第四十三話 セシリアが奇跡の一撃を決め、俺の全財産が吹っ飛びました
試合は終盤、まさに佳境を迎えていた。
鳥カゴの中で、セシリアとカリナは一歩も譲らず、拳と拳をぶつけ合っていた。観客たちも総立ちで、その戦いに息を呑む。
そして──ついに、その瞬間が訪れた。
セシリアが鋭く踏み込み、右のストレートを繰り出す。
その拳を、カリナはギリギリでかわす。そして、体を半身に切り返しながら、カウンターの形で右フックをセシリアの顔面に打ち込んだ。
「うおぉっ! ナイスパンチ!」
ぺぺが思わず立ち上がって叫ぶ。まるで普段の冷静沈着な姿が嘘のよう。額にしたたる汗も拭わず、鳥カゴに向かって大声を上げる。あんなぺぺ、はじめて見た。
鳥カゴの中では、カリナのパンチを顔面にもらったセシリアが、ふらついてドサッと尻もちをついた。
──終わった。
誰もがそう思った。ぺぺも、ビアンカも、俺も。
「うん、勝負あったね」
ビアンカも腕を組みうなずきながら言う。
──が、しかし。
突然、カリナの膝がガクンと折れた。
「えっ?」
カリナ自身も驚いていた。
まるで糸が切れた操り人形みたいに、ストンとその場にしゃがみ込む。
カリナの顔には、まさに「なぜ?」という表情が浮かんでいた。なぜ立ち上がれないのか、本人にも分からないという風だった。
「えっ……なんで……?」
小さく、唇が動いていた。だけど、声は出ていなかった。
まさか、と思った。
セシリアのパンチ。あれが、かすかにカリナのアゴに触れていた。
「力のないパンチでも、急所に当たれば倒れる」
俺とセシリアが最初に出会った時に教えた理屈。その理屈を、セシリアは今、この大舞台で完璧に体現した。
セシリアの放った一撃には、力はほとんどなかった。しかし、それは研ぎ澄まされた集中力と、一瞬の隙を見逃さない判断力によって放たれた、まさに奇跡のパンチだった。
セシリアはゆっくりと立ち上がった。身体はボロボロだ。顔には何箇所もアザがある。だけど、立ち上がることができた。拳を握りしめて、ふらつきながらも。
カリナは……立てなかった。膝が、言うことを聞かなかった。
「なんとぉぉおおお!!!」
ぺぺが絶叫。観客席からも大歓声があがる。
「お、おいおいおい、どういうことだい!? いったい何が起きたんだいコウタ!? あんた何かしたのかい!?」
ビアンカが俺の肩をバンバン叩きながら聞いてくる。
いや、してない。秘策も、裏技も、今回はなーんにも教えてない。ただ、あの子が、練習してきたことをすべて出したんだ。俺を信じて、俺がずっと教えてきた基本を、愚直に繰り返してきた結果だ。
──試合は、再び立ち上がったセシリアに軍配が上がった。
会場が割れんばかりの歓声に包まれる。観客たちは立ち上がり、拍手と歓声が鳴り止まない。なかには涙を流している人もいた。
「ソンブラスの……今年のベストバウトですね」
ぺぺが震える声で言った。
女子拳闘マニアを自称するペペが言うんだ。たぶん間違いない。
「セシリアも、カリナも……まさか、ここまでの選手になるとはね」
ビアンカが感嘆の声を漏らす。
──正直、俺も胸が熱くなっていた。
セシリアが勝った。
カリナもよく戦った。
2人は間違いなく、俺の誇りだ。
でも──俺は、静かに席を立った。
試合開始から決着まで、5分12秒。
1分以内に終われば、20万メソが1000万メソになる。俺は、それに全財産を賭けていた。
だから、賭けには負けた。トレーナーとしての未来も、自由市民としての夢も、当面はお預けになった。
それでも俺は、笑っていた。
セシリアとカリナは、リングの上で本物になった。
俺にはそれで十分だった。
だから──俺は誰にも声をかけることなく、ひとり静かに、試合会場をあとにした。




