57 兎の特性
それから数日は仕込みに加え、孤児たちの年長組に満腹焼きの焼き方を教える仕事も加わった。お金になる、もっと有り体に言えば腹が膨れるとわかった途端、彼らは目の色を変えて仕事を覚えるようになった。文字通り現金なものだが、それでいい。ちゃんとした対価こそ労働意欲の源というのは正しい姿だ。現に労働や知識に正当な対価を払わなくなった日本は没落した。
今は今日の仕事を終えて宿に戻って来たところだ。先ほど帰り道でラビリンから相談があると言われ、俺の客室で向かい合わせに座っている。
「ラビリンから話って珍しいね。いろいろ急なことで不備はあると思うけど、出来るだけ善処はするから気楽に言ってみて」
「それは問題ない。むしろ良過ぎるという相談」
「ん?」
「満腹焼き一枚、銅貨一枚。今日も二百枚売って金貨二枚を貰った」
「そういう約束だからな。もっと売りたいんだろうけど、それはナシな。体を壊したら意味がないから」
「それは承知している。それを踏まえての相談」
「了解した。続けて」
「孤児院上がりを雇った場合、普通は一日に金貨二枚も払わない。一枚でもかなり特殊。朝から晩まで目一杯働かせて銀貨七枚か八枚くらいが一般的」
「あー、相場はあまり気にしてなかったな」
「だからざっくり言って毎日金貨一枚以上を借金してる気分」
「そう言われても、約束通りの金額だからな。ちゃんと受け取ってくれないと、俺が嘘つきになっちまう」
「双方が同意すれば契約の変更は可能」
「そうだけど、わざわざ減らすこともないだろう。今のままでお互いに困ってないし。それに屋台を増やしたから、今後は完売しない日が出て来るんじゃないか。そうなったら自動的に安くなるから、急いで変えることもないと思うんだが」
「……気がついてないようなので忠告する。今の金額だと、私はエージの愛人だと思われる」
「は!?」
「成人した男性がそれなりの年齢の女性を雇って、働きに見合わない高い金を払っている。事実がどうであれ、世間はそう見る」
「うあー……言われてみればそういうこともあるか。それは気にしてなかった。想像が足りなくて申し訳ない、ちょっと考える」
「どうするべきか、私から提案がある」
「希望があるなら聞かせてくれ」
「まず、エージの財力は今の金額を払い続けても支障はない」
「今は満腹焼きが売れてるからな」
「私もお金をたくさん貰えること自体は嬉しい」
「あって困るものじゃないからな」
「なら簡単。エージが私を愛人にすれば、おかしな点はなくなる」
「ぶっ! むしろそれが最大のおかしな点だろ! そう見られたくないって話じゃなかったのか? そもそも意味わかって言ってんのか?」
何がどうなればこんな話になるんだ。
「説明はちょっと長くなる。ひとまず最後まで聞いて欲しい」
「分かった」
「私は兎の獣人」
「知ってる」
「兎は寂しいと死ぬ」
「うん……うん?」
「厳密には寂しいだけでは死なないけど、弱いから群れを作る。実際、孤児院を出て一人になったら死にかけた」
「なるほど」
「死にやすいから子供をたくさん産む。だから国によっては子孫繁栄や大地豊饒の象徴」
「俺の国にもそういうのがあったな」
「子供をたくさん産むために、性欲が強い。一年中発情期」
「待て」
「事実。だから国によっては肉欲の象徴」
「……俺の国にもそういうのがあったな」
有名な某雑誌のロゴが兎なのは正にそういう理由だし、バニースーツもその類だろう。日本にそういう概念があったのかは知らないが、この世界で「俺の国」と言った場合はだいたい地球全部をひっくるめての話だから、そう大きな間違いではないはずだ。
「察しが悪い。私は兎の本能に従い、エージの群れに入ってたくさん繁殖したいと望む。私もエージも、なったばかりとは言え成人だから問題ない」
「群れって表現は馴染みがないんだが、家族とは違うのか?」
「だいたい同じと思っていい。ただ一組の番とは限らなくて、たとえば親戚の番がいくつか集まっていたりもする」
「世帯よりは大きな意味での家族ってあたりか。既に仲間ではあるけど、繁殖はちょっと一足飛び過ぎないか?」
「だめ。群れは繁殖の単位。それともエージは私じゃ繁殖の相手として不足?」
「ラビリンがどうとかじゃなく、誰が相手でもまだ子供をもつ覚悟がないってのが正直な所だ。群れのボスになるなら食わせなきゃいけないからな。そもそも俺、ラミスクを出て他の町に行く可能性もあるし」
「うむう。交尾をちらつかせれば男なんてイチコロだと院長先生に聞いたのだが」
「どあー! 院長ってば何を吹き込んじゃってるの!?」
「問題ない。孤児にとって、家族は何よりも欲しいもの。それを得るためなら院長先生も加減しないのが当然」
「……参ったな。ラビリンの意気込みは分かった。今すぐ繁殖とはいかないが、一緒の群れになる前提の付き合いってことなら受け入れなくもない」
「分かった。諦めないけど今はそれでいい。繁殖したくなったら言って」
「それでいいのか……。他に何か条件はあるか?」
「兎の番は一対一とは限らない。繁殖力の強い雄がいい雄」
「それたぶん雌もそうなんだよね?」
この世界だけじゃなく前世でも三十七年間ずっときれいな体だった俺には、許容量を超えすぎて消化し切れない。ましてやお互いに十三歳なので、日本基準だと文字通りの犯罪だ。どうにも受け入れようがないので、ひとまず全部棚上げして貰うことにした。そもそも、ラビリン一人でも面倒を見るのがギリギリなのに、更に増やす話をされても無理というものだ。
まあ自分から見捨てるつもりはないあたり、この世界の常識で言えば甘すぎるという自覚はあるけれど。




