37 森の訪問者
その日の夕方。急いで荷物を整えた俺は、森の中を進んでいた。
そう、街道ではなく森をだ。
「エージも律義ね。わざわざやらなくてもいいのに。しかもこの緊急時に」
ケイが呆れた声を出している。
「緊急時だからこそというか、今やっとかないと二度と出来なくなるかもしれないからな」
呆れたいのはこっちの方だ。緊急時だというのにいつも通り俺の荷物に潜り込み、いつも通り俺が狩った兎の内臓を平らげているケイこそ、緊張感の欠片も感じられない。
「俺と同じように転生する人間もいないとは限らないから、ちゃんとしておきたい」
「まあエージがしたいならすればいいわよ」
俺が向かっているのは、この世界に来て最初の一日を過ごした、あの廃屋だ。森から出て来る時にいろいろ拝借したきりだったから、ちゃんと返しておきたい。かなりの確率で意味のない行動だとは自分でも思うが、心に蟠りを残したままにするよりは、避難する前にすっきりさせておきたい。
朝の出足が遅れたのでどうなるかと思ったが、俺の体は日々の狩りで体力がついており、幸い小ボスにも遭遇せずに済んだこともあって、なんとか日の残っているうちに廃屋に到着出来た。
「もう暗くなってきてるから用事は後にして、急いで食事だな」
「待ってエージ。建物の中に気配がある」
「え? あれ本当だ、誰かいるのかな。ピエールさんがまた来てるのか、それとも俺みたいなのがまた転がり込んでるのか、それとも……」
閉まり切っていない扉の隙間から中を覗き込んだ時。
中からもまた俺の方を覗き込んでいる目があった。
「うわあ! …あ、すみません」
「あらー、いらっしゃい坊や。と言っても私の家ではないけれど」
そこにいたのは風変わりな見た目の女性だった。背丈は百六十センチほど、この世界では少し小さめの部類だ。と言っても今の俺より大きいのだが。黒の三角帽子に黒のポンチョで風貌はあまり見えないが、こめかみのあたりから羊のような巻き角が生えている。
「こんな所で人に会うなんて珍しいわねー。どうしたのかしら?」
こちらの疑問そのままだが、それはお互い様だろう。説明しようかと口を開きかけた時、
「ひっ! ま、魔族!」
ケイが叫び声をあげて荷物の奥に潜り込んだ。ガラにもなくブルブル震えているのが背中越しに伝わってくる。
「こらケイ、いきなり失礼だぞ。すみません、獣なんで大目に見てください」
「喋る猫? ……ではなさそうね、魔法がかかってる。あなたの使い魔かしら」
「いえ、特に契約はしてません。もともとこのあたりに住んでた野良です」
「よく懐いてるのね。私はフィーレ、見ての通り始祖よ」
「俺は栄二、自称ヒュームです。ほらケイ、魔族じゃないってよ。あの、始祖って初めて聞くんですが、どういう種族なんですか?」
「ああ、聞き覚えないかもしれないわね。ヒュームからはいっしょくたに魔族と呼ばれるわ」
魔族だった。
「別に取って食ったりしないわよー。立ち話もなんだし、とりあえず中に入ったら? 私の家じゃないけど」
「あ、はい。お邪魔します」
「何で平然とお呼ばれしてるのよ!」
ケイの叫びは無視。
一時間後。
いい感じに酔っ払ったフィーレさんがいた。
俺の兎肉を見たフィーレさんが「私の鳥肉と交換してよ」と言ってきて、せっかくだから一緒に食べましょうとなったのだが、フィーレさんは晩酌と言ってお酒を飲み始めたのだ。
「ヒュームはスピリッツが珍しいのかしら? これはそこそこ高かったのよ、平原鹿の魂が原料だから」
そういうつもりで見てた訳じゃないんだけど。それとスピリッツってそっちの意味じゃなかったような。
「ここ壁に穴が開いてたりするんで、魔物が入って来るかも知れないのに、そんな酔っ払ってて大丈夫なんですか?」
「この程度で始祖が魔物に後れを取ったりしないわよー」
「なるほど、従える対象でしかないと」
「あ、それ誤解。魔族と魔物は基本何も関わりがないわよ。ヒュームも獣を従えてる訳じゃないでしょ? 獣を飼育するヒュームがいるのは知ってるけど、魔族はそんな習慣もないし、何か襲うなら弱っちいのを嗾けてないで自分でやるわよ」
「そうなんですか、知りませんでした。では今回のスタンピードにも関わってないと」
「スタンピード? あれは完全に自然現象よ。最近あまりなかったのに災難ね。で、エージ君はそれを食い止めるために呼ばれたのかしら?」
「え? まさか。むしろさっさと避難しろって言われましたけど」
「あら? だってあなた、凄い魔力があるじゃない。本当にヒューム?」
「……俺の魔力のことをなぜ知ってるのかは疑問ですが、バレるとヒュームどうしでの面倒があるので伏せてます。あと魔法は生活魔法しか使えないので戦力とは見做されてません。本当にヒュームなのかについては、訳あって自信ありませんけど」
「あ、なんか親近感。私は始祖だから強い魔法が使えるんだけど、急に勝負を挑まれたり変に嫉妬されたりして面倒なのよね。それとヒュームにはわからないみたいだけど、魔力が見えたり感じ取れたりする魔族は多いわよ。私も見えるんだけど、エージ君ってば私より光ってて眩しいくらいだから、凄い魔力があるのはすぐわかったわ。生活魔法しか使えないって本当?」
「嘘ついても意味ないじゃないですか」
「うーん、そんなはずないんだけどなあ」
ん?
新キャラ登場です。
初稿時点では2章終了まで女性が宿屋のユイナさんとギルド受付のエミリーさんだけでした。慌てて書き直し、煽りを受けてガナシュさんの職業が変わるという大工事をしたのですが、それでも特定のヒロインを設定するに至らず。異世界だからと言って、栄二は簡単にはモテないようです。




