ある闘病日誌47
◉無理やり退院してから、抜糸だけはなんとか、タクシーで行く事が出来ました。彼女の気力と言うか、歩こう、歩かなければ、此のまま寝たきりになり、未来は無い。その必死な思いが、伝わってきます。主治医のM先生は、病院まで来れた事を、少し驚いている様子でした。M先生は、放射線を受ける様、本人を説得されました。タクシーに乗って、こうして病院に来れたんだから、大丈夫、タクシーで通院出来るから、と、励ましました。放射線科の先生は、とても真剣に、親切に向き合って下さり、明日からの日程を決める事が出来ました。が、私をみる目が、気の毒だが、治る見込みは無いと、言っています。少しでも、生きられるかも知れない、と、言う思いで、又挑戦の始まりです。頑張れ,サッちゃん!!彼女は、死にたく無いのです。生きたいのです。でも、どうしたら、生きられるのか?私がどうしてやれば良いのか?分からないのです。彼女は、自分で考え自分で、決めています。自分で努力しています。
当日、必死で靴を履く迄は、出来たんですが、エレベーター迄、少し階段が有ります。その階段を一段も降りる事が出来無いのです。汗だくで頑張りますが、これ以上の挑戦は、無理だと言う事になり、部屋に戻りました。救急車で行こうと思いましたが、救急車で行けば、そのまま入院になってしまうから、嫌だと言って聞きません。放射線科の看護師さんも、救急車で来て下さい。と言って下さるんですが、本人がもう諦め?でしょうか‚‚‚‚‚。
彼女は必死で自分なりに、リハビリを重ね、訓練し続けています。しかし腫瘍は容赦なく、彼女の体を蝕んでいきました。左半身にケイレンが起こり、痺れに見舞われ、苦しむ様子は可哀想で、見るに耐えません。寝たきりになっても、介護は出来ます。トイレは自力でなんとか行けました。歩く為に必死でした。よく彼女は頑張りました。しかし左半身に、ケイレンが起こる時はもう、これで死ぬのかと?と、彼女も私も覚悟しました。収まると安堵しましたが、痛み止めは、処方されている薬しか有りません。これ以上の痛みに襲われると、非常に危険です。気力だけでは、どうにも成らない状態まで、来ていました。遂に,その日がやってきます。突然ケイレンが始まり収まりません。サッちゃん、もうこれ以上は駄目だよ!!と言って、救急車を呼びました。それでもT病院は嫌だと、言うのです。別の病院に運ばれましたが、脳外科の先生は、手術したT病院で診て貰う訪問診療が‚‚‚‚‚。との事です。そう言われのは、当たり前です。T病院に連絡を取って下さり、転院する事に成りましたが、彼女は、やっぱりT病院しか無いんだね‚‚‚‚‚。と、寂しそうに言ってました。彼女は、又、家に帰れるかなあ‚‚‚‚?と。死が迫っている事が分かっている様でした。変われるものなら!!胸が張り裂けます。昨日彼女は、お母さん、放射線なんかしたって、もう治らないんだよ‚‚‚‚と、寂しそうに言いました。私、分かってるから、受けなかった。治療が辛いだけだよ‚‚‚‚‚。どうして、変わってやれ無いのか?どうして!!どうして!!どうして!!




