ある闘病日誌46
7月7日(日)
確かに私は、長くない。でも、言ってくれて欲しくなかった。先生の口からだけは、聞きたくなかった。なぜ訪問診療なんだ!!その言葉だけは、F先生から絶対に、聞きたくなかった。先生は、分かっているから、その言葉が出るんだろう。でもやっぱりF先生からだけは、聞きたくなかった。心が潰れてしまった。私が最後に思い浮かべた人は、N先生だった。後、数時間かも知れない。電話してみた。最後の最後に、声が聞きたかった。でも、受付の人に、日曜日は非常に忙しく、と、言われてしまった。声が聞きたかった。だって、最初から最後まで、私の癌に全く興味を示さなかった、唯一の人間だった。それは私にとって、凄い事だった。一番、癌だと言われ恐れていた事は、私の癌にしか興味を示さない周囲の声と目だ。それは私を、地獄ヘ突き落とした。死にたいと呟いた。F先生は初めて「それは駄目だよ」と、厳しい顔で言った。とてもショックだった。あんなに肯定しかしなかった人が、初めて、私の気持ちを否定した瞬間だ。そして私はF先生に、一人の医師ヘ、問いたい事がある「癌と知ってから、私の癌以外を見た事はありますか?」別に責めている訳じゃ無い。治療を断った事も、何もかも後悔していない。それは、私の意志だからだ。N先生は最後まで、本人が決める事だと、言ってくれた。つまり私を尊重し続けてくれた。そんな人は癌と言われてから、一人もいなかった。F先生は、本当にプロだと思う。でも身体症状を、気付けなかった事は、絶対に自分を責め無いで欲しい。私を、adhdだと診断した、初めてのプロの先生だ。そんな人はこの世に、一人もいない。人間の天寿は決まっている。そんな話しを、N先生とした。私は、オペや抗がん剤が、上手くいって、長生き出来るものでは無いと、本当に思っている。だから拒否した。自分で作った腫瘍と、共存しょうとした。多動性ではない。私の意志だ。分かって貰おうとは、思わない。でも、分かろうとする努力は、誰もしなかった。N先生だけだった。相手が癌だから、死ぬのか?違う。それは違う。だって、3人に一人は癌に成る時代だ。それが怖いなら、とっくにもう、死んでいる。癌は怖い病では決してない。それは、末期になった私が、断言する。
7月9日(火)
私はもう、死ぬと思う。でも何も、後悔していない。最期まで病院には、戻らない。訪問診療も受けません。治療も拒否します。




