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心の鎖  作者: momo
七章 眠れる冬
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平穏



 イオは目が覚めて暫く薄暗い天井をぼおっと眺めていたが、やがてのそりと起き上がる。


 朝だ、夜が明ける。ええっと……


 きょろきょろと周囲を見回してから自身を見下ろした。着なれた白い夜着に長い銀髪が零れ指ですくうと、労働で荒れていた筈の指先が生まれたての赤子の様に瑞々しさを取り戻していた。素足で寝台を降りて体を動かす。頭を振って軽く飛んでみたがどこにもおかしな所はなく元気いっぱいだった。


 「もしかしてアスギルが?」


 自分に何が起きたのかきちんと覚えていた。怒りに燃えるレティシアの瞳と、体を押され空に投げ出された感覚。冷たい濁流にのまれた瞬間に頭に激痛が走った所まで。


 その後はどうなったのかわからない。ただ夢を見た。小さな少年と可愛らしい少女の夢。少女がアスギルと少年に呼びかけたし、あの赤い瞳は間違いなくイオの知るアスギルだった。


 アスギルに手当てされたからアスギルの夢を見たのだろうか。けれど何故子供だったのだろう。イオの勝手な妄想がアスギルを少年にしてしまったのかもしれないが、あの可愛らしい少女はいったい。まさか自分を夢の中で都合良く変身させていたのだとしたら恥ずかしいなと一人落ち込む。


 「どっちにしても聞かなきゃわからないわね。イグとアルにも迷惑かけたんだろうな。取り合えずご飯の用意でもするか。」


 着替えて髪を束ね、音を立てない様そっと階下に降りる。この時点でイオは自分の身に起きた事態がいかほどのものなのかをまったく理解していなかったのだ。


 いつもの様に食事の準備をしようと貯蔵庫をのぞくと、昨日まであった食材がない。葉物野菜は全くなく芋が数個に日持ちのするパンと干し肉が少し。育ち盛りのイグジュアートが夜食にでも食べてしまったのかと思いつつあるだけの材料を使ってスープを作り、干し肉を油で焼いて温めパンにも火を通す。スープに味をつけている所で食堂の扉が勢い良く開かれ何事かと首を捻ると、アルフェオンが焦りの表情を浮かべてこちらを見ていた。


 「あ、おはよう。」

 「―――大丈夫なのか?」


 挨拶は返されず視線を離さないままイオの側まで早足でやって来ると、アルフェオンからは熱を確かめる様に額に触れられる。彼にしては酷く無遠慮だと感じるが、イオをとても心配している様子がひしひしと伝わってきた。


 「ごめんなさい、沢山心配かけたみたいね。ちょっと記憶がないんだけどアルが連れて帰ってくれたのかしら。それとアスギルが手当てしてくれたりっ―――!?」


 アスギルが手当てをしてくれたのかと言い終わる前にアルフェオンの腕が伸びて抱きしめられる。遠慮のない強い力で引き寄せられると、硬い体にぐっと押さえつけられる様に抱き込まれ、首筋にアルフェオンの頭が埋まった。


 「よかった……」

 「―――!」


 アルフェオンの震えた声にイオは息を呑んだ。こんなアルフェオンは初めてだ。想像以上に心配をかけてしまった様で、後でゆっくり話を聞こうと悠長に構えていた自分を怒鳴りつけたくなる。


 「ごめんねアル、心配かけて本当にごめんね。お陰でわたしは大丈夫よ。」

 

 僅かに躊躇したが抱きしめられているのでいいかと言い訳し、イオもアルフェオンの背に腕を回した。落ち着くまで待とうとそのままでいると二階が騒がしくなり、ばたばたと階段を駆け降りてこちらへ向かって来る音が耳に入る。


 「イオっ!」


 起床後イオの部屋を確認し、もぬけの殻であったので慌ててやってきたイグジュアートが碧い目を大きく見開いている。イオはイグジュアートが来たよとアルフェオンに開放を求めるが彼の力はゆるまなかった。


 「おはようイグ。」


 ゆるまないので仕方がない。恥ずかしながらもアルフェオンに抱きしめられたままイグジュアートに朝の挨拶を向けると、イグジュアートは今にも泣きそうな顔になって二人に跳びかかって来た。


 「イオっ、よかった!」


 アルフェオンと同じ安堵の言葉を上げながら飛びつかれ体が傾くが、転ばない様にアルフェオンが支えてくれる。そのままイオの名を呼びながら泣き出してしまったイグジュアートにイオは片腕を回して眉を下げた。


 イグジュアートが泣くなんて、いったい自分はどれ程の心配を二人にかけたのだろう。まぁ…雪解け水で増水した川に落ちたのだし、逆の立場なら死ぬほど心配するだろうなと考えて、イオは二人が落ち着くのをただただ待ち続けた。そして落ち着いた二人に状況の説明を受けて初めて自分の命が危うかったのだと知らされる。


 水に落ちた拍子に流木か何かで頭を打ち、息も鼓動も止まってしまっていたなんて。蘇生してもらえたけれど意識が戻らずどれ程の不安を与えただろう。イグジュアートとアルフェオンのどちらかがそうなったと考えるだけで恐ろしい。それなのに自分は何も知らず呑気にご飯の支度をしていたなんて……本当に申し訳なくて二人に何度も謝り、助けてくれた全ての人に感謝した。


 最終的に意識を取り戻す処置をしてくれたのはやはりアスギルで、そのお陰でアスギルの子供の頃を夢に見たのだろうとイオは一人で結論付ける。アルフェオンと同様に冬の冷たい川に飛び込んでくれた人にはどうしても顔を合わせて礼が言いたい。前にカーリィーンからの追手に狙われた時にも助けてくれた人だとわかると尚更だ。たとえそれが任務であったとしてもイオとイグジュアートの命を救ってくれた人だ。あの時イグジュアートの手当てをしてくれたのはアスギルだけれど、彼がいなければイグジュアートは確実に殺されてたのだから。


 「それで、あの…レティシアさんはどうなったの?」

 「君にもしもの事があれば殺人罪、なければ傷害罪で捌かれると決まっていて、今は牢に繋がれているよ。」

 「そう―――」


 レティシアのしたことは許せる訳ではないが、それでも何だか可哀想な気持ちになるとイグジュアートに叱られてしまった。


 「あんな女に被害者のイオが同情してどうするんだよ。自分の不幸を全部イオのせいにするような女だ、イオが落ち込む必要なんて全くない!」

 「でも……」

 「お人好しもいいかげんにしろよ、あの女はイオを殺そうとしたんだぞ。貴族は平民を殺しても罪にならないって本気で思っている様な女なんだ!」

 「やめないかイグジュアート。」


 アルフェオンを落とし損ねたレティシアは有力貴族の後妻になるか、大金持ちだが蔑む平民の男と結婚するかの狭間にあったそうだ。ライズ男爵家を立て直すためとはいえ、老人に嫁ぐか豪商に嫁ぐかの二つの選択肢しか残されなかったレティシアは怒りの矛先を全てイオに向けてしまった。恨みの先には確かな殺意があったのだと説明するイグジュアートをアルフェオンが諌める。言い足りないイグジュアートも回復したばかりのイオを前に口を噤んだ。自分を憎み殺そうとした相手がいたなんて気味のよい話ではない。





 *****


 今日は休むべきだと心配する二人を説得し、三人並んで仕事に向かう。意識が戻らないまま眠り続ける事三日、四日目の朝にアスギルのお陰で一度意識が戻ったらしいがイオは覚えていない。翌五日目、自分の感覚では一晩よく寝たなぁといった感じで、冷たい水に落ちたわりに体の疲れもなくいたって健康だ。イオを心配して憔悴していた二人よりも余程元気だ。二人が安心するなら休もうかと考えもしたが、レオンを始めサリィにも心配をかけてしまっているだろう。元気な姿をみせて安心させたいからと、無理をしないのを条件に職場へ向かう。可能なら冷たい水に飛び込んでくれたラウルと言う騎士には今度こそ礼を言いたいし、迷惑をかけた街にある騎士達の詰所にも挨拶に行かなくては。

 そして今は口にできないが、イグジュアートの為にマントを作る材料を買い出しに行かねばならない。これは後でこっそりアルフェオンに同行してもらうとしよう。


 「ちょっとイオっ、あなたレティシアさんに暴力受けたって聞いたけどもう大丈夫なの?!」


 アルフェオンとイグジュアートに守られる様にして騎士団宿舎に向かっていると、イオに気付いたサリィが大声を張り上げながら走り寄って来た。


 目撃者も多い今回の事件は多くの人間が事情を知る所だ。貴族娘が平民に暴力をふるい正当に裁かれるという事実だけでも目立つのに、その正当な裁きに宰相の口添えがあったとなるとイオと言う娘はいったい何者かと、今までイオに興味を持たなかった人間までもが遠巻きに観察していた。流石に国王の命を受けていた宰相の言葉をあの時居合わせた騎士らが口軽く吹聴して回る事はなかったが、それでも王家の馬車で運ばれるイオはとても目立ってしまったのだ。

 そういった細かな状況など露知らず、イオは心配してくれるサリィに元気な笑顔を向ける。


 「ごめんねサリィ、心配かけて。もうすっかり大丈夫。暴力って言ってもかすり傷一つ残ってないのよ。」

 「本当に? すっごく血が出てたって肉屋の息子が教えてくれたけど。」


 無理しているのではないかとイオの体に容赦なく触れて確認するサリィに、イオは苦笑いを漏らす。


 「大丈夫よ、本当に。」

 「本当にどこも痛くないの? すごい血って、あいつどこ見てたのかしら?」


 確認できる場所に傷跡一つない様子に安心しながらも訝しむが、ふいに「あっ!」と声を上げた。


 「結界師の方に癒やしてもらったのね、だから傷跡がないんだ!」

 

 普通の人間が結界師という職業にある魔法使いに傷を癒やしてもらえる機会などほとんどないが、レオンと懇意にしているイオならその機会があってもおかしな話ではない。レオンや王家の馬車が街にある騎士の詰所に駆けつけた話もサリィは肉屋の息子から詳しく仕入れていた。


 「魔法ってすごいわね。わたしも相伴にあずかりたいわ。」 

 「やだ、なによそれ。ご馳走ならわたしも喜んで頂きたいけど、痛い目に合ってまで同じ経験はしたくないでしょ?」

 「まぁね。あ、アル様イグ君、イオはわたしがお預かりしますからどうぞお仕事に向かわれて下さい。」


 心配して様子を窺っている二人にサリィはにっこりと笑顔を向けた。こんなに元気なのだから少しばかり過保護じゃないのという意味合いを込めて。


 確かにサリィの思う通り、イオは完全に回復している。流石アスギルの魔法だと感嘆する程、呼吸や鼓動が止まり意識を失っていた形跡は垣間見れない。長く意識がなく寝込んでいたのが嘘の様に動けるし、元の生活に戻るのには何の支障もない様に思えるのだが。


 アルフェオンは最後まで迷いイオを案じて心配していたアスギルの姿が、言葉が忘れられない。今朝目覚めてからのイオが完璧だからこそ余計に不安が募るのだ。アスギルはイオの意識を戻す事で闇に落とすのではととても迷っていた。アスギルの過去がイオの精神を壊してしまう可能性が高いという言葉は、アスギルが抱く不安から出ただけではないと予想される。『皇女とは違う』、フィルネスの言葉が過去にあった現実を指示していたから。


 守ると約束した、誓いがなくとも必ず支え守る。だがアスギルの取り越し苦労でイオに何事もなければそれこそが一番だ。


 「頼むよサリィ、何かあったら直に教えて欲しい。」


 あまり付き纏っていてもイオに嫌がられるだろうし、逆に不安にさせるかもしれない。注意は必要だが何事もなければ取り越し苦労で終わるのだ。


 「お任せ下さい!」

 

 胸を叩いて元気に返事をするサリィにイオが口を尖らせる。


 「心配してくれるのは嬉しいけど子供じゃないのよ。」

 「俺は時間を見つけて様子を見に来るからな。」

 「だから子供じゃないんだってば。」 


 大丈夫だと困った様に眉を下げるイオをサリィに預け、アルフェオンとイグジュアートはようやくイオを解放した。


 





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