第四話 強請の科学 その1
わたしは幽霊じみた足取りで寮へいき、ため息交じりで階段を見上げていた。もうすぐ17時だ。ミルヴァートンの部屋に行かなくては。でも行きたくないな。とやけに長く感じる階段を登っていると、リズミカルな足音とともに濡羽色の髪を揺らす美少女が踊り場へと舞い降りた。
「メアリ? 大丈夫?」
アイリーン嬢、体操着姿にも関わらず見目麗しい。対してわたしはよほどひどい顔色をしているのだろう。慰めてもらいたい気持ちもあったが今はそれどころじゃない。
「大丈夫。どうもありがとう。ミス」
「……そう。頑張りなさい」
アイリーン嬢は多くを語らず、優雅に一礼。緊張した面持ちで横を通り過ぎていった。が次の瞬間にはノロノロ階段を上がるわたしを颯爽と追い抜いていく。また、しばらくすると二階から軽く息を切らしたアイリーン嬢が駆け下りて来た。流石文武両道の二番手。来月に迫るスポーツ大会で打倒パーカーに闘志を燃やしてトレーニング中のようだ。
「大声を出せば気合も入るわよ。メアリ」
ありがたい助言までいただいた。わたしは「ふぁい」と気の抜けた返事をして、ミルヴァートンの部屋へと重い足取りを進めた。
二階の扉を開けると茜色に染まる広い廊下が続いていた。学生たちは部活動に精をだしているようで、空洞のように静かだった。部屋の扉が定規のメモリのように立ち並び、中ほどのスペースに掲示板と長机が置かれている。部活チラシに学校組織への意見投書箱、何も生けてない花瓶。他、各部屋からまろび出た荷物や家具が隅に寄せ集められていたりもした。三階ではハドソンさんの厳しい統制の元で共有スペースの秩序が保たれているが、二階はそうではないらしい。同じ建物なのに知らない場所みたいだなと孤独を感じながら歩いていくと、最奥にミルヴァートンの部屋があった。
「お待ちしておりましたわ。メアリさん。どうぞお入りになって?」
呼びベルを鳴らすまでもなく、ミルヴァートンが扉を開けた。足音が聞こえていたようだ。扉の奥はミルヴァートンが方々に張り巡らせた脅迫の糸の中心。わたしは誘い込まれるように黄金の蜘蛛の巣へと足を踏み入れた。
ピンクと金の洪水のような部屋に、思わず息を止めた。221号室の倍はあろうかと見紛うその空間は、どこに視線を置いても安らぎを拒絶しているようだった。部屋の端にあるキングサイズのベッドには天蓋まで垂らされ、ぐるりと見回すと天井まで伸びた本棚や猫が描かれた飾り皿の隊列、彫刻芸術のようなドレッサーに巨人のクロゼット。部屋の中央にはガラステーブルとツヤツヤのカウチが高飛車に存在感を放つ。正面にある大きな窓からは古色蒼然とした古都市が広がっていた。そして、なによりも目を引いたのはガラステーブルの上。水色の封筒がわたしの心臓を掴んで離さなかった。
「さ、どうぞお掛けなさいな」
ミルヴァートンはカウチに腰掛け、わたしにはガラステーブルを挟んで離島のように置かれているソファを勧めた。立っている方がマシだと思ったが、従う他ない。
「お昼にしたお話、考えてくださいました?」
「何度も言うけど、知らないし、言ってることが何一つわからない」
今度こそパーカーを見捨ててはいけないと思い、わたしは敢然と立ち向かう気持ちを声色に乗せる。しかし、ミルヴァートンは顎をしゃくった。効果はいまひとつのようだ。
「ふーん、そうなんですの。じゃあ、少し考えやすくさせてあげましょうか」
ガラステーブルに置かれた水色の封筒が取り上げられ、ミルヴァートンは中から一枚の紙を取り出した。
「メアリさんは、確かラメルダ領のご出身でしたわよね?」
「……それが何?」
「あらあら、ふふ」
ミルヴァートンは紙を弄びながら、それをテーブルに置いた。出生証明書だ。法王庁が発行している証明書。わたしの名前を認めた瞬間、後頭部を殴打されたような感覚に視界がぶれた。
「これはメアリさんの出生証明書ですわ。ほら、ここにあなたのお母さまのお名前が。あら? お父様のお名前がどこにもありませんわ? どういうこと?」
わざとらしい言い方に虫唾が走った。
「父は、誰かわからない」
部屋に大きな音が鳴り響いた。思わず肩が跳ねる。ミルヴァートンが出生証明書の上から新たな書類を叩きつけたのだ。
「嘘おっしゃい。知らないわけがない」
手をどけて現れたのは洗礼簿。地方教会で手続きをする出産記録だ。皺が丁寧に延ばされているが、印も押されている本物。目を見開いた。息を飲む。表情が凍った。なんで、こんなものが。
「これを手にいれるのは少々骨が折れましたわよ。今では絶対に手に入らない修正前の洗礼簿。ここに、あなたのお母さまのお名前が書いてありますわよ。ほらほらほら。よくごらんなさいな。父親の欄になんて書いてあるのかお読みなさい。文字くらい読めるでしょう?」
トントンと指を振り下ろす。指し示す先には父親の欄。喉の奥が閉まっていく。絶望的な気持ちで泣きそうになった。
「……ダリオ=デ=ラメルダ」
「ラメルダ……! 西方の大貴族、アイリーン様と同じく建国当時から貴き血族として名を連ねる“剣の貴族”の御名がどうしてこんなところに……!?」
焦点が定まらない。息も上手く吸えない。絶対に知られるわけにはいかなかったのに。なぜ、どうしてこの女がこんなものを持っているのか。
「最後に、ラメルダ家の家系図です。地方名士録でだれでも見られる代物です。ほら、ここに今のご党首ダリオ様のお名前が……。あ、あれ!? あれれ!? ない! ないですわ! どこにも! メアリさんの名前も、お母さまのお名前も……! こ、これは、いったい……? くくく、あは、あはははっ!」
頭がクラクラする。何も言い返すことが出来ない。
ミルヴァートンはひとしきり嗤ったあと、ナイフを突き立てるよう言い放った。
「落胤。そうなんでしょう? メアリ=デ=ラメルダお嬢様?」
刃は、わたしの一番深いところに突き刺さった。




