がこんなところまで回っているのかとゾッとした。そのまま互いを置き去りにするつもりで走り抜け、転がり出るように外へ身を投げた。
夕陽が視界に開ける。辺りには寮にいた数少ない学生に加えて、野次馬が取り囲んでいた。体操着姿のアイリーン嬢も心配そうに見上げている。その横で守衛隊たちは大急ぎで消火の準備を進めていた。
わたしも息を切らしながら振り返って寮を見上げる。ツタに覆われた三階建ての家屋から白煙が空へと伸びていく。そこで違和感に気が付いた。煙が白い。炎の熱気も感じないし、荒れ狂うような焔も見えない。これはひょっとして発煙筒の煙ではないかと疑い始めていたところで、遅れたパーカーがせき込みながら飛び出してきた。寝巻姿で髪に寝癖までついている。
「おう、ワトソン君。無事だったか」
わたしの姿を認めると、おはようの挨拶よろしく片手を上げた。煙を吸ったようで、すこし調子が悪そうだ。
「パ、パーカー……! あ、あなた、今までどこに?」
「どこにって、部屋で寝てたよ。言わなかったかい?」
ゴホゴホとせき込んで、うーっと呻きながら目をつぶっていた。こ、こいつ。わたしがミルヴァートンとあわや一戦おっぱじめるかの瀬戸際だったというのに、寝てただと? わたしは抗議の意を込めて無言の圧をパーカーに浴びせかけるも、彼女は飄々とそれを躱しながらミルヴァートンに絡んでいった。
「おや? ミルヴァートン。ワトソン君と一緒だなんてめずらしいねぇ。どうしたんだ?貧乏がうつるんじゃなかったっけ?」
「ふんっ。気安いですわね。なんでもありませんわ」
「そうかそうか。茶会でも開いていたのかな。次は私もお呼ばれしたいものだ。しかしいっぽうで私の友人に何か失礼なことを言っていないだろうね? ミルヴァートン。もし言っていたのなら……」
「言っていたら?まさか許さな~いなんて寒いこといわないですわよね?」
「灰狼に呪われる」
間髪入れずに、パーカーは瞳を炯々とさせながら強い口調で言い切った。その迫力に、ミルヴァートンは目を見開いて押し黙ったが、パーカーはにやりと口角を上げて「かもしれないね」と付け加えていた。
「ば、馬鹿馬鹿しい。呪いだなんて。あなたもイカれていたなんてビックリですわ」
「ご挨拶だね。ほんの冗談じゃないか」
そんなやり取りを横目に守衛隊もなにかおかしいと気が付いたようで、いよいよバケツを持って突入。煙が晴れて来たころには発煙筒の煙だったということに、もはや誰も疑いを持っていなかった。
「トーチマンがやりやがった!」
野次馬の一人が叫んだ。口火を切ったようにざわつきが大きくなる。これはまた学内新聞が盛り上がりそうだ。わたしは、なんだか逆に怒りが冷めてしまった。とにかく疲れた。パーカーにはいろいろ言いたいことがあるが、今日はもう休みたい。
守衛隊の一人が花瓶に入れられた発煙筒を掲げて怒鳴り散らかしながら出て来た。廊下にあった空の花瓶だ。あそこに隠していたのだろう。しかし守衛殿の怒りもうなずける。“チキった”だなんて誹りを受けていたトーチマン(正式採用)が無茶をしたのだろうが、大迷惑だ。いい加減にして欲しい。しばらくすると守衛隊長のレストレード氏が安全を確認したと学生たちに宣言した。
「ほんとくっだらない。わたくしはこれにて失礼いたしますわ。あなた方と違ってやることがたくさんありますので。
おい貧乏人。せいぜい荷物をまとめておきなさい。後悔させてやるわ」
ミルヴァートンはそう吐き捨てて去っていく。わたしはその背中を親の仇のように睨みつけた。パーカーはわたしの肩に手を置くと喉を鳴らして笑っていた。
「ワトソン君。ミルヴァートンの部屋に忘れ物をしたんじゃないか? 今のうちにとりに行った方がいいぞ」
「え」
「ほら、早く行きたまえ」
事態が分からずに目を白黒させていると、パーカーがわたしのグイっと肩を組んで耳元で悪魔的にささやいた。
「よくやった。ワトソン。最後の仕上げだ。ミルヴァートンの部屋は曇ってる。窓を開けてやれ。”鍵を開けることを忘れるなよ”?」
ドンっとパーカーはわたしの背中を押すと、パーカーはせき込んでお年寄りのようにショボショボになった。それから、すり足でアイリーン嬢に歩み寄って「おう、メテウス。流石万能の天才」「それ嫌味?」なんて寝巻姿と体操着姿で小競り合いをしているのが見えた。わたしが退学の危機に瀕しているというのに天才共ときたら。言っても仕方がないので、まじめなわたしは言われたとおり寮へと駆けていった。
「ちょ、ちょっと待ってよミルヴァートン」
未だに少し煙る廊下でミルヴァートンを呼びかけてみたが、彼女は一瞥すらしない。
「部屋に忘れ物をしたの。取らせてくれないかな」
そう言うと、ミルヴァートンは大きな舌打ちをして、もはや取り繕うこともなく汚物を見る目でわたしを睨んだ。
そして、何も言わずに廊下の最奥までの自室前まで歩み、鍵を突き刺した。
「さっさとしなさい。あなたのようなゴミブンが入っていい部屋じゃないのよ」
そういって、ドアノブに手をかけて、扉を開け――られなかった。
「……は?」
ミルヴァートンはがしゃがしゃと扉を力任せに引いてみる。しかし、ドアチェーンに阻まれて開かない。ミルヴァートンは鞭うつようにドアノブを引いたが、チェーンが何度もピンと張るばかりでまったく効果がない。その代わりに、おびただしい量の煙がドアの隙間から立ち上る。煤くさくて、わたしは思わず顔を顰めて手で払った。その時だった。ミルヴァートンは勢いよく振り返ると、押し倒さんばかりに詰め寄ってきた。
「お、おまえっ!! いったい何をした!!?」
「えっ、え?」
「その場から一歩も動くな!! 動いたら即ばらまくっ!!」
ミルヴァートンは鬼の形相で走り去った。なんだったんだ。しばらく呆然と立ち尽くし、ようやく我に返った。
パーカーだ。間違いない。でもおかしい、こんなことはあり得ない。出来っこない。だって、ミルヴァートンは外から鍵を掛けていた。それなのに、内側からチェーンが掛かっているなんて。ピッキングで扉を開けて中に入って……いや、やっぱり無理だ。それじゃ外に出られない。なら外側からドアチェーンを掛けたとでもいうのか。そのあと扉に鍵を掛けた? ミルヴァートンが持っていた鍵を使わずに? 扉の外から針金だけで施錠?? なわけあるか。
しばらく思考を巡らせていると寮長がチェーンカッターを携えて戻って来た。ミルヴァートンの顔は怒りや不安、恐怖がないまぜになっているのかぐしゃぐしゃだ。
寮長が手際よく鎖を切断して扉を開けると、軽い熱風が頬を撫でた。
「ああ、あ、あああああ! そんな嘘っ。やだやだやだやだ」
ミルヴァートンは狂ったように呟きながら煙をものともせず中に飛び込んでいく。わたしもハンカチを携えて後に続いて駆けだした。焦げ臭い。本当に何かが燃えたんだと直観した。部屋の中は、濃煙で何も見えない、目も開けてられない。わたしは記憶を頼りに煙をかき分けるようにして窓まで走る。ソファをおもいきり蹴り飛ばしてしまったけど気にしない。手を伸ばして窓に行きつく。そして、鍵を開けようと手をついて……。
――窓をめいいっぱい開いた。
煙が外へと逃げていく。新鮮な空気が肺の中に入ってくる。
「くそあああああああああああっ!!!!!」
背後からミルヴァートンの狂ったような慟哭が響く。振り返ると、巨大な本棚が扉のように開け放たれ、背後にはあった隠し金庫が姿を現していた。重厚な戸の内は燃え尽きて灰燼と化している。そして、その火種であったであろう大量の発煙筒が未だに燻り続けていた。ミルヴァートンは金庫の前で跪き激しく咳き込んでいる。よく聞くと絞り出すような声でクソ、クソと喚いていた。悪いが、ずっと見ていたい胸がすくような光景だ。
煙が晴れてやっと気が付いた。ガラステーブルの上、わたしの秘密が置かれていた場所には、灰色のカード。そこに描かれていたのは、狼のシンボルだった。




