第二話 脅迫令嬢ミルヴァートンの噂
「悪役令嬢って、誰?」
「決まっているだろう。ミルヴァートンだ」
パーカーはベッドで肘をついて横たわるわたしに視線を向けると、忌々し気にふんすと鼻を鳴らした。シャーロット・オーガスタ・ミルヴァートン。ここソラリス帝国でも悪名高いゴシップ新聞『デイリー・トーチ』編集局長の一人娘にして、貴族に匹敵する金満家だ。彼女もまたパーカーに主役の座を追われた被害者でもある。パーカーはまったく気が付いていないようだが。
「ミス・ミルヴァートンかぁ……」
ボリュームのあるブロンドを竜巻の如くカールさせ、豪奢で人目を惹くお召し物を纏う平民組。パーカーは悪役令嬢と言ったが、令嬢は貴族階級の娘を指す言葉である。だから、ミルヴァートンは令嬢ですらない。皮肉だろう。一方で悪役に関しては異論なし。以前講義で話しかけたとき、爪を磨きながらこちらに一瞥すらしなかった。容貌は整っているのにどことなく下品で気に食わない。
「前からあいつにはひとこと言ってやりたかった」パーカーは腕を組んだ。
それな。品性は金で買えないぞっとわたしは頷いた。
「メテウスがミルヴァートンに脅されたんだ」
「えっ、本当?」
「そうだ。この手紙に書いてある」
驚いたが、同時に納得もしてしまった。ミルヴァートン父にはかねてより黒い噂があった。なぜ一介の新聞社編集局長がそれほどまでに財を成せたのか。答えは強請りである。有力貴族や権力者の恋文、不倫の証拠、堕胎歴その他不正の証拠を集め、保管。そして、結婚直前や爵位継承前といった最悪のタイミングで腐肉食いのように這いよって来る。あくまでもビジネスとして、情報を売りつけてくるのだ。払わなければ公開するという言葉を添えて。厄介なことにこれは合法な取引に該当してしまい審問官は手が出せない。被害者は金を払うか破滅するかの理不尽極まる二択を否応なく選ぶほかないのだ。絶対に関わり合いたくない。
「ねぇワトソン、1回生の時に寮で持ち物検査があったのを覚えているかい?」
「うん。そりゃあね」
「メテウスが捕られた物なんだけど、あれの正体は往復書簡だったんだ」
往復書簡? 手紙……あ、さては不純異性交遊を咎められたか。貴族組はそういう所あるからな。家の意向を無視して婚前交渉があったなんて大問題だ。大学でも厳しく目を光らせている。納得。
「なるほど……それはまずいわ」
「おお! ワトソン君も少しは頭を使うようになったようだね。まさかメテウスの意中の相手が婚約者殿ではなく、その弟君だったと見抜くとは。友としてこれほど嬉しいことはない」
「は、はぁああああっ!?」
パーカーの嫌味にキレたわけではない。アイリーン嬢を取り巻く修羅場の気配に驚いたのだ。大貴族のご息女と婚約者の弟との不義。そんなものが世に出たら両家で戦争になる。多くの血が流れる。そんなことは絶対にあってはならない。
「その情報が何故かミルヴァートン娘に漏れたようだ。友人としてなんとかしてやりたい」
「たしかに。でも、なにするつもり?」
「私なりに調べてみるつもりだよ。ミルヴァートンのことを。ところでワトソン。近々ミルヴァートンから君にアプローチをしかけてくるだろうから用心しておいてくれ」
ベッドから転げ落ちそうになった。唐突すぎないか。他人事のように聞いていたからか、死角から飛び出したパーカーに飛び蹴りを食らった気分だ。
「ななななんで!?」
「そりぁ、相手が強請屋だからだよ。反攻して私を黙らせようとしてくるだろうし。加えて、私の情報を得たいならまず君を篭絡するのが有効だろうしね」
ま、私のような宝飾店の娘の過去を漁ったところで、何も出やしないけど。なんてパーカーはニヒルに笑って、手慣れた調子で手紙をしたためだした。
とっさに身を起こしてしまったが、事態が呑み込めず、やがて枕めがけて自由落下。私にいったいどうしろというのだ。
「どうもしなくていいよ、と言っても君は困るのだろう」
勝手に心を読むな。
「そうだなぁ、ああいう人の恥を食って肥える手合いの弱点は“勇気”さ。人は秘密のためなら何でもする獣だ、そう信じて疑わない連中に思い知らせてやれ。恥を受け入れた人間の強さというものを!」
パーカーは羽ペンを指揮者のように振り上げて、朗々と鼻歌を歌いながら次々と手紙を書いていた。盛り上がっている所悪いが、冗談じゃない。こちらの胸中は重い短調だ。
「最悪……。わたし言っちゃうよ、パーカーのこと」
「いいや、君は言わない」
揺るぎない言い切りにハッとして、パーカーの顔を見た。いつの間にか、パーカーはこちらに向き直っていた。少したれ目の凛々しい顔立ちが微笑んでいる。ドキリとしてしまった。
「君はいいやつだ。私が嫌がらせを受けている時、君は断固として加わらなかった。実に心強い。信用に値する人間だよ。ワトソン」
そんなことはない。我が身可愛さに見捨てただけだ。その言葉は喉につかえて出てこない。代わりに目頭の奥が熱くなった。見られたくなくて、わたしは枕に顔を埋めた。何も言わないでいると、パーカーは何を勘違いしたのか面白そうな話をしてくれた。
「仕方ないな。じゃあ、私のとっておきの秘密を話そう。初恋の相手の話だ。興味ない?」
「ある」
「ふふ。相手は私が13歳の頃、仮面舞踏会で出会った紳士だった。本当の名前も知らない、顔も見たこともない。年もわからない。そんな相手に心の底から恋をした。灰色の狼。彼はそう名乗って、一人震える私の手を引いてくれたのさ」
驚いた。まさかパーカーにそんな過去があったなんて。だからパーカーの偽名が“灰狼”なのか。そういえば、パーカーが大切に額縁に飾ってある手紙にも同じようなことが書いていた。
「その灰色の狼さんとはどうなったの?」
「ひと月ほど文通をしたけれど、彼は消えてしまった。何も言わず、忽然とね」
「……そうだったんだ」
思いもよらない告白に不覚にも感傷に浸ってしまった。なんてドラマチックな悲恋なんだろう。
「ちなみに、灰色の狼の正体は私に悪い虫が付かないか心配した兄だった」
「えぇ……」
お、おわぁ。最悪すぎる。台無しだぁ。
「はは、まぁやむにやまれぬ理由があったし、薄っすらとそんな気はしてたんだけどね。おかげで人生の師匠にも出会えたわけだし、いい面もあったんだ」
「あぁ“ノクタリカの隠者”」
屋敷から一歩も出ず手紙を読んだだけで犯人を見つけ出す異能の天才。最も知名度と人気のある貴族の一人だ。本人は嫌がっているそうだが。
「故に、人生とは彫刻に似ている。美しい部分だけで像が生まれることはない。削り落とされた欠片もまた、完成のために必要だったものだ。君が恥と呼ぶそれも、きっと同じだよ?」
「……それは師匠の受け売り?」
「バレたか。もう寝たまえ。ワトソン君。私はもうすこし作業をしている。ちょっと数が多くてね」
「うん、お休み」
わたしは毛布を頭まで引き上げ、固く瞳を閉じた。
まるで子供じみた真似だと思った。
けれど、そうでもしなければ胸の奥で膨らみ続ける不安を押さえ込めなかった。
大丈夫。
そう、自分に言い聞かせる。
あのことは誰にも話していない。
手紙も残していない。
わたしと母以外に知る者などいるはずがない。
だから大丈夫。
――大丈夫なはずだ。
知られるはずがない。
知られていいはずがない。
まるで祈りのように繰り返したその言葉は――
数日後、無残に踏み砕かれることになる。
脅迫令嬢ミルヴァートンによって。




