第三話 巣の中心を探せ
ここ数日の間、わたしは姿の見えない狙撃手に怯えるような毎日を過ごしていたが、ミルヴァートンからのアプローチは一向に訪れなかった。あったことと言えば、大学裏にあるゴミ集積所で発煙筒が焚かれるというイタズラくらいだ。血気盛んな学生達は火の手すら上がっていないこの騒動を些事とみなし、たちまち記憶の彼方へと追いやっていた。
今は普段通り、ルームメイトという大義名分の元、アンナ・パーカーの隣で講義を受けている。
「ちょっとは落ち着けよ。ワトソン。案ずるは産むが易しだぞ」
「う、うるさい」
「ほら、ミルヴァートンも君のことを見てる」
バッと振り返って、かさばる金ロールを探す。どこにもいない。代わりにギョッとした学生たちと目が合った。わたしは軽く頭を下げて前を向いた。顔が熱くなった。
「ミルヴァートンは別の講義を受けているぞ」
「あーもうキレた。全部バラすから。隠れてイチゴジャム直で舐めてることとか」
「はは、ごめんごめん。お詫びに耳より情報を伝えよう」
パーカーは黒板へと果敢に挑みかかっている教授を横目に、ノートの片隅に何やら図形をかき出した。寮の間取り図のようだ。
「ミルヴァートンはメテウスの真下の部屋に住んでいる。幸運なことにな」
何が幸運なのかはわからないが、話の腰を折るのも悪い。黙って頷いた。
「奴もほら吹きじゃない。口実となる根拠を必ず持っているんだ」
「……書類とか?」
「ご名答。そして、その根拠書類は間違いなくミルヴァートンの部屋にある。脅しに掛かるときに現物を見せる必要があるからね。すぐに取り寄せられて且つ最も安全な場所。自室以外ありえない」
「……協力者がいる可能性は? もしかしたら、別の部屋に隠しているかもしれないし」
パーカーはチッチッと舌を鳴らしながら、人差し指を左右に揺らした。
「たしかに協力者はたくさんいる。この学校の外にもね。振り向くなよ。君から見て左斜め後ろ、教室の端に座っている赤毛の男子。ずっと君が一人になる瞬間を狙っている」
「えっ」
身体が硬直した。振り返りそうになったがパーカーがとっさに私の手を掴んだおかげで、なんとか踏みとどまれた。どうやら冗談ではないようだ。
「彼らも金で動いてるか、弱みを握られているだけさ。そんな連中に、あの女が命ともいえる根拠書類を託すと思うか? 人の秘密を売り買いして私腹を肥やす畜生が、真の意味で誰かを信用するだろうか。どう思う。ワトソン君」
「しない、と思う」
「故に、ミルヴァートンの牙は自室にあり、同時にそこは奴の心臓でもあるのだ」
パーカーの手が縦横無尽に動いて、あっという間に家具まで書き足された。イラストの中央にWhere? の文字。そこで、鈍いわたしはやっとパーカーの言わんとしていることに気が付いた。
「……まさか、盗む気?」
「よもや! ワトソン君もなかなか悪だねぇ。おっと、教授の猛攻がそろそろ終わる。友よ、まじめに授業を受けよう」
パーカーはそれ以降、真剣に板書を写していた。チラリとノートを盗み見る。文字だらけの黒板とは違い、要点ごとに整理された階層構造になっていた。あとで見せてもらおう。
その後の数日間もまた発煙筒騒ぎがあったくらいで、ミルヴァートンからの接触はない。寮のライティングデスクに腰掛けたわたしはホッと胸をなでおろしていた。どうやらパーカーの忠告は杞憂だったようだ。
パーカーはというと鼻歌交じりに窓から身を乗り出して壁面を覆うツタに手をかけていた。わたしが「危ないよ」と声をかけるとパーカーは「そうだね」と大人しく窓を閉めた。パーカーのこういう奇行にもう驚かなくなってしまった。慣れとは恐ろしいものだ。
次の日のこと。午前の講義を終えると、パーカーはアイリーン嬢を連れて用事があると消えてしまった。なので、わたしは友人のスタンフォードさんをランチに誘うことに。食堂にて彼女は発煙筒犯をトーチマンと名付けて「場所がいちいちチキっててつまんない。大学長室とかでやれ」と愚痴っていた。どうやら灰狼と違いトーチマン(仮)の支持率は低いらしい。パーカーならきっとこう言うにちがいない。
“大学長室でやれ、か。スタンフォードも過激だねぇ。でもワトソン、あそこは鍵が厳重だからね。私ならともかく、トーチマンにはちょっと荷が重いんじゃないかな”
「大学長室は鍵が厳重だから無理よ。無難に講義室とかからじゃない?」
「まぁ! 講義室。興味深いお話ですわねぇ。メアリ・ワトソンさん」
血の気が引いた。耳障りなほど高い声。ゆっくり見上げると、金色の大蜘蛛の影が値踏みするように見下ろしていた。
シャーロット・ミルヴァートン。ついに来た。ミルヴァートンはスタンフォードさんのことをゴミ箱でものぞくように睥睨する。スタンフォードさんはそれだけで萎縮したように目をそらした。
「ア、アタシ行くね。メアリちゃん」
「……うん。じゃあね」
スタンフォードさんは身をすくませながら走り去っていく。本当は行って欲しくなかったけど、巻き込むわけにはいかない。
「あら、なんだか席が空いていますわ。ご一緒しても?」
言い終わるやいなや先ほどまで友人がいた椅子にドカっと腰かける。甘ったるい香水の匂いがむわりと鼻を突き抜けた。食事がまずくなりそうだ。
「要件は何?ミス・ミルヴァートン」
「いけずですわねぇ。以前少しお話した仲じゃないですか」
お前は爪と話してたけどなと口をついて出そうになり、眉間に力が入った。努めて何も言わないでいると、ミルヴァートンは目を細めて笑みを浮かべた。
「もう、貧乏人は余裕がないからいけませんわ。ならお望みどおり単刀直入に参りましょうか。メアリさん。あなた、灰狼の正体について、なにか心当たりがあるのではなくって?」
「ないわ」
「わたくしはですね、アンナ・パーカーがそうなんじゃないかって疑っていますの。でも、あの女。なかなか尻尾を掴ませてくれなくて困ってまして」
心当たりはないと言ったのが聞こえなかったのかと腹が立った。しかし取り付く島を与えてはいけない。さっさとお引き取り願おう。
「そうなんだ。大変ね。がんばって」
「――作っているんでしょう? 決定的な証拠や証言を含んだ記録的な何かを。それをわたくしにくださらないかしら?」ミルヴァートンは加虐的な笑みを張り付けながら顔をずいっと近づけてきた。
心臓が縮み上がった。指先が急激に冷えていく。アンナ・パーカー事件録のことだ、なんで知ってる。いやただの揺さぶりか?いろんな考えが浮かんでは消える。返す言葉に窮していると、ミルヴァートンはわたしの考えを見透かしたように畳みかけた。
「もちろん、無料でくれ、なんて言いませんわ。報酬として卒業するまでの大学費用を立て替えて差し上げます。メアリさんのような哀れな一人親家庭の平民には厳しいかもですけど、わたくしにとっては端金。どうかお気になさらないでくださいまし」
胸の内がゾワゾワする。思わず手が出そうになったが、わたしは固く拳を結び、何とか言葉を紡いだ。
「……奨学金があるので結構です」
「奨学金」
鼻で笑われた。もう帰りたい。
「強情ですねぇ。では、頼み方を変えましょうか」
ミルヴァートンはわたしの耳元まで顔を寄せて、ねばっこく囁いた。
「あなたのお生まれのこと、皆さんにバラしますわよ?」
息が、止まった。
「では、詳しい話は講義後の自由時間に。ぜひわたくしの部屋にいらしてください。時間は17時ちょうど。遅れないでくださいね。時は金、ですから」
パーカーは午後の講義をぜんぶサボっていた。
わたしは、なにをしていたか、覚えていない。
ただ、時計の針が5を指し示すのを、待っていた。




